私は実は、「衣装」を着ることが多い生活をしてきた。
2016年に伯父が亡くなるまで、日本とアメリカ、そしてカナダの3カ国を移動して、エンターテイメントの仕事のみをしていた私は、自分自身が毎日着る服は、ほとんどが「ダンスウェア」か、「衣装」か、「ワンピース」だった。
普段着に「ワンピース」が多かった理由は、ただひとつ・・・。
全部脱いだら1回で着れる楽な服である。
と、いうこと。
本当に、恥ずかしい堕落した考えからなのであるが、これ、小学生からずーっとそうなのである。
朝、起きるのが苦手すぎる私に、どうにか「ちゃんと」させたかった母親は、全部脱いだら、スポッと着れて、なんとか「普通の女の子」に見えるように・・・という苦肉の策だったらしい。
でもそこから数十年経っても、私の「着飾る」という感覚の行き着く所は同じだったところに少々驚き、そして呆れるが、やっぱり何を置いても
とにかく、楽なこと。
これ、鉄則である。
そういう意味では、エンターテイメントの世界、特に舞台の上で生きることはとにかく「着る」という点で、これほど楽な世界はない。
劇場の幕が開けば、あとは、シーンに合わせて、用意されている衣装を順番通りに着れば良い。
そして、それは、有能な衣装部さんによって、すばらしく考え抜かれていて、シーンにピッタリ合う服であり、私のサイズで作ってもらっているから、サイズにしてもデザインにしても、私にとってもピッタリ服なのである。
そうして考えてみると、普段着だって、舞台と同じく「衣装」を用意しておけば、何も考えずに、スポッと着れるのではないか・・・。
うちはどちらにしても、伯父が急逝した後、うちの事業(繊維業)を少しだけ受け継ぎ、「友達のために服を作る」・・・というコンセプトの小さなブランドを細々とやっている。
ファッショナブルな業界の友達のために、うちの一流の腕を持ったドレスメーカー達が服を作っているのであって、私は何もしてないのだが、今まで、私のための服は「サンプル」という名の、試し製作のためのものだった。
自分の服なんかどうでもいい私は、何も気にせず、とりあえず、あまっているものを着ていたのだが、この際、この究極なズボラな私も、ちゃんと自分の原型を作ってもらおう。
そして、究極に何も考えずに日々、服を着れるように、「衣装」的なものを揃えていってみようかな・・・。
それが、1番、楽なのでは・・・。
そんなことを思った今日。