抽象化の訓練に役立つ思考の2つ目は色々な人を尊敬するということです。

 なんとなく良いことを言ってるような雰囲気なので最初に挙げれば良いのにと思われたかもしれませんが、何故この要素が二つ目なのかというと、私にとってこの考え方は先に挙げた争いたくないという思考の延長から生まれたものだったからです。

 


 この考えに行き着く事になった経緯を説明しやすくするために身の上話を挟みます。

 自己紹介の記事にも書いてありますが私はアマチュアでコントラバスを弾き、オーケストラに所属しています。始まりは高校で管弦楽部に入った所からで大学時代も4年間、学業を超える勢いで練習に取り組んできました。
 少し想像をしてもらいたいのですが、オーケストラには小規模のものでも大体10以上のパートがあります。部活規模だと本当は他の楽器をやりたいが空きが無かったというような事もありますが、基本的には皆自分の楽器に魅力を感じ、自分のパートに誇りを持っています
つまりはオーケストラのどの要素に魅力を感じるかは人それぞれということです。それはまた、人それぞれ視点や考え方が違うということでもあります。

 同じ曲を聴いてもメロディに耳が行くか、ベースラインかはたまたハモリか等様々な捉え方があり、またそれをどう表現するのかも千差万別です。

 この傾向はプロの音楽家でも変わらず、むしろ顕著です。私の大学の管弦楽部はプロの方が指揮を振り、また各パートごとにプロのオーケストラに所属する奏者の方がトレーナーとして指導に来て下さります。自分のパートの先生だけでなく他のパートから見た自分のパートのあり方や求める事を教わるのも非常に為になることでした。

 その状況を享受しているだけでも多角的な視点を得る事は出来ていたのですが、自分から理解を深める努力が必要になる場面もありました。

 私の所属していた期間は指揮者とヴァイオリンのトレーナーとの中があまりよくありませんでした。元々お互いに母体としているオーケストラが違うというのも一つの要因でしたが、共に解釈の違い等で練習中に議論が始まったりすることもよくありました。
 
 実際の所そんなに激しい応酬が繰り広げられる訳でも無いのですが、当時の私の視点からすればどちらも尊敬する音楽家だし、なんとなく言い争ってる様に思えてあまり心中穏やかではありませんでした。

 そんな中合宿中の練習で両者の指導が食い違って見える場面があったのですが、そこでふと同じ物を違う視点から説明していることに気づきました。

 具体的な内容としては”pp”柔らかく小さな音を出すという表現に対する弦楽器でのアプローチだったのですが、指揮の方は「吊って、脱力して」ヴァイオリントレーナーの方は「ビビらずに重さはちゃんと乗せる」という指導をなさいました。
 
吊ってと言われると上向きのイメージですし、重さを乗せるは下向きのイメージです。一見正反対の事を言っているように聞こえるのですが、実は解決したい問題は共通していました。

 弦楽器をやったことのない人にはピンと来ないかもしれませんが、”pp”を出したいと思って陥りやすいミスは音を小さくしようとするあまり「必要な分の力もかからない」事です。
 極端な例えですが、鋸で木を切ろうとする時に力を入れずに刃を表面で前後させても中に入っていかなかったりちょっとした凹凸に引っかかってブレてしまうというような事が起こるのと近い感覚です。

 この問題に対するアプローチが指揮の方の場合は肘や肩等で支点を決めてそこから先を脱力させて腕の重みを自然に乗せるという身体的な視点、ヴァイオリントレーナーの方はかける力が想像より必要であるということを認識させるというメンタリティ的な視点であったということだったのです。

 これに気付いた時、改めて両者の他のやりとりにも目を向けてみると思っていた以上に同じ様な視点の違いが主張の違いに見えるだけで実際は対立していない構図が多かったのです。

 振り返るとこの時、先生が何の問題について語っているかと、指導内容がどのような視点からのアプローチなのかということを無意識に抽象化視点を変えた事でこの気付きを拾うことが出来たのです。

 その後結果として問題と指導内容の抽象化の技術が身についた事で他の先生からの指導についても理解が深まりやすくなりました。

 このようにして私は争いたくないという思考を発展させた結果抽象化視点を変える思考の種を得たのです。そして、これは指導者のような目上の人でなくとも役立てることが出来ます。他人に敬意を払うという思考を持つことで相手の発言の意図を分析して正確に汲み取ろうというモチベーションになります。
 皆さんもまずは既に尊敬している人の言葉の意図を理解するところから始め、どんどんその対象を広げていって見てください。