緊急事態宣言下…過去画像を眺めつつ徘徊録を懐かしんでおります。

 今回は2014年5月9日~11日、この時は鉄道ではなく、母ちゃんを引率して車での徘徊です。

 Photo by 母ちゃん
 
 東京から燃料代だけ払えば走れる道(一般道路ともいう)を走って信州へ向かいます。
 国道122号線~国道125号線~国道17号線~国道18号線~国道406号線~国道145号線を通って群馬県長野原町から国道292号線に入って草津温泉を抜けて白根山へと登っていきます。
 ここを通るか、北軽井沢から嬬恋村の大笹を抜けて鳥居峠を通って菅平から須坂市へ出て小布施町を通るのが私のメインルートです。

 群馬・長野県境に位置するのがこの道路のピークとなる渋峠です。日本国道最高地点です。

 この道路は例年11月中旬から4月下旬まで冬期通行止となりますが、GW前には除雪を終えて通行できるようになります。しかし、5月といえども雪が降ることは珍しくなくて、この日も峠は画像の通り吹雪いていました。
 この年の秋にも1度渋峠を越えていますが、それ以来通っていません。久しぶりに通ってみたいものです。

 信州側に入って志賀高原を通って善光寺平へと下ってくると天候も回復しました。
 国道292号線と別れて広域農道「北信五岳ライン」へと入って飯綱町の旧三水村芋川にあるサンクゼールレストランでランチを…。


 斑尾高原の南側にある丘の上に南側を向いて建つレストランの窓からの眺めは手前に三水(さみず)の里、遠くに見えるのは小布施の町で、その向こう側に連なるのは右側(西側)から菅平、そして左側に向かって東へ続く志賀高原の山並みです。
 美しくて懐かしい景色を眺めながらのランチタイムは昼食としては贅沢なお値段であるものの、ゆったりとした時間に浸ることができます。


 黒姫山と妙高山の間を流れて長野・新潟県境から新潟県に入って日本海へ注ぐ関川の上流部にある苗名滝。雪融けの水が大量に流れるこの滝は地震滝という別名があるほどの轟音を響かせます。


 朝の黒姫高原から眺める妙高山。
 黒姫高原スキー場の雪は消えていましたが、妙高山はまだ多くの残雪を残していました。
 雪国の遅い春…雪深い長い冬を耐えてきた人々や動物たちへのご褒美に春の女神は優しい微笑みを振りまいて麓の里を一度に花開かせて去ってゆくのです。
 この季節…北から妙高山~黒姫山~飯縄山と並ぶ信越国境の山の残雪は妙高山が一番多く、黒姫山~飯縄山と視線を移すと残雪の量が少なくなっているのがよくわかります。
 日本海からの北西の季節風をまともに受ける妙高山、その奥にある火打山はやはり雪の量も多いので6月になっても残雪を抱いている姿を見られる年が多いです。それは雪質にも関係しており、妙高山系で水分を落とした雪は長野県側では乾いたパウダースノーとなるのでさらに内陸に入った志賀高原のスキー場が人気なのでしょう。


 何回もアップしたことがある黒姫山をバックにやってくる信越本線(現在この区間は北陸新幹線金沢開業により第三セクターしなの鉄道・北しなの線となっています)の普通列車「妙高2号」の画像。
 両端のクハは183系、中間車は189系で組成されていたJR東日本・長野総合車両センターN101編成です。中間の189系は新製当初から当時の国鉄長野運転所に特急「あさま」用として配置されていましたが、両端の183系は上越線の特急「とき」用に新潟運転所に新製配置され、上越新幹線開業による特急「とき」廃止により房総特急用に転用改造を受けて千葉県の幕張電車区に転属、国鉄分割民営化後には房総特急にも新型車両がデビューすると松本車両センターに転属して特急「あずさ」「かいじ」などにも使われていたようですが、晩年は長野にやってきて通称「あさま色」に装いを変えて指定席を連結した普通列車「妙高」で余生を過ごしていました。
 この編成…房総特急への転用改造を受けていたため総武本線の東京~錦糸町間のATC区間対応改造によりATC機器を搭載していたこともあって同じくATC区間である横浜線・根岸線へ乗り入れる中央本線の臨時特急「はまかいじ」にも使用されるなど晩年はマルチな活躍をしていました。

 189系は183系の耐寒耐雪強化型である1000番台をベースに信越本線横川~軽井沢間の碓氷峠におけるEF63型との協調運転機能を付加した形式でしたから新製当初はここを通過する特急「あさま」や「そよかぜ」に使用するため長野運転所に集中配置されました。しかし、北陸新幹線長野開業によりこれらの列車が廃止されると多くの車両が松本や首都圏の田町・大宮・小山・豊田・幕張に転属、中央本線や房総各線、首都圏発着の臨時列車や団体列車として余生を過ごしていました。
 長野に残った編成はグリーン車を外されて6両編成に短縮されて普通列車「妙高」として走っていたほか長野~新潟間の特急「みのり」2往復のうち1往復(あと1往復は新潟の485系で運転)に使用されていました。
 画像のN101編成は国鉄特急色に戻された最晩年の姿で、翌年の春を迎えることなく廃車されました。


 古間駅の海抜は633m。小さな駅舎にこんなポールが置かれていました。今でもあるのか近年は訪れていないのでわかりません。
 関山駅にて。長野発直江津行普通列車の115系です。
 信越本線時代はほとんどの列車が長野~直江津間を直通していましたが、北陸新幹線金沢開業により第三セクター化されてJR東日本から経営分離されると長野県側と新潟県側で異なる会社となったため妙高高原駅で運転が分かれることになっています。
 長野や新潟の115系は国鉄分割民営化後それぞれの地域色に塗り替えられていましたが、このときの6両編成の列車は直江津方3両が国鉄オリジナル色、長野方3両が新信州色の併結でした。
 翌年3月の北陸新幹線金沢開業により第三セクターえちごトキめき鉄道・妙高はねうまラインとなったためこの光景も翌年のこの季節を迎えることはありませんでした。


 関山駅を発車して次の妙高高原駅をめざす115系普通列車。
 まだ上野駅から直江津駅へ向かう189系特急「あさま」や金沢駅へ向かう489系特急「白山」、そして夏にははるばる神戸駅から北陸本線経由で長野駅までやってきていた485系特急「スーパー雷鳥・信越」などを撮りに来ていたこの場所にも最近はあまり訪れなくなっています。やはり長い編成を組んだ特急列車と妙高山系の山の組み合わせに魅力を感じていたからでしょうか…。


 北陸新幹線金沢開業で信越本線の小さなローカル駅から一躍新幹線設置駅に昇格して「上越妙高」駅と名を変えた脇野田駅。
 新幹線の駅舎は既にほぼ完成しており、その後この線路も新駅舎の向こう側に付け替えられて第三セクター化を迎えました。
 雪国でありながら駅舎と島式ホームを結ぶ跨線橋や地下通路は無く、踏切がホームの途中に設置されていた珍しい駅でした。
 残念なことにこの場所は現在の上越妙高駅の駅前広場となっており、脇野田駅の面影は残っていません。駅舎とホームや線路の一部を記録としてこの場所に保存してほしかったと思うのは私だけではないと思います。

 このときの帰りも越えた渋峠。
 長野県側の横手山ドライブインから撮影した風景です。遠くに雪を抱いた北アルプスが連なる様子が見えます。
 渋峠は群馬県側の麓の草津温泉付近は秋の紅葉が美しく、さらに登るといかにも火山態とした風景に変わり、長野県側の志賀高原の紅葉が楽しめます。