親愛なるサムライAさん






大変ご無沙汰をしてます。


最後の手紙から、4か月になりますね。




こんなに長く連絡を差し上げられなかったのは、私も入院していたからです。


Aさんを励ますつもりで、お手紙を差し上げたのに、私自身が倒れるなんて。


ところが、それが医療ミスだと分かったのです。


ギランバレー症候群の克服、そして別の病気の完治、さらに医療ミスを隠ぺいされなかったという


3度に渡る強運。




ただ今回も1月に手術。


つまり体にメスを入れたので、病み上がり後の体力回復に時間がかかって、連絡を控えました。




Aさんと共通の友人から、私の入院と、3度助かったことを聞いたそうですね。


友人から聞きました。


Aさんが私を「冷たい」と言っていたと。


私のことを気遣ってくれたんですね。嬉しいです。




3度の強運を経て、私自身も考え方も変わり、またこれからの人生に対しても、思いを巡らしています。


考えるにも当たり前ですね。これだけのことがあったのですから。




3度助かった私が見つけたテーマ、それは「仏教ホスピス」です。


そこには、かつて別の難病を克服したOさんとの“戦友”の物語が背景にあります。


そのことを、今日はお伝えしますね。










2年前の病院の医療ミスがわかった直後の今年の1月24日の朝。

術後の傷跡の痛みに耐えきれず、外来の予約を入れて外出しようとしていた矢先に、

NHK「おはよう日本」の特集「医療に“仏教ケア”を」に釘付けになりました。



http://www.nhk.or.jp/shutoken/ohayo/report/20150124a.html




これまで仏教の僧侶の役割は、葬儀からと捉えられてきましたが、老・死・病という人が避けて通れない人生のテーマに、

医療も仏教も取り組んできたことから、医療の現場に生きている患者に仏教のホスピスを浸透させようという取り組みを知ったのです。

本願寺派が中心となって、仏教ホスピスに賛同する医師たちの「西本願寺医師の会」が2月に発足するというニュースに、新しい風の気配を感じました。

終末期医療だけでなく、一人暮らしの老人に地域の医師が仏教の「生きる」の考えを教えたり、

介護の現場で10年以上前から本願寺派が取り組むなど、「仏教ホスピス」の重要性がクローズアップ。



この時、脳裏をよぎったのは、07年にギランバレー症候群で突然倒れてしまった私を探してくれたライターのOさんのことです。

私が受賞したというニュースを知らせようとしても連絡がとれなかったので、

事故や事件に巻き込まれたのではないかと心配して、当時の私の住まいを訪ねてくれ、

不動産から私の居場所(病院)を聞き、その足でお見舞いに来てくれたOさん。

まだ気管に管が入っていたため、話せなかった私ですが、心の中で彼女に何度もお礼を言いながら、まさに劇的な再会を遂げたのです。



その2年後の秋に、彼女は国際S病院のホスピス病棟で亡くなりました。

その直前に彼女が私にもたらした素晴らしい贈り物を、今でも忘れられません。

当時のことが、一瞬のうちに通り過ぎた時に「仏教ホスピスを取材しよう!」と決意しました。

すぐにプレゼンして「Health Press」という健康&医療サイトから承諾をもらい、

私は、すぐさま築地の本願寺で関係者に会って、取材開始。物事がサクサクと素早く進むのは、まさに縁があってのこと。

そしてこのたびやっと特集の3つの記事が公開されたのです。



《特集 終末期医療を考える》 .



・「医師と僧侶が協働してスピリチュアルペインに取り組む西本願寺医師の会の試み」

病・老・死は、医者も僧侶も同じテーマだと理解した田畑医師。医療現場に仏教ホスピスを浸透させた道のり

http://healthpress.jp/2015/04/post-1653.html




・「終末期の緩和ケア病棟に僧侶が常駐 宗教を問わず受け入れる仏教ホスピス」

20年以上前から、いち早く医療現場に僧侶が関わる長岡西病院の日常の風景

http://healthpress.jp/2015/04/post-1654.html




・「僧侶が普段着のままで患者と語らい死をタブーにしない仏教ホスピスとは?」

西本願寺派の僧侶が常駐する終末期医療のびはーら病院

http://healthpress.jp/2015/04/post-1655.html






「仏教ホスピス」は、34歳で亡くなったOさんからいただいた「生と死」、

そして「最後まで生き抜く」ためのテーマといっていいでしょう。



ライターのOさんは、07年ギランバレー症候群で私が倒れた半年前に、100万人に一人の皮膚がんを完治。

その後念願だったアジアファッションの写真満載の単行本を2冊出版。恋人と結婚間近とまさに順風満帆でした。

共に難病を克服した“戦友”の私にとって、社会復帰のお手本のような存在。

それなのに、病魔が再びOさんを襲い、全身のリンパに転移したOさんは余命わずかと宣告されたのです。



娘を安らかにさせてあげたいという両親の願いから、中央区にある国際S病院のホスピス病棟に入院させたものの、

彼女はモルヒネが切れると、泣き叫び、暴言を吐き続けるようになったため、とうとう両親が面会を謝絶。

Oさんは、親族や恋人の愛情に包まれながらも、絶望の淵でもがいていたのです。



私は面会謝絶と聞いてから、彼女に何が起こっているのかを、やっと知ることができました。

そして何とかして、彼女に遭わなければならないと思ったのです。



面会謝絶の瀕死の人に、どうしても会わなければというあの強い気持ちは、一体何だったのでしょう。

私に会いたくないかもしれない人に、会おうというだけでも傲慢かもしれない。

でも目に見えない強い力が私を奮い立たせ、私は人を介して、両親にお見舞いを申し出ました。



難病で突然倒れてしまった私を見つけてくれた彼女への恩義。

さらに闘病中に何度も死の恐怖に襲われ、

そのたびに死に向き合った私なら、彼女の苦しみを理解できるかもしれないと、私は両親に訴えたのです。

本当は、何もできないかもしれないと覚悟しましたが、とにかく彼女に会いたい。その一心でした。



そしてとうとう念願かなって、ホスピス病棟を訪れたところーーー



優しそうな両親と、無精ひげと寝不足のため目が充血している恋人が私を迎えてくれました。

みんな憔悴しきっていたので、状況が手に取るようにわかったのです。

「今、やっと眠ったところ」と囁くような小声の恋人。「寝顔だけでもいいから、会わせて」とお願いして、病室に入りました。



細長い部屋の窓から、柔らかい光が差し込んでいました。

特に目立った医療器具はなく、とても静かだったことが、不思議です。

死の気配を感じさせない静謐な空気。

ベッドに横たわっていた0さんの顔といえばーーー



透き通るほどの白い肌で、すやすやと安らかな寝息を立てていました。

なんて美しいのだろうと、しばらく見つめてしまいました。その場から、まったく、動けなかったのです。

死の恐怖にさらされ、絶望の淵を彷徨っている人とは思えないほどの気高い美しさ。

拒否や暴言を覚悟していた私でしたが、

美しい寝顔は死がすぐそばにいるという過酷な現実を物語っています。私は言葉を失いました。



「眠りから覚めると、また叫ぶんだ。だから今が一番穏やかだよ」と絶望する恋人。

日本一のホスピスを誇る施設と、専門のスタッフ。贅沢な完全個室に、優しい両親と、恋人からの愛情。

大好きだったアジアのファッションの出版の夢も叶い、恵まれていたOさんが、死の恐怖にさらされるなんて。

死を受け入れられずに、激しく抵抗しているのは、きっともっと生きたいからだと理解できる。

でもいったん受け入れてしまえば、心の平安も少しは取り戻せるのではないだろうか。

死を受け入れるなんて、簡単じゃない。でも、ここはホスピス病棟。精神的な救いはどこにあるのか。

そう思ったものの、死を受け入れることは、人に頼れないものだと気づいた。

いつだって自分の生死を、自分で引き受けなければならない。今の彼女には、それができないから、苦しいのだ。

でも、何とか、死がやってくるまで、生き抜いて欲しい。抵抗するより、ぎりぎりのところまで生き抜こうと、踏ん張ってほしい。

お願いだから、Oさん!





あの頃の私は、0さんに対して、それぞれ10万人に一人、100万人に一人の難しい病気を乗り越えたという戦友のような気持ちを持っていたのでしょう。

人が克服できないことをやり遂げたのだから、きっと最後の最後まで、人に何かを与えるような生であると。Oさんに期待していたのでしょう。



それにしても、あの気高い美しい表情は、一体何を意味していたのでしょうか。



0さんはそれから2週間も経たないうちに、他界しました。

09年11月18日。Oさんのために祈祷しようと、鎌倉の長谷寺に向かう途中で、訃報が届いたのです。鎌倉行は、冥福を祈る旅になりました。



それから3年後。

別の病気で再び死と向き合わなければならなかった私は、Oさんの美しい寝顔を思い出したのです。

あれは死期がすぐ迫った人の、全てを凌駕してしまった表情ではないか。

凌駕して、許してしまえば、あのように気高い境地になるのではないか。

彼女はあの時既に、再び死を身近に感じてしまうことになる私の運命を知って、凌駕した人の美しさを見せてくれたのではないでしょうか。

凌駕してしまえば、意識があるときは、生に対する執着から泣き叫んでも、

眠りという無意識下では、とっくに死を迎える準備ができるはずだということを教えてくれたのではないでしょうか。

Oさんは最後に、私にも降り注ぐほどの愛情を与えてくれたのでしょう。



3度助かって、生き抜いた私ができることはなにかと、手探りの中、とにかく夢中で執筆した仏教ホスピスの特集でした。

あちらにいるOさんはどう評価するのでしょう。

同業者ですから、厳しい眼で批評するかも、ですね。

でも仏教ホスピスのニュースを知った途端、「これはOさんからのメッセージだ」と受け取ったことだけは、理解してくれるような気がします。



これからも彼女のあの美しい表情に捧げるために、私はさらに生き延びて、伝えていかなければならないと思うのです。

生をテーマに。きっと。







※長い文章を最後まで読んでくださって、ありがとうございます。