男涙の子守唄(詩吟「棄児行」入り)------この詩吟は泣ける、いや泣きました。
男涙の子守唄
歌名 男涙の子守唄
作詞 高橋掬太郎
作曲 細川潤一
唄 三橋美智也
作詞 高橋掬太郎
作曲 細川潤一
唄 三橋美智也
一 こがらし寒く 夜はふけて
月はさゆれど 身は悲し
坊や よい子だ
ねんねこしゃんせ
声も涙の もらい乳
斯身飢ゆれば斯児育たず
斯児棄てざれば斯身飢ゆ
捨つるが是か捨てざるが非か
人間の恩愛斯心に迷ふ
二 しあわせ薄く 生まれ来て
何を夢むか いとし子よ
坊や よい子だ
ねんねこしゃんせ
泣けば心も 乱るるに
三 世に泣き妻の 名を呼べば
胸にしみ入る 鐘の音
坊や よい子だ
ねんねこしゃんせ
男涙の 子守唄
(昭和三十一年)
月はさゆれど 身は悲し
坊や よい子だ
ねんねこしゃんせ
声も涙の もらい乳
斯身飢ゆれば斯児育たず
斯児棄てざれば斯身飢ゆ
捨つるが是か捨てざるが非か
人間の恩愛斯心に迷ふ
二 しあわせ薄く 生まれ来て
何を夢むか いとし子よ
坊や よい子だ
ねんねこしゃんせ
泣けば心も 乱るるに
三 世に泣き妻の 名を呼べば
胸にしみ入る 鐘の音
坊や よい子だ
ねんねこしゃんせ
男涙の 子守唄
(昭和三十一年)
この歌は、雲井龍雄の詩としてあまりにも著名な「棄児行」から作られています。なので途中で詩吟を入れるわけです(ただし、本来の「棄児行」は変形七言律詩です)。また「棄児行」という詩は雲井龍雄の詩ではなく、同じ米沢藩士原正雄の詩であると藤沢周平氏が唱えていますが、まだまだ詩吟の教本などでは、烈士雲井龍雄の詩として紹介されています。なぜこうなったのかは諸説あり不明。
学生時代は朗吟部(岳風流)でしたので、「棄児行」はよく知っていましたが、この唄に「棄児行」が挿入されていたことは発見でした。三橋美智也の詩吟は高音の伸びがとても良いです。
一節太郎の浪曲子守歌よりも切実なこの「棄児行」入り男涙の子守歌は幕末期米沢藩でのこと、妻を亡くして途方に暮れる貧しき侍の唄でしょう。妻は偉大なり、男手だけじゃ子は育たない。辛い現実を三橋大先生はしっかりと唄で表現してくれました。
棄 児 行
棄 児 行
熊本慈恵病院の「赤ちゃんポスト」を思い出す詩です。
棄児行
斯身飢ゆれば 斯児育たず 斯身飢 斯児不育
斯児棄てざれば斯身飢ゆ 斯児不棄 斯身飢
捨つるが是か 捨てざるが非か 捨是邪 不捨非邪
人間の恩愛 斯心に迷う 人間恩愛 斯心迷
哀愛禁ぜず 無情の涙 哀愛不禁 無情涙
復 児顔を弄して苦思多し 復弄児顔 多苦思
児や命なくば黄泉に伴わん 児兮無命 伴黄泉
児や命あらば斯心を知れよ 児兮有命 斯心知
焦心頻に属す 良家の救い 焦心頻属 良家救
去らんと欲して忍びず別離の悲しみ 欲去不忍 別離悲
橋畔忽ち驚く行人の語らい 橋畔忽驚 行人語
残月一声 杜鵑啼く 残月一声 杜鵑啼
斯児棄てざれば斯身飢ゆ 斯児不棄 斯身飢
捨つるが是か 捨てざるが非か 捨是邪 不捨非邪
人間の恩愛 斯心に迷う 人間恩愛 斯心迷
哀愛禁ぜず 無情の涙 哀愛不禁 無情涙
復 児顔を弄して苦思多し 復弄児顔 多苦思
児や命なくば黄泉に伴わん 児兮無命 伴黄泉
児や命あらば斯心を知れよ 児兮有命 斯心知
焦心頻に属す 良家の救い 焦心頻属 良家救
去らんと欲して忍びず別離の悲しみ 欲去不忍 別離悲
橋畔忽ち驚く行人の語らい 橋畔忽驚 行人語
残月一声 杜鵑啼く 残月一声 杜鵑啼