約10分間の停車時間を経て糸魚川駅を発車した列車は軽快に日本海沿岸を進みます。

 青海駅。
 トラックドライバーとして駆け出しだった若い時代…この駅近くで荷物を卸してから国道沿いの小さな食堂に遅い朝食を食べるために入ったら…。
「お兄さん、時間ある?」
「あるよ」
 食堂のおばちゃんが店の裏の海を指差して
「あの船、うちのお父さんの船。もうすぐ帰ってくるから獲れたてのお魚をお刺身にしてあげるよ」

 あのときの刺身定食の旨かったこと…いま、車でドライブしても見つかりません。あれから40年近く経ちますから…。

 親不知駅。
 親不知駅の脇には北陸自動車道が海の上を通っています。
 その先の親不知IC付近には道の駅「ピアパーク」があって、国道8号線から入って浜辺に立つこともできます。
 しかし、この国道8号線をドライブしていても道の駅で食事することは…というよりしたことがありません。
 親不知付近だったら県境を越えて富山県側に入って「鱈汁」を食べに行くか、新潟県側でも別のお店で魚料理を食べに行くものですから…。

 列車はさらに市振、そして富山県に入って越中宮崎、そして終点の泊駅まで向かうのですが、私は次の市振駅で下車します。
というのは、えちごトキめき鉄道は市振駅まで。その先はあいの風とやま鉄道となるからです。
 つまり、1日フリー乗車券である「トキてつツアーパス」が使えないわけです。
 別に乗り越し分を精算すればいいことだし、そのまま泊駅まで乗車してもいいかな…とも考えたのですが、そうするときっともっと先まで乗りたくなって富山まで行ってしまいそうだし、そうなると私の足が勝手にどこへ向かうか知れたものではないので市振で下車することにしました。
 市振駅にて。
 この列車の運転士さんは若い女性でした。まだ見習い期間中と見えてベテランの指導運転士さんが添乗指導していました。
 頑張れ❗

 列車を見送ります。この先は違う鉄道会社。

 ホームから日本海が眺められます。

 このランプ小屋はいつ建てられたのか?
 駅開業は大正元年(1912年)、しかし、駅舎はそれより4年も前の明治41年(1908年)竣工なのでその頃に建てられたものなのでしょうか?

 日本海ひすいラインの駅名標は車両と同じく日本海の波を描いたものとなっています。

 ホームから駅舎を眺めます。

 駅舎へはこの踏切を渡ります。

 駅舎側からホームを振り返ります。
 下車したのは私だけ…というのは上越線の土樽駅以来かもしれません。


 かつて駅事務室だった窓口は板で塞がれてしまっています。






 江戸時代、市振には北陸道の関所があって、親不知の海が荒れているときは旅人は何日も足止めを強いられました。
 その理由は親不知の絶壁を見ればわかります。

 市振駅で14:00発の下り普通列車を待ちます。