きょう、ふと何のためにフラメンコしてきたのかな~なんて考えていた。
たんに、目立ちたかったのかな?
みんなに自分をわかってほしかったのかな?
それとも、素の自分でいたかったのかな。。
息子と向き合っていると、怖いもの知らず、敵がいてもいい!なんて気持ちで
大きな壁に遠慮なくぶつかっていたころの自分がとても懐かしくなってくる。
苦しい、辛い体験は山のようにしてきたけど、
そのなかで踊っていた自分に、何人かの人が駆け寄ってきて
「ストーリーがあって、感動した。」
「涙が出た」
「私はファンです」
と言ってくれた。
今は今の踊りがあるとわかってはいるが、集中して練習ができない。
時間もなければ、切実な話、スタジオを借りるお金もない。
もちろん「自分の踊りはフラメンコなんです!!」
と言ってしまえばそれなりに観客は納得してお金を払って見に来てくれるだろうけど・・・
観客に「これがフラメンコだ!!!」と情熱的なものを届けたいと思う反面、
実はそれを許してない自分もいる。
おそらく「フラメンコとは何ぞや?」ということ自体に興味を持って渡西した人の通る
一つの大きなトラップじゃないかと思う。
知っている人でも、ネゴシオ(ビジネス)として教室を開いている人はいる。
それはそれで、その中に十人十色、モチベーションがあるから素敵なこと。
でも自分はそれができない。
「教室を開く」というと、いろいろとこうしたらいいとかアドバイスをくれる人もいるが
そもそも、私の価値観とは全く違っていたりする。
もっとアートとして、
メンタルや人生そのものの中のフラメンコを感じてほしいということを伝えていきたいだけなんだよな。
そう感じると表舞台より、裏舞台の方があっているかもしれないな~と最近強く思う。
それがお金をいただけない環境でも関係ない
・・・そこは妥協してない。
今、ライブのお誘いをいただいています。
すごくありがたいです。とてもとても嬉しいことを言ってくださって。
前向きに考えながら、慕ってくださる生徒さんにありったけの知識を伝えていくつもりです。
・・・それが私の感じるフラメンコ。
多少不自由でも仕方ないわ。