こんにちは。

花冷え、花盛り、花曇りと、花々しい花の饗宴が見られる今日この頃ですねチューリップ赤コスモスヒマワリ 

躑躅も藤も咲いています。

昨日は蜂ハチにも遭遇しましたびっくり


私ごとになりますが、週の初めに肺炎で入院していた叔母が退院した日の事を書きたいと思います。


母が幼少の頃から病気がちだったので、私が産まれてから、叔母や祖母がずっと同居をしていました。

こどもの頃通っていた音羽ゆりかご会の練習やテレビ局や舞台(当時は週に3、4回行っていた)も、母の代行の叔母と行った事が多かったのを覚えています。


家でも歌の練習をしたり、私がピアノで伴奏を弾けるようになると、母や祖母、叔母からのリクエストで童謡唱歌を毎日のように弾いて、家族で歌ったものでした🎹ルンルン


当時、川田正子先生の歌のお教室で使用していた童謡の楽譜があったので(普段のピアノの練習えーんより楽しく弾いていた気がしますウシシ)それを弾いて歌っていたんです。

今でもうたう会のみなさんと童謡唱歌を歌う時にはもちろん使っていますョびっくり


おそらく皆さんはラジオやレコード、テレビから耳にしていた、あの懐かしい前奏から後奏までが一曲の歌となり、皆さんも懐かしい伴奏で歌いだして、間奏もちゃんと耳に残っていて歌ってくださっていますね。


話がそれましたが、、

退院の当日に叔母におきた事をお話します。

叔母は認知機能が衰えて、私の事も自分の娘たちの事も覚えていない状態で、たまーにどこかで思い出してくれてるのかな?とニコリと微笑んでくれる状態です。

施設に戻った時40分位一緒にいられたので、あなた誰?という状態でしたが

歌、歌おうか!?と言ってみました。


あの歌しかない!と私が思ったのは、

みかんの花咲く丘です。

私が歌いだしたら、叔母も一緒に歌いだしました。

もちろん歌詞はちゃんと出てくる。

それより驚いたのが、叔母はなんと、あの前奏から歌い出したんですびっくり

私が歌うと、間奏も後奏も全部歌っていました。

40分のうちに、合間で4、5回繰り返して

叔母は伴奏、私が歌を繰り返していたら

叔母の顔が突然変わって、飛びきりの笑顔で、あー!!って言って涙ぐんで喜んでくれたんです。


そこでもう退出の時間になってしまって残念だったのですが、叔母の頭では何かが開いてとうとう今を見たような瞬間だったのかもしれません。


これがまさに音楽療法です。

音楽療法の現場では、寝たきりで目も覚まさない方が歌を聴いて涙を流されたり、突然素晴らしいアルトで歌いだしたり、若い頃に戻って歌って心が浄化されたり、血圧が下がったと仰った方もいらっしゃいました。


人はいつも音楽と暮していたあの頃

今の時代もそうなのかもしれないけれど、、

ラジオもなかった唱歌の時代

ラジオしかなかった戦前戦後、みんなが同じ歌を聴いていたテレビの時代、名曲に溢れていた昭和歌謡

人にはそれぞれ、懐かしく、いつしか体に心に染みついていた音楽があり生活があった。

その中に喜怒哀楽があり、一生懸命に生きぬいた経験もあった。

懐かしい歌と共に、家族を人を家の中のラジオがあった場所までも思い出して。

それを涙に変えた時に、思い出に変えた時に心は浄化されて明日への希望となっていく。

久しぶりに叔母の本当の笑顔に会って、そんな気持ちを持った日でした飛び出すハート


音楽療法と言っても方法は様々ですが、

どなたかおひとりでも、歌った歌で(聴いた曲で)明日への望みを持ていただけたならば、心が軽く明るくなって貰えれば嬉しい限りでございますチョコ


皆さんも心と唇に歌を、いつまでも持ちつづけてくださいね😊