12月5日(火)☁️ 12649歩、筋トレサボり

朝飯は自炊。ご飯。
昼飯は弁当。もらった弁当を食べた。0円。
晩飯は自炊。ご飯。
買い物はなし。10時出勤、6時15分退勤。

朝は4時に起きた。風呂に入り、ご飯を炊き、ご飯を食べ、ブログを書いた。終わって寝る時間もない。7時すぎに散歩に出発した。今日も足羽山動物園まで歩いた。今日も寒かったな。携帯で気温を見ると3・2度だった。でも山を登っていると、うっすら汗をかいた。

帰宅して新聞を読んだ。そしてコーヒー、アイスも味わう。9時半になり、アラームが鳴る。支度して会社へ向かった。今日は役員会の日。11時から始まった。終わってひたすら議事録を書いていた。12時を回ってもしばらく書いていると、部長から電話で、弁当が余ったという話を聞いた。1も2もなく弁当をいただくことにして、今日は昼は自宅に帰らず、会社で弁当を食べた。久しぶりの会社ご飯である。その後もせっせと議事録を打った。

午後も仕事。火曜日はとにかく忙しい。いろいろやって、ようやく全部終わったのが6時過ぎだった。さっさと帰宅。昼に食べる予定だったご飯を食べて、あとは布団に入った。動画をいくつか見て、終了。ではコラムを。

■思考のハギレ(654) 「平等」という自然の法則はない

格差社会だと言われて久しい。生まれながらにして何億円というお金を使っても不自由しない家庭に育つ者もいれば、今日食べるご飯にも事欠く家庭に生まれる人もいる。同じ人間なのにそんなことが許されていいのかとも思う。ある調査によれば、世界の富の半分を、世界の超富裕層の上位26人で分け合っているという。世界の富のもう半分を、世界の総人口からその26人を引いた人間で分け合っていることになる。恐ろしい格差である。

親ガチャ、なる言葉がある。この世に生を受ける時に、どんな親のもとに生まれるか。まさに「ガチャ」を回す感覚で、当たりの親を引けば人生は安泰となり、外れの親を引けば地を這うような人生が確定となる。それこそ超のつく富裕層の家に生まれたいが、その確率は天文学的な数字に近くなるだろう。まず、無理な相談である。

「天は人の上に人を造らず」なんて言われるが、保有資産で考えると、人の上に人がいるのは、歴然とした事実である。その序列の最上位には、超富裕層の26人が鎮座ましますのである。なにが平等だよ、と思わずにいられないが、フランスのモラリスト、ヴォーヴナルグは、「平等は自然の法則ではない。自然は何一つ平等なものをつくってはいない」と言っている。自由、平等、博愛が基本精神のフランス人が言っているのがミソである。たしかにこちらのほうが正しそうな気がする。

所詮、人間といっても自然界の動物の一種である。自然界には、何一つ平等なものなんてない。植物だって、根を下ろした場所で生きていくしかないが、その地面の日当たり具合は一切平等ではない。過酷な環境でも必死に根を伸ばしたり茎を伸ばしたりして生きているのもいる。コンクリートの隙間に根を下ろした大根だっている。でも、一生懸命生きているのである。植物は、脳みそがないから、他の植物を羨ましいとは思はない。今ある環境で精一杯生きるしかない。その点人間も、見習うところがあるのかもしれない。