先週、家の修理の件で対応に時間がかかっていることや

担当者を変えて欲しい旨をハウスメーカーに連絡したところ


いつまでも決まらなかった修理の日があっという間に決まり、

昨日、無事に修理が終わりました


修理自体はものの10分で完了!

担当さんの後任の代わりに、上司の方が対応したくれて

連絡も丁寧ですごく助かりましたニコニコ


担当を変えて欲しい気持ちに気付けず、気付いても言うのに迷い

いらない時間を使ってしまったけれど

言えて良かったし、これからも言っていこうと思えた一件でした


リブログ先の記事の


世界中の人が全員優しい人だったら

悩みが消滅するし、

失敗を恐れることなく、自分の責任を自分で取ればいいだけだから

焦らずに冷静に物事を判断していけばいいだけ


と言うのが、やっと私の中に入ってきた



私の世界がほんとに冷たすぎる

母親に愛されない自分だから、周りの人にも愛されないだろう

って、母との関係のまま世界をずっと見てきてしまったので


理解として世界は暖かいを知っても、

それがどんな事なのか体験しないと

いつまでもわからないままで

ずーっと冷たい世界の住人だ




私は日々家で子どもたちと過ごしていて、

コロナ明けなのにステイホームな毎日だとしても

どうやったって社会との繋がりはあって

その機会で、ガシガシ世界が暖かいを証明しまくっていきたい



リブログ先の記事の、ナリくん的でいいなあと思うのが

この世界には優しい人しかいない、

でも、悲しくて優しくできない人はいる

という部分


みんな本当は優しいのに、

あまりにも自分の悲しみで優しくできなくなる

そういう人は、一見悪のようにも見えてしまうけど

それはただ、その人がそんな風に言わないとやってられない精神状態だったんだ

っていう解釈、説明がステキキラキラ



うちの母なんかは、特に悪の代表みたいな感じだし

私もそんな悪の化身みたいで

完全に黒歴史でしかない


人のことを傷つけたくないのに、

口から出る言葉は、自分を棚に上げて人を傷付ける言葉ばっかりで

それも自分の大事な家族に向かっていたなんて

どんだけ最悪なんだよー!!って思う

時間を戻せるなら戻したい!!!




実際、自分が冷たい世界で生きていると

悲しい人に会いやすいし、悲しい言葉を受け取ることがあるのもその通りで、


私も以前、

ある時意味不明な比較や否定のような言葉を受け取り

あまりの意味不明さにムカつくやら悲しいやらで

本当に腹が立ったことがあった


本人にも「そんな風に言われると悲しかった」とは伝え、

私自身も発散してクソノートも書きまくったもやもやもやもやもやもや


でも、どこか納得しきれていなくて何だか消化不良だったけど

リブログ先の記事にもある

「言わないといけないくらい精神的に不安定だった」

「あなたを否定することで一時的な安定を感じたかった」

という考え方がスッと私の中に入ってきて


「そっかー!ほんわか」ってやっと消化したような気持ちになった

きっとこれまでも、同じような文は目にしていたんだけど

繋がる時が来ないと繋がらないものなのねタラー



私も悲しい人だし、その人も悲しい人だった

そういう言葉や態度を受け取るのも

お互い悲しい人同士だったからだし



私はもう、その人の悲しい言葉を聞く必要はなくて

どんな言葉や態度を受け取るか、

自分で選んでいいんだもんね



ずっと、悲しみ日本代表みたいなうちの母に似た人の言葉、価値観、態度を

大事にしなきゃいけないと思ったり、

無意識に取り入れまくってきたけど

それももうやめていきたい



今回ハウスメーカーさんに伝えたように

落ち着いて自分の気持ちをまとめてから

これからも、嫌なことには嫌だと伝え

こうして欲しいということも伝えていきたいな



今日は早速、

次男の小学校に行って、先生方にお話する機会があるので

落ち着いて行ってくるー!


わかんないことは、実際に行動してみないと

いつまでもわかんないもんね