今日の記念日も夢の溢れる
心楽しい“記念日”です。
1877年(明治10年)の今日、アメリカから
ES.モース博士が横浜港へ来日しました。
来日した翌日、6月19日には、横浜駅から
新橋駅へ向かって「汽車」に乗っていましたが
その車中で“貝殻の堆積”を発見しました。
東京、品川区の“大森貝塚”の発見です。
早々に、発掘作業に取り掛かり、
“大量の貝殻、土器、石斧、石鏃、鹿や鯨の
骨片、人骨片など”発掘し、
同年10月号の“ネイチャー”に記事を投稿、
発表しました。
日本では初めての発掘調査であり、
日本の“考古学の出発点”となりました。
“大森貝塚”は縄文時代後期から末期の
遺蹟として認定され、そこで発掘された
発掘品は現在も「東京大学」に保管されており、
全て“国の重要文化財”に指定されています。
この日本で初めての“発掘調査”には、
もう一つの逸話もあります。
実は、ほぼ時を同じくする頃、
有名な「シーボルト先生」の次男坊である
「ハインリッヒ.フォン.シーボルトさん」も
“大森貝塚の発掘”を試みていたという
ものです。
こちらは、その発掘報告を「デンマークの
コペンハーゲン博物館」へしています。
どちらが「先」のものであったか、
「先陣争い」が繰り広げられた感も
ありますが、「シーボルトさん」の方は、
本業は「外交官」であり、
もともと「貝の研究」で功績も残す
「モース博士」に軍配が上がったという
ことのようです。
私も昔のことですが、山陰地方の現場で
「発掘」のアルバイトに携わったことがあります。
一日中、根気よく、土を引っ掻く繰り返しの
作業でしたが、性格も有りそうですが、
私なりには結構楽しいアルバイトでした。
又、小さいころのことですが、通っていた
小学校の近くにある「長根山」という
「山」とも言えぬほどの「丘陵」で
「貝の化石」が見つかったという噂が
子どもたちの間に広がり、
私も、早速、ハンドスコップと草掻きを持って、
「長根山」へ行きました。
いくつかの“貝の化石”が本当に出てきて、
嬉しくなり、先生に届けたことも思いだされます。
未来への“夢”と、
過ぎ去った道程を振り返る“夢”とは
確実に共通するものがあるように
思います。
我家の“リオ君”は“発見”の
名人です。
冷蔵庫の中段までは手が届きます、
一番下には、“アイス”、その上の
引き出しには“ゼリー”があります。
もう頭にしっかりと入っていますので、
自在に開けて取り出します。
ただ、閉めるのがおざなりのようで、
冷蔵庫が「開いています」と警告を
してくれる声が聞こえます。
表に出ても、庭に限らず、
一度通った道は、ほとんど覚えている
ように思えます。
頼もしい“リオ君”です。
緊急事態宣言、解除です。
多くの人が待ち望んでいましたが、
前のめりになってもいけません。
着実に、本来の平常に
戻りますよう、
力を合わせる心掛けが
必要ではと思います。
よろしくお願い致します。
アンクリエイト

