東京駅におけるJR東海東海道新幹線ホームは14番線~19番線。南北方向に伸びる東京駅のホームの東側(八重洲口側)にあるが、そのうち14番線と15番線があるホームだけ線路の突き当たり部分(北側)が東北新幹線をはじめ在来線ホームに沿うように湾曲しているのは、東海道新幹線の建設が始まる前は東北・上信越線の列車の一部が東京駅まで乗り入れていた時に使用していた在来線ホーム跡に建設したためと、実現はしていないが将来東北新幹線が開業したら直通運転させる計画もあったためらしい。
 15番線の上野側(北側)から品川側(南側)を眺める。
 列車が停まっている16番線とは手前側に向かって湾曲して離れているのがわかる。


 東海道新幹線の北側は突き当たり。


 東海道新幹線のホームと在来線ホームとの間に東北・上越・北陸新幹線のホームがあり、こちらは20番線~23番線となっている。東海道新幹線の14番線と東北新幹線の23番線は隣り合っている。23番線に停車しているのはJR東日本E7系で、新潟新幹線車両センターF32編成「とき315号」新潟行
 20番線にはE5系+E3系が入線してきた。

 長野発北陸新幹線「あさま610号」が22番線に到着。折り返し「かがやき50ら号」金沢行となる。
 同一ホームに「あさま」「とき」「はくたか」「やまびこ」「つばさ」といった列車が並ぶと東北新幹線や上越新幹線が開業する前の上野駅在来線特急列車黄金時代を思い出す。

 前回記事では私が高校時代にはまだ各地で運転されていた長距離鈍行夜行列車について触れ、その中でも通過駅が多かった「大垣夜行」を利用していろいろなところへ行ったことについて回想したが、格安高速夜行バスなど無かった時代…カネがない高校生や大学生にとっては今では信じられないかもしれないが、急行型車両で冷房付きというのは破格のサービスだったし、前回記事で触れた通り東京通勤圏の小田原あたりまでの終電的役割も担っていた列車だったから確実に座席を確保したかったら発車2時間前くらいからホームの乗車口に並んで待っていなくてはならなかった。
 真夜中の静岡駅や浜松駅あたりで下車する乗客なんてほとんどいなかったから東京駅発車時点で通路に新聞紙を敷いて座る羽目になったらまず名古屋あたりまでそれが続くと思った方がよいほどの人気列車だった。
 前回記事では「大垣夜行」の追憶を辿って…と述べたけれど、この列車が変化した姿の「ムーンライトながら」も既に無く、限られた時間で遠方に出かけて手早く日帰り「乗り鉄」を楽しもうとすればどうしても新幹線や特急列車のお世話にならなくてはスケジュール的にも若くない年齢的にも厳しいものがある。いま思えば、よくあんなボックスシートの車両に6時間も7時間も揺られ、さらには冷房もなくて昔の人の標準体格に合わせた旧型電車や旧型客車に乗り継いで何時間も揺られて平気だったものだと思う。しかし、同じボックスシートに乗り合わせた見知らぬ人々と打ち解けてゆく時間は楽しいものであったことは間違いないし、自分より少しだけお姉さんである女子大生などは会話も噛み合うし、優しく接してくれるし純真無垢だった私には嬉しいひとときでもあった。現在の若い人たちには別の楽しみ方がいくらでもあるとは思うけれど、こういう楽しみ方はあまり縁がないのかと思うとちょっと不憫な気もしてくる。

 さて、頻繁に発車する東海道新幹線…さっさと乗車して目的地へ向かえばいいのに…と、思われるだろうが、私もそうしたかった。しかし、下車駅から乗り継ぐ列車の指定席券を座席表から購入しようとしたら空いていたが、隣の座席が埋まっていたから1時間後の列車にしたからである。さすがに現在の状況で見知らぬ人が隣に座っているというのは避けたいし、私がやりたいことも差し控えせざるを得ないだろうからだ。

 そして東京駅を11時09分発の「のぞみ27号」博多行に乗車した。

 JR東海N700系G24編成だった。何年振りかの東海道新幹線…N700系Sに乗車してみたかったが…。

 ところで、N700系には何度も乗車しているが、こんなに背もたれが小さかったっけ…?E5系やE7系の座席の背もたれの方が大きい(高さがある)し、ヘッドレストの高さも調整できるからちょっと見劣りするかな。まあ、登場した時期、つまり設計時期を考えると仕方ないのかもしれないが…。

 列車は定刻に東京駅を発車、品川・新横浜と停車して乗客を集めてゆく。

 高層ビルが消えて住宅が少なくなった相模野を駆ける列車の車窓からは富士山がくっきり眺められる晴天。
 これは新富士駅通過前後での富士山の眺めに期待ができそうだ。

 列車が小田原駅に近づくと富士山は箱根の山に隠れてしまって一旦車窓から姿を消してしまう。
 小田原駅を通過して少ししたら列車はかなり減速したが、熱海駅手前で再び加速。
 熱海駅は東海道新幹線で唯一開業当初から通過列車の待避ができない2面2線の相対式ホームの駅だが、そのような駅が多い北陸新幹線をよく利用する私には違和感が感じられない。

 三島駅を通過して再び富士山が姿を現すが、沼津市に入ると愛鷹(あしたか)山に阻まれて再び姿を隠してしまう。
 誰が言ったか…
「美しい富士山を巡って愛鷹山と争った恋敵の山が愛鷹山に海まで蹴飛ばされて伊豆大島になった」
のだそうで、愛鷹山はよほど富士山を独占したいのか沼津市街からは眺めることができない。
 富士山が愛鷹山の山裾から再び姿を現すのは富士市に入ってからである。
 愛鷹山の山裾が低くなり、再び富士山が車窓に現れた。

 東海道新幹線の車窓で一番富士山が雄大に眺められるのは新富士駅を通過して富士川の橋梁にさしかかるまで。下り列車ではそこで富士山とはお別れとなる。
 ちなみに下り列車だと富士山が最も美しく雄大に眺められる頃には車窓の後方に過ぎ去ろうかというあたり…上り列車の方が楽な姿勢で眺められる。
 富士山を背景に富士川を渡るシーンは開業当初からさまざまな書籍やテレビの画像で採用されている定番の撮影地。それを車内から撮影するとこのようになる。天気に恵まれてよかった。
 余談だが、長距離トラックドライバーだった頃、関西方面から東京に戻ってくるときに冬のよく晴れた正午前後に東名高速道路の清水ICを通過して袖師トンネル・清見寺トンネル・奥津トンネル・薩埵トンネルと、連続する4本のトンネルを抜けて由比海岸に出たとたん目の前に広がる駿河湾と海岸線の向こうに鎮座する富士山の絵に描いたような組み合わせが好きだった。清水から蒲原にかけて湾曲する海岸線の向こう側に富士山が見える絶好の風景なのだが、運転中でもちろん撮影などできないからそのような画像は持ち合わせていないし、たとえ車の助手席に座っていて撮影したとしても路面が写ってしまうから味気ない写真になってしまうだろう。
 新東名高速道路が開通し、その頃に管理職となって乗務することもなくなり、もう何年もその景色を目にしていない。

 浜松駅を通過してまもなく進行方向右側に在来線の線路が広がってその向こうに大きな建屋が見えるが、これはJR東海浜松工場で、東海道新幹線のすべての車両の全般検査などが行われている。
 このあたりにはトラックドライバーだった頃に荷物を運んで来ていたこともあって、動画の冒頭で新幹線を跨ぐ跨線橋を超えてゆくと新幹線の工場内の線路を渡る踏切があって、運良く(?)新幹線車両の工場内での移動があると長々と踏切で引っ掛かることがあった。このあたりにももう十数年は来ていないだろう…。

 前述の富士川を渡るシーンと並んでもうひとつの東海道新幹線の定番撮影地が浜名湖。
 浜名湖を渡る列車を並行する道路のあたりからさつえいしたものなのだろうが、幼かったときに眺めていた絵本にそんな写真があった記憶が微かに残っている。

 次回に続きます。