「父ちゃん、そろそろ母ちゃんクイズの答え合わせの時間だよう❗日課なんだからいちいち言われなくてもいい加減自分で答え合わせの準備をできないのかえ?」
「いつから日課になったんだ?」
「というわけで正解発表の時間だよう🎵」
「人の話を聞きなさ…」
「ぼんやりしてないで早く解説を始めないかえ❗」
「それではヒント画像を逆戻ししつつ解説することにいたします
」

戦国時代…「義の将」といえば越後・春日山城を本拠としていた上杉謙信。
甲斐(山梨県)の武田信玄と長年に渡り争い、一説によればこれがために謙信も信玄も天下を取れなかったとさえ言われるほどの大将でした。
もし、この両雄が手を握れば信長も秀吉も家康もなかっただろうと言われます。
越後と甲斐の間にある信州・川中島で5回に渡って戦火を交え、結局決着がつかなかったことは誰もが知るところですが、先に病死したのは武田信玄。
信玄は跡を継ぐ勝頼に
「よいか。父の真似をして天下を治めようなどとは思うな。これからは謙信を頼れ。わしは謙信と争い続けてしまったが、あの男なら腹を割って話をすれば必ずや力になってくれるであろう」
と、言い遺したそうですが、勝頼が謙信を頼ったのはずっと後になってから…織田・徳川連合軍に攻め立てられてどうにもならなくなってからでした。あまりにも遅すぎる決断、そして謙信も世を去ってしまいます。
ヒント画像の幟の全体像はこちらでした。これは出題した駅の2つ隣の直江津駅での撮影です。
山梨県の甲府市に行くと信玄だらけですが、こちら新潟県上越市は謙信だらけ…如何に郷土の英雄であるかがわかります。
余談ですが、群馬県高崎市から長野県を通って上越市へ至る国道18号線の長野・新潟県境にバイパスが開通して信越大橋という長い橋が架けられ、開通式の前にこの橋の上で長野県側を武田軍、新潟県側を上杉軍として綱引き大会が行われたのだとか…。
結果は武田方が勝ったと聞いていますが…ご存知の方はいらっしゃるでしょうか?
さて、こちらは江戸時代になってから春日山ではなく平地の高田に設けられた高田藩の城である高田城址である高田城公園。


高田城公園は「日本三大夜桜」のひとつとしてが有名です。
新潟県上越市は昭和46年(1971年)に高田市と直江津市が合併して誕生した地域で、上越新幹線や上越線がその名の由来としている上越国境(上州=群馬県と越後=新潟県)という意味ではなく、新潟県上越地域(新潟県は西から上越・中越・下越)であることから由来しています。
なぜ県庁所在地である新潟市がある地域が下越で遠く離れた上越市が上越なのかというと、京都に近い方から上・中・下越としているからだと思われます。旧国名でも前とか中とか後というのはすべて京都中心ですからね。
現代においても東京23区の住居表示では皇居に近い方から1丁目・2丁目…となっていることはご存知でしたか?
また、現代では新潟市が県庁所在地ですが、昔の越後国の国府や国分寺が置かれていたのは上越市の旧直江津市域です。

こちらは高田郵便局。

高田城址公園の斜め向かいにあるこの郵便局は地方の郵便局としてはずいぶんお洒落な外観です。

上越市は「日本郵便の父」と言われ、現代に続く郵便制度の基礎を築いた前島密の生誕の地。
それが理由なのかどうかは知りませんが、高田城址公園に桜見物に行った時にあまりにもお洒落なエントランスだったので撮影したものです。


そして駅へ向かう途中の商店街で見かけた元祖郵便ポストの「書状集箱」(複製)。

思えば普段何気なく見かけている郵便ポストも投函口などに工夫の跡を感じます。ニュースで見ましたが、今までは3.5cm厚(投函口は4cm)だったものが新たに7cm厚の封筒まで投函できるポストが登場したようです。
現在のどころ、東京・埼玉・千葉・神奈川・静岡・愛知・大阪・兵庫の8都府県のごく一部の郵便局に設置が始まったらしいですが、今後は徐々に取り替えられるのでしょう(但し、地域区分局のような大きな郵便局前のポストのみとのことで、特定郵便局前や道路の脇などのポストは相当先のごとになりそうです)。

同じ上越市にありながら、駅の規模としては直江津駅の方が旧信越本線と旧北陸本線のジャンクションであり、日本海縦貫線の要衝であることからはるかに大きいですが、官公庁や商業の中心は高田駅や春日山駅周辺で、駅周辺の賑わいは高田駅の方があります。
「父ちゃん…」
「ん…?」
「解説長過ぎ」
「す、すまん…
」









