貧乏でも楽しめてたあの頃2
幸川玲巳先生に命名して頂きました。 大月 花音です。
カウンセラーとしてデビューするまでに私の事を知っていただく為に
自分の人生や経験など
綴って行きたいと思います✨
たまに美味しいグルメもご紹介したいと思いますのでどうぞ宜しくお願い致します![]()
人生勢いも大事
なんとかなる![]()
お金がないなら自分で稼ごう
という事で無料で置いてあった求人に載っていたキャバクラに電話し当日面接
娘1号ちゃんを連れて話を聞きにいきました。
託児所代は半額負担で
子供の体調悪かったら休むことも理解してくれて
店長とそのまま託児所の、見学に行ったり契約したりして
次の日から働くことになりました。
不幸中の幸いで
母乳はちょっとは出てたんですけど
乳首が切れてしまって娘1号ちゃんが一度血を吐いて(私の傷からでた血です)しまってからは
完全ミルクだったので飲酒の影響はありませんでした。
もちろん赤ちゃん一歳の幼子で夜中に起こされて車で帰るのって凄く負担だったろうと思います![]()
昼間しか仕事してないんだから
おっさんが見ればいいのに
本人は俺が見てるなんて一言も言わなかったです
私が働いてる間は居酒屋で飲んでいたみたいですけどそこももはやどうでも良かったです
両親の話し合いの見本がなかったので
話し合って解決するという発想すらなかったのかもしれません。
自分が我慢して頑張ればいいと思ってました
私もおっさんを頼ってなかったですし
とにかく働いてなんとかしないとと思って必死です
それから1kから2DKに引っ越ししたり
昼夜逆転生活が始まりました。
託児所に行く前に公園に行ったり
託児所のイベントでお店の子と一緒にバスツアーや芋掘りなども行きました。
今思えばおっさんとの思い出は
おっさんが酔っ払って帰ってきて部屋におしっこし出したぐらい
もう流石に離婚したいとおもって家出したのに
田舎もんすぎて駅に着いたら
東京駅には乗り換えでしか行けなくて
今のようにアプリもなかったので泣く泣く家に帰った思い出もあります。
不満はありましたが、キャバクラの店長もボーイさんも凄くいい人だったので
話も聞いてくれるし(それが仕事ですからね
)
頑張ったぶんだけちゃんと還元してくれるし
自分の気持ちが満たされてお金も入ってきたので
そんなに不満なく生きていました。
そして店長が系列店に移動するというので私も着いて行くことに
一旦切ります![]()
最後まで読んでくださりありがとうございます♪
