きっと
人は救いを求めて
宗教へと惹かれるのだろう
あなたの心の苦しみを
人生の苦しみを
生きる苦しみを
救ってもらおうと
宗教へと走るのだろう
しかし
宗教は決して
あなたを救うことはできない
私は
インドの神秘家和尚OSHO
の弟子サニヤシンである
我が師は
この世にすべての宗教に反対した
彼は
宗教に反対しているのであって
神に反対しているのではない
彼は
仏教に反対しているのであって
ゴーダマシッタルダは肯定している
彼は
キリスト教に反対しているのであって
イエスの意見には賛成している
宗教とは
*崇拝すべき対象がある
*教義経典がある
*それらに則り儀礼式典を行う
これらの団体を宗教と定義する
神は(仏は)
あなたという
個性を欲してこの世に
あなたを送り出した
神に(仏に)失敗はない
もし
神が(仏が)
別の誰かを望んだなら
直接、他の誰かを送り出す
あなたを
この世に送り出しておきながら
あなたを
違うだれかに変えようなどという
愚かな手法は絶対につかわない
だが
宗教は言う
そのままではいけない
あなたは
違う何者かになる必要がる
神が望んだ通りの人物に
変わる必要があると
これこそ
神への最大の冒涜だ
宗教とは
全知全能の神への挑戦状だ
神は罰を与えない
神はバチを当てない
神はあなたを変えようとしない
神は
そのままのあなたを
心から望んでいる
しかし
宗教が、教育が
あなたを違う何者かに
変えようと躍起になる
そして
あなた自身も
自分=自我(エゴ)だと
誤認してしまう
あなたに見える物は
あなたではない
エゴが見えるなら
それはあなたではない
感情が見えるなら
それはあなたではない
マインドが見えるなら
それはあなたではない
あなたを批判する
すべての内側のものは
あなたではない
入り込んだ他の誰かだ
宗教は
その誰かと
同じ作用をする
あなたを
常に監視し
批判し審判する
もし
あなたが
あなた自身を
変えようとしているのなら
その変えようとしている
張本人はあなたではない
他の誰かなのだ
だから
あなたにできる
あなたの意識としてできる
唯一のことは
その他の誰かを
あなたのマインドとエゴの
観照者として留まることだ
それ以外の
いかなる方法も
マインドトリックとなる
マインドが
マインドを変革しようとし
もし、変革が成功したとしても
それは結局マインド以外の
何物でもない
変革したふりをして
あなたを騙しただけだ
そして
あなたは
また苦悩と惨めさの中に
巻き込まれていく
その無益な動きから
抜け出すためには
意識を向け
観照者として
見守る以外の方法はない
瞑想はその練習だ
瞑想とは
意識を内側に向け
あなたを観照者としての
一瞥の機会をくれる
テクニックなのだ
宗教と言う
ひな型にハマってはいけない
神は個性を
あなたというユニークさを
欲していることを
決して忘れてはいけない
LOVE Charam
OSHOトランスフォーメーションタロット
No.21 自分を受け入れること
神はあなたという花を咲かせたい
だから、あなたをこの世に送ったのだ

