思想の(考える) 自由はどこにもない
だが、一人一人が思想の(考える)
自由を持つ勇気を持つべきだ
これは トラブルを招く
これは自分自身にトラブルを招くけれど
このトラブルは招くに値する
なぜなら
このチャレンジを通り抜けることで
あなたの生に鋭さが生まれ
あなたの知性に明晰さが生まれ
あなたの存在に輝きが生まれるからだ
インドの神秘家OSHO講話より抜粋
*メタファー解説
これを脳科学的に捉えるか
条件付けとして捉えるか
それによって少し解釈は変わる
OSHOの時代に脳科学は無かったが
彼は核心を突いた講話をしていた
なので
少し脳科学的に解釈してみよう
社会において
人間はそのルールに縛られる
彼はそれを条件付けと呼んだ
思考の自由とは
条件付けではない思考だ
だが、それは反社会的でもある
とても危険なのだ
だから勇気と言っている
社会のルールに反すると
社会から除外される
社会はルールという秩序で保たれる
それは
一部の人間にとって
都合の良いように作られている
真理とは無関係だ
人格としての個は社会の中にいる
だが本性は真理と共にある
真理は社会の対極にある
何も反社会的に生きろ
と言っているのではない
社会とうまくやっていくのは
マインドに任せておけばいい
けれど
真理と、存在と
うまくやっていくには
それだけではダメだ
条件付けではない
無意識ではない
脳の自動反応ではない
意識を持ち込む必要がある
しかし
ここで注意しなくてはいけない
あなたの脳は狡猾で素早い
脳は意識の0.35秒前には
すでに動き始めている
つまり
意識とは
脳の決定の事後通知でしかない
そして
私たちの自由意志は
拒否/拒絶だけだ
それ以外は許されていない
だから
あらゆるルールや
教義や法律は
その自由意志へと働きかける
行動の抑圧を促している
その自由意志でさえ
脳の決定の事後通知だ
OSHOは言う
すべてにYESと言えと
それは
自由意志という
マインドの支配を超える秘策だ
取り違えてはいけない
そこにNOはない
つまり
もし自由意志がNOと言っても
それに対してYESをいう
YESにもYESを
NOにもYESという
これが一元性だ
そのためには
あなたという真我と
マインドという自我を
分別する必要がある
そのメソッドこそ瞑想だ
ここを理解しないと
OSHO講話は読み解けない
一元性を理解できない
「私」という自我と
それを超えた一元性の真我
これを体験するのは
瞑想ではない
瞑想は「私」という
自我しか体験できない
もし瞑想の中で
真我を体験したなら
それはマインドの詐欺だ
いかさまだ、幻影だ
観る側と観られる側
その二元性にいること自体
マインドの中である証拠だ
マインドの中には
真我も真理も存在しない
だが
真理の中には
真我の中には
マインドは存在しうる
それが一元性なのだ
あなたの軸足が
自我から真我へ移行した時
マインドから真理へと変容した時
あなたの生に鋭さが生まれ
あなたの知性に明晰さが生まれ
あなたの存在に輝きが生まれる
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