双子が小さかったら

まだ可愛げがあっただろうか


身体の大きさとのギャップが

どんどん開く


可愛げも希望も
なくなっていく



人工呼吸器をつけた写真を

見たとき

ああ生きていてくれてよかった、と


他人の私でえ
思ったのに。


きっとその場にいたら


生きていてさえくれれば

それでいい、と


誰しもが願ったはずである



なぜ結婚したのかと

自分自身に問うときもある


答えは
しあわせな未来を
想像したに過ぎない



このひととなら、と。



さまざまなブログを見ると

不倫されたり
DVされたり
借金されたり
病気になってしまったり

家庭内は

予想していなかったことが
起きるもので

その当事者たちだって

不倫されたり
病気になる未来を

望んでいたわけではない


『こんなはずではなかった』
はずだ。


私はといえば

それが

障害児育児が予想を遥かに超えた
大変さだった、ということ


結婚した当初から
双子の障害は疑っていた

何かあると感じていた


それでも

支援が繋がれば

家族笑って過ごせると
夫となら
乗り越えられる、と


しあわせな未来を

想像していた



私の予見不足

知識不足

あるだろうが



なぜ結婚したのかと

他者から責められる筋合いは

一ミリもない



他者批判をできる人は

全てを予見し全ての知識があり
全ての未来を予測できているのだろうか


その能力を

もっと有意義に使ってはどうか。


その能力をもってしても

うつ状態にあるということを

理解できないのであろうか。



私もできるなら

その能力がほしかったです。



双子の発達外来と
心療内科受診のため

一度戻ってきました


夫にも
医師から説明してもらいます



明るくもない
このブログを書きながら


それでも
光を探してしまうのは

なぜなのだろう