12月17日(日)🍃 8647歩、筋トレサボり

朝飯は自炊。ご飯。
昼飯も自炊。ご飯。
晩飯も自炊。ご飯。
買い物は眼鏡を買った。30000円。あとは親が出してくれた。今週の出費は、水曜に西武で2154円、土曜にスギで3492円と西武で3000円。合計8646円。

朝は0時に起きた。寝れなかったので、そのまま起きていた。風呂に入り、ご飯を炊き、ご飯を食べた。ブログは面倒なのでサボった。4時すぎで、いったんまた寝た。そして起きたら7時すぎ。ここまで昨日とほぼ同じ。眠かったけど、散歩に出た。昨日とは一転して寒かった。歩き出してすぐ雨がパラついた。今にも雪に変わりそうな雨。足羽山動物園まで歩いて折り返した。

帰宅して新聞を読み、コーヒー、アイスを食べた。今日は眼鏡を買いにいく予定がある。それまでは自由。新聞を読み終えたら、クイズの本を読んでいた。昼になったらご飯を食べた。午後もまたクイズ本。3時くらいになり、そろそろ出発の支度をした。日曜のやることリストにある、部屋のルンバ掛けをやって、外出。

眼鏡屋さんに行って、新しい眼鏡をもらってきた。代金のうち6万円を親が出してくれて、あとは自分で出した。親がサラダなどをくれたので、それを晩御飯と一緒に食べた。で、風呂に入る。あとは寝るだけ。今日はやたら眠いが、ブログをしばらくサボっていたので、なんとかかんとか2本書いた。ごみも出してきて、ようやく今週やるべきことは全部やった。10時くらいになったり、もう疲れたので、寝た。。ではコラムを。

■思考のハギレ(666) 子供こそが時間に関して「裕福」である

早いものでもう年末のムードになってきた。年が明けたと思ったのはついこの間だと思っていたが、もう1年経ったという事実にビックリさせられる。年齢を重ねるにつれて、1日1日が早く感じられるようになった。理由はよくわからないが、いつもせかさせられているように感じる。若い頃はそうでもなかったはずである。1年経つのが、ずいぶんゆっくりだったと記憶している。

年を取るにつれて、荷物もだんだん増えていくが、やることもだんだん増えていく。そのほとんどを、思いきって断捨離してしまえばいいのかもしれないが、なかなかそれができない。あれもやってこれもやって・・と、やることがどんどん増えていく。そして時間を取られていく。少しでも「時短」しようと、動画を倍速で見たり高い家電を買って手間を省いたり試行錯誤している。

しかし、時短しても時短しても、なかなか心が落ち着かない。常にせかされているような気持ちはなくならない。ミヒャエル・エンデの小説「モモ」にはこんな一節がある。「人間が時間を節約すればするほど、生活はやせほそって、なくなってしまうのです」と。時間というものは、分刻みのスケジューリングをしている人ほど、「時間貧乏」なのかもしれない。逆に、「今日一日、何も予定がない」という人が裕福なのである。

小生は20年ほど前、こんな光景を見た。数人の小学生が学校の帰り道、信号待ちをしながらしゃべっている。信号は青になったのに、子供たちはまだしゃべっている。帰り道がそこで分かれているのだろう。まだ「バイバイ」したくないから、青信号になっても渡らずにしゃべっているのだ。そのうち信号は赤になった。それを見て、「羨ましい」と思った。それに比べてなんと大人はせかせかしているものか。1つの信号を待つのでさえイライラしてしまう。時間に関しては、間違いなく子供のほうが裕福である。