1951年7月4日、甲子園球場に48671人の

観客を集め、二リーグ制初めての

“オールスターゲーム”が開催されました。

 

この時の観客数48671人は、

「オールスター戦の最多観客数」として

現在も残っている記録です。

 

結果は「セ・リーグが2対1でパ・リーグを

下しています。」

又、初めてのMVPは「巨人軍の川上哲治さん」

です。

 

監督は「セは天知俊一(天ちゃん)さん、

パは湯浅貞夫さ」でした。

 

私達にとっては、憧れレベルの選手がキラ星の

如く並んでいます。

 

「セの投手陣は、別所(巨人)、金田(国鉄)、

杉下(中日)、長谷川(広島)」等が並び、

「バッター陣には、千葉、川上、藤村、青田、

小鶴さんに西沢選手が加わります。」

 

「パ・リーグも、飯田、山本、別当、大下さん」

等が並ぶ錚々たる布陣ですが、巨人、阪神を

核とするセ・リーグには、人気の面で大きな

差が歴然としていました。

 

プロのスポーツの看板に「大相撲」と並んで

躍り出てきて間もないころのことでしたが、

観客数にも表れていますが、

日本中を沸かせるスポーツイベントとしての

第一歩を踏み出した試合でした。

 

私は男ばかり3人兄弟の二番目ですが、

伯父の一人が「中日新聞社」に勤めており、

殊更、野球、ソフトボールと中日ドラゴンズには

愛着を持って育てられたような気がします。

 

小学校に上がる前に、バットとグローブとボールを

買ってもらい、しょっちゅう、兄とキャッチボール

をしましたし、近所の子供が集まれば、

ソフトボールの試合をしたものです。

 

場所は、通常は、八幡神社の境内で、そこには、

ホームベースから一、二、三塁ベースがマークされ

いつでも、その場でできるようになっていました。

 

八幡さんの拝殿の屋根を超せば「ホームラン」です。

気を付けなければいけないのは、一二塁間の先に、

社務所が有り、ガラスの窓が貼られていましたので、

そこへあたると「アウト」ですし、割ってしまった

場合は、「弁償だよ」と脅されており、

そちらの方向だけは必死に避けていたと記憶して

います。

 

又、拝殿の屋根を超すような当たりは、

小学生ではほとんど無理でしたが、

稀に、高学年の人や、中学生が入った時に

その打球の飛ぶ方向を目で追いながら、

「自分もいつかホームランを打ちたいもの」と

憧れた思い出が有ります。

 

神社の境内の他には、

「矢作川の河原、砂浜」、

「無栽培期の田んぼ」など、

ソフトボールのグラウンドに早変わりした

ものです。

 

あの頃の自分のした遊びの数々を

思いだしてみますと、

「ソフトボール」、「ドッジボール」、

「S字やっこ」、「つかみやんご」、

「チャンバラ、鞍馬天狗」、「ポンツク(魚捕り)」、

「けんぱん(めんこ)」、「カッチンビー玉)」、

「トランプ」などなど…

 

遊びに遊びまくった子供時代でした。

懐かしく、ありがたい気持ちで、

おやじ、おふくろ、おじいさん、おばあさん、

おじさん、おばさん、みんなニコニコ顔で

浮かんで来るのも何とも言いようも有りません。

我家の“リオ君”ですが、

昨日、「虫取り網とかご」を

買ってもらい、

家の中で大はしゃぎです。

 

いつの間にか、

虫かごの中は

「トミカの自動車」で

満杯です。

 

網の柄も長く伸ばすと

150㎝にも伸びますので

家の中で振り回されると

回りが大変です。

 

小さなボタンも、

トミカの車も、

炬燵や机の上のものなど

全てが取りあえず

「虫捕りの練習台」です。

 

次のお休みが、

楽しみと心配が交錯する

“リオ君”です。

今日もよろしくお願い致します。

 

アンクリエイト