1.南朝を中心が支えていたというのは幻想である

 

 南北朝時代は、我が国の歴史上、国家統合の源である皇統が分裂して互いに正統性を争い、武家もそれぞれの利害対立から異なる皇統を旗印にして抗争した、極めて希な時代である。

 

 特に、観応の擾乱においては、足利尊氏の勢力、足利直義の勢力、南朝と3大勢力に分裂して全国で戦乱が続いており、日本版三国志ともいえる。

 

 本書は、南北朝時代において南朝・北朝のいずれも深刻な内紛乃至内輪揉めが頻発していたことを紹介し、特に楠木正成に代表される南朝の忠臣の実態を明らかにしようとするものである。

 

 また、本書では、南朝方で戦った武士や貴族が、意外に後醍醐天皇に反発している事例が数多く紹介されている。確かに、尊氏方、直義方、南朝方の間で所属勢力を替えた武士の例は多いし、楠木正成の次男でもある楠木正儀ですら一時は南朝を見限って北朝側で戦ったこともある。

 

 南北朝時代の武家や貴族は、基本的には自らの勢力の利害関係に基づき、例えば不倶戴天の敵が直義側にいるから尊氏方について戦うというように、所属勢力が成り行きで決まっていく例が多いといえる。

 

 また、著者が特に南朝内部における政権構想の不一致(例えば、後醍醐天皇が北宋のような皇帝独裁に近い親政を志向したのに対し、護良親王は後醍醐天皇を頂きつつ自らが征夷大将軍となって幕府のようなものを使って統治しようとした)を見出したことは秀逸である。

 

 

2.著者は一体何と戦っているのやら…

 

(1)今更ながらの皇国史観批判

 

 しかし、随所で皇国史観を挙げて批判することが目につく。皇国史観が戦前に主流だったとしても、21世紀においては何の影響力もないにもかかわらず、やけに皇国史観のことを意識しすぎているようで無益なことである。

 

 著者は、南朝に忠臣などいなかったかのように筆を進めている。例えば、護良親王が後醍醐天皇を恨めしく思っていたこと、楠木正成が湊川の合戦に臨むに当たり自らの作戦を却下した南朝首脳を批判していたことから、彼らが忠臣ではなかったかとの印象を抱かせる書きぶりである。

 

 おそらく、南朝から連想される忠臣イメージを批判する関連で皇国史観批判をしているのであろう。

 

(2)忠臣イメージの固定観念

 

 だが、主君に対して批判的であることを以て、忠臣であることに疑義が呈されるのは安直ではないか。

 

確かに、忠臣の中には何らの文句や不満も述べずに黙々と主君のために仕える者もいよう。しかし、忠臣は主君が栄えることを思ってこそ、諫言を申し上げたり時に批判をしたりすることもあるのも真実である。

 

南朝方で戦った武士達は、南北朝時代が「昨日の敵は今日の友」という時代だったことから、合戦で負けそうになって一族が滅びかねない状況になれば、北朝に下ることもできたのである。新田義貞は清和源氏の棟梁として足利とは不倶戴天の敵であったから北朝に下ることはできなかったとしても、楠木正成には北朝に下るための障害はない(現に次男の正儀は北朝に下った)。にもかかわらず、楠木正成はどんな逆境でも最後まで南朝のために戦って死んだのである。

 

著者は南朝方の武士や公家について忠臣とはいえない例を挙げているが、逆に、楠木正成が一貫して後醍醐天皇のために戦ったことが際立つことになり、著者が批判した皇国史観の象徴的存在である楠木正成が逆に忠臣として輝いて見えることになるという皮肉である。

 

(3)歴史の教訓を安易に現代政治に結びつけて論じる空しさ

 

 本書は、以上の忠臣イメージの箇所を除いて読めば、南北朝時代を詳しく知ることができ、知的好奇心を満たしてくれる面白いものといえる。

 しかし、時々、停滞した政治体制を倒して善政を行おうとしたが内部対立を繰り返して転落していった建武政権を、2009年に成立した民主党政権に擬するのは無粋・安直である。

 

 また、最後の「正しい歴史認識と健全な愛国心」の節で、

 

 正しい歴史認識と健全な愛国心は、自国の優れた部分を過剰に賛美したりしない。もちろん他国や他民族を誹謗中傷するなど論外である。おだやかで控えめで謙虚である。過度な自虐に陥ることも決してない。

 

などと現代の諸外国との歴史認識論争の問題を引き合いに出すのは唐突であるし、南北朝時代をテーマにした本としては無理矢理である。時事的な問題に急に首を突っ込めば良心的な歴史家であることをアピールできると思ったのであろうか。

 折角、南北朝時代の歴史読本として面白かっただけに、完成度を下げるようで残念である。