熊本での1日だけのヨガクラスに
来てくださったみなさん。
前の職場のみなさん。
友達。
家族。
私と会ってくださった皆皆さん
本当にありがとうございました。
お会いできてとってもとってもとっても
嬉しかったです(*´꒳`*)
ヨガクラスでは
みなさんのお話をお聞きすると共に
お会いしていなかった2年間ほどの間に
私が経験したことや、
その経験を通して感じたことを
みなさんにお伝えしたくて、
お話させていただきました。
そのひとつが
「おいてけぼりにしてきた気持ちは
必ずどこかでひずみが生じる」
こんなお話でした。
私が最近深々と感じていることです。
自分のこころに触れてあげることって
本当にすごくすごく難しい。
自分の本心、本質を覗き、
こころの内側の奥深くまでちゃんと
理解するということが
自分のことなのにこんなにも難しいなんて
私は最近まで気がつかなかったのです。
こうゆう人で在りたいという
自分の願望。
まわりにこうゆう人に見られたいという
欲求。
そこに向かおうとする時に垣間見える、
自分はこんな人間なんだ…
という自己ギャップ。
それだけじゃなくて
今までの経験や、思考の癖で
制限をかけてしまっていることも
たくさんあって…
心の内で願ったり望んだりするだけで
誰にも迷惑かけることもないのに
私にはできっこない。
だって私は○○だから。
って、
知らず知らずのうちに
無意識に諦めたり
自分には到底叶えられないことだと
諦めることが至極当然かのように
本当の想いをねじ伏せてきました。
それを、どうして?なんで?
自分にはできっこないって思ってるのは
どんな理由からなの?って、
自分に問いかけてみると
そこには今までずっと
長い間ずっとずっと
おいてけぼりにしてきた気持ちが
ずっと見つけてくれるのを
待っていたかのように隠れていました。
みなさんひとりひとり
おいてけぼりにしてきてしまった気持ちが
何かしらあると思います。
理由は様々で、
その時の自分に
その気持ちを自分に思い知らせるには
あまりにも負担が大きくて
抱えきれなかったり
今そこに向きあってしまうと崩れてしまう。
立ってられない。
いろいろな場合があるとおもいます。
誰だって辛い苦しいことからは
逃げたいし早く忘れたいに決まってます。
だから「おいてけぼり」にしたことが
悪いことではなくて、
大切なのは
気づいてあげる。
気づいてあげられてなかったということに
気づいてあげる。
どんなに時間が経ってからでもいい。
勇気を持って自分の心に触れてみる。
あの時、私は
本当はこんな気持ちだったよね
あの時、私は
本当はこんなふうにしてほしかったんだよね
辛かったね。怖かったね。悲しかったね。
今までよく耐えてここまで頑張ってきたね。
ずっとほったらかしにしてごめんね。
そうやってその時の自分に今の自分から
伝えてあげたとき、
私は溺れるかと思うほど大号泣しました。
もともと私はよく泣くほうではありますが
今まで流したどの涙とも違う
初めて流す涙でした。
暖かく優しくて
やっと報われたような…
そんな涙でした。
私は「できてるつもり」のことが
多々ありました。
自分を大切にするとか
自分を好きになるとか
自分を認めるとか
相手を認めるとか
思いやりを持つとか
自分らしくいるとか
人を尊重するとか
人に寄り添うとか
みんな違ってみんないい。とか
これ全部できてるつもりでした。
だってこの辺のテーマについては
今までたくさんお勉強してきました。
たくさん時間も費やしました。
だからこのテーマはもう網羅したかのように
「できてるつもり」でいました。
しかしながら残念なことに
どれもちゃんとできてなかったのです。
それはどうしてなのか…
自分を大切にできていなから。
これに尽きます。
このテーマをいったい何周してるんだろう?
トホホ…と、なりましたが、
やっぱりここに戻るんですね。
大切にできてるつもりだったのに
私の頭の中はずーーーーーっと
自分のことを責め続けていました。
なんでいつもそうなの?
どうしていつまでもわからないの?
私には無理だよ。
自分自身に対してもずっとそうだから
もちろん人に対してもずっとそうです。
なんであなたはいつもそうなの?
どうして私のことわかってくれないの?
あなたには無理だよ。
きっとイコールなんです。
自分で自分をどう扱っているかが
相手に対してイコールなんです。
自分のことを自分でどうおもっているかも
イコールで、
例えば自分のことをダメだとか、
自分はズルいとか思っていると、
人からの言動を深読みして
この人、私のことダメだと思ってるんだ…
ダメでズルいやつって言いたいんでしょ!
って、
一言もそんなことは言われてもいないのに
自分の思考のフィルターを通して
歪んで受け取ってしまうんです。
それで勝手に悲しんで傷ついて
イラついて怒って
もったいないですね。。
これ私なんですけどね。。
だから
自分を大切にしよう
自分を好きになろう
って本当に大切なんだけれど、
これがすごく難しくて
すぐすぐできるようなことじゃなくて
たくさん勉強してきて
できていたつもりでいた私も、
自分を大切にする。
自分を好きになる。
ということを少しズレた解釈のまま
これまで進んできました。
それも意味がないことはないのだけれど
結局今また壁にぶち当たっています。
なぜか、、
さきほども言葉に出したように
自分を本当の意味で大切にできていないから。
話は戻りますが、
私が溺れるかとおもうほど大号泣したとき
もしかして、
これが本当の自分ファーストなのかな…
そう思いました。
どうゆうことかというと、
今まで私は、これが私なの!
私は変わらない!
これを貫くことが自分を大切にすることだと
思ってきました。
きっとこれも間違いじゃないけれど、
これが私なの!の部分を自分で
ちゃんとわかってあげないまま
曖昧に生きてきました。
なんで私はこれがこんなに痛いのか
なんで私はこれをこんなに嫌と感じるのか
自分が反応することすべて、
掘り下げていくとちゃんと理由があって、
それは過去の記憶だったり
トラウマだったり
そこからくる不安や寂しさ、恐れに
繋がったりして、
過去に経験した気持ちが
今現在の自分の痛みや好き嫌いに
直結していたことに気がつきました。
そして本当の自分が、
自分が思ってたよりずっと子供で
赤ちゃんだったことにも気がつきました。
あの時のあの気持ちをずっと抱えたまま
今まで生きてきたんだ。
それをずっと満たそうと必死だったんだ。
自分のこれまでの軌跡を辿って
今に繋げて、
あぁ、これが本当の私なんだ。
こうやって今の私が作られてきたんだ。
ようやく私のことを、
私自身が本当にわかってあげて、
自分の心に優しく触れた気がしました。
そしてこれが本当の意味で
自分ファーストなのかもしれない。と、
そのとき思いました。
他の誰かじゃなくて
誰でもない自分が自分の本当の気持ちに
気づいてあげる。
行動でも、思考でも、
自分で自分にかける言葉さえも
自分のことを自分でこれ以上傷つけない。
私のことは私が守る。
私のことは私が幸せにする。
そうおもうことができたときに、
ずっと欲しくてたまらなかった安心が
自分の手の中にあったのだと知りました。
安心は与えてもらうものだとばかり
思っていたから、ずっと探し続けて
欲して欲して生きてきました。
でも、辛いとき、悲しいときに、
自分で自分に手を差し伸べて、
私が守ってあげるからね。って
想えるこころが在ることのほうが
誰かに与えてもらう安心してよりも
ずっと確かでかけがえのないもの。
これからもきっと私は
何かの場面で記憶の種を自ら撒いて
悲しくなったり寂しくなったり
すると思います。
事あるごとに過去の記憶と重ねて
すごく不安になったり怖くなったり
すると思います。
そこはきっと変わらない。変えられない。
だからそうゆう自分と
共に生きていく覚悟を決めました。
でも、もう私は知っています。
自分で自分を救ってあげることが
いつでもできるということを。
いつだって必要な時は
自分の手を自分に差し伸べることが
できることを。
だから私はどこに居てももう大丈夫。
とても長くなってしまいましたが
家族や友達も含め、
今回私と会ってくださったみなさんが
私のことを本当に気にかけてくださっているのがすごく伝わってきて、
それがすごくあたたかくて、
泣きたくなるぐらいみんなが優しかったから
心配しないで。私は大丈夫。
これをお伝えしたかったです(*´꒳`*)
そして私と同じようにもがいてた
あの子やあの子にも届いてくれるといいな。
こんなにも長々とごめんなさい。
またみなさんにお会いできる日を
楽しみにしています♡
2020.12.26
小浜島の海からこころを込めて。
