初めに断っておきます。
このシリーズで書かれている内容は二次創作要素を多く含みます。いわゆる自分設定なので実在の作品、人物とは別物だという理解の元お読みください。
さて前回の記事の続きです。2人の人物にどの様な共通点がありどの様に繋がるのか考えて2つの作品を間を埋めてみましょう。
島津豊久と境井仁、まず二人の共通点として挙げられるのは強さと優しさでしょうか。
強さは個人の武力だけではなく、勝つためには持てる手段を全て出し尽くす事、常識にとらわれない発想、味方の鼓舞等、戦術面での強さにおいても彼らは似通っています。
それぞれの作中、豊久は市街戦では敵と正対せず民家に飛び込んだり物をなげつけたりと攪乱を行う、防御用の護符で作る壁を足場にしたり自らを前に吹き飛ばす射出台に使う、蹂躙され戦意を失った戦士の僅かに残った意思に火をつけ自らの手による故郷の奪還へと走らせました。
仁は敵の兵器を知りそれを柔軟に自らの戦闘に取り入れる、奇襲をかけるのに必要な道具の考案や害獣の忌避剤の毒への転用、蒙古に生活を奪われた民や、寺を荒らされた僧兵の一団、かつての対馬の覇権を争った一族すらまとめ上げ蒙古から対馬を奪還する大きなうねりを作り上げました。
優しさの面の描写では、仁は作中苦しむ民の姿があれば島のどこへでも救いに向かい、また、蒙古の侵略で心に傷を負った仲間に対しても寄り添い支えとなります。
豊久は仁と比べるとぶっ飛んだキャラクターなのであまり目に見えた優しさは見えませんが異界の民に対しても蹂躙される姿に義憤を顕にしますし、故郷を取り戻す戦いを鼓舞する時も「一緒に死んでやる」という薩摩武士らしい(?)優しさを見せます。
また、共に伯父を慕っているという共通点もあります。実はこれは意外と大事な要素ではないかと思っています。
豊久は島津の退き口の際に伯父を救うために文字通り命をなげうち捨て奸を敢行しますし、仁も伯父を救う為に単身敵城に乗り込んだり手段を選ばない戦法を選ぶのです。
ある意味で、この判断を下せるというのも彼らが本家筋では無いから出来ることなのでは無いかと思うわけです。
主を護ることが出来れば後の治世まで憂いを払うことが出来る。そのためには自らが捨て駒になることを厭わないという壮絶な士道です。
そういった視点から見ると、両者の主たる伯父殿の苦悩も彼らとは別の性質の重さがあることが分かるでしょう。
この様に、2人の性質を抽象化すると大きく見ると3点ですが、3つの要素の細かい点でも似通った部分があることが分かります。
次回は相違点は何か、フレームを変えて見て考えて行こうと思います。