12月8日(金)☁️ 18104歩、筋トレサボり

朝飯は自炊。ご飯。
昼飯も自炊。ご飯。
晩飯も自炊。焼きうどん。
買い物はなし。10時出勤、6時30分退勤。

朝は0時に起きた。風呂に入り、ご飯を炊き、ご飯を食べ、ブログを書いた。終わっていったん寝た。4時半すぎだったかな。で、また7時に起きた。眠いけど、散歩に出発。今日は散歩にはいい天気。足羽山動物園まで行って折り返す。

帰宅して新聞を読み、コーヒー、アイスを味わった。いつも通り。9時半になり、アラームが鳴る。支度して会社へ向かった。今日も会社はせわしない。インフルエンザで数人が休んでいる。バタバタする。

今日は11月伝票の締め切りだった。特に問題もなくすぎた。昼になったら自宅でご飯た。食べたらすぐ会社へ。人手が少ないので、大変である。

午後はようやく6時半になり仕事が終わった。さっさと帰宅して、ご飯を作って食べ、布団に入った。こんな時は寝るに限る。ではコラムを。

■思考のハギレ(657) 幸福は、一人一人のセンスで感じるもの

世の中が便利になっている。欲しいものがあったら、買い物に行かなくても手元のスマホで買えるようになった。車を持たない小生にとっては、ありがたいことである。音楽も、CDショップに買いにいく必要はない。ネットでダウンロードすればよいし、ストリーミングで好きな時に聞くことができるので、そもそも買う必要だってない。小生が学生だった30年前では考えられない話である。

ところが小生は、休みの日になると、ベランダに出てボーッと本を読むのが好きである。外出もしない。ただ、本を読んでいるのである。なぜベランダに出るのかというと、ベランダが一番集中できるからである。部屋にいると、ついスマホを見てしまう。テレビを見てしまう。音楽を聴いてしまう。ベランダでは、隣に音が丸聞こえなのでちょっと恥ずかしい。だから本を読むくらいしかできない。図書館にいるようなほどよい緊張感がある。

世の中スマホひとつで何でもできるようになったけれども、そのスマホをあえて遠ざけることも必要だと感じている。スマホを持っていては、主体的に生きることができないと感じる。そもそも、小生が学生だった30年前にはスマホなんてなかったのである。それでも毎日楽しかった。便利になったということと、人々の幸せになったということとは、似て非なるものである。

ナポレオンの言葉に、「人間はあらゆるものを発明することができる。ただし、幸福になる術を除いては」というのがある。人間は、あらゆる便利グッズを発明できるが、それで人間の幸福が約束されたわけではない。ここが面白いところである。逆に言うと、どんな不便な生活を強いられていても、幸福な人はいるのである。人間が幸福になる術は、誰かが発明するものであはない。それは太古の昔からすでにあって、それを知っている人は太古の昔から幸福なのである。