このタイトルでの前回のブログでも述べましたが、自分のアカウントに何故か入れなくなってしまって過去の記事を読み返しつつ、自分の記事をまるで他人様の記事をリブログするようにしてアップしております。

 今回は二本木駅でのスイッチバックの模様をリブログします。
 この「思い立てば鉄砲玉」シリーズ…読み返してみると少し誤った記述があったりしますがご容赦願います。

 記憶を辿ってみると、このときは北陸新幹線の金沢延伸開業を目前としたときで、長野まで開業していた区間は「長野新幹線」と呼ばれていました。
 数ヶ月前には金沢開業に向けた新型車両E7系が先行導入されて一部の「あさま」で運用が始まっていましたが、長野の親戚宅へ向かうときにデビュー直後のE7系のグランクラス指定席券を衝動買いしたことを覚えています。

 ちなみに今回リブログしている記事で長野を訪れたときは既存のE2系に乗車したのですが、その後は凄い勢いでE2系はE7系やW7系に置き換えられてしまったので、このとき乗車しておいてよかったと今にして思います。

 今回のリブログ記事は長野総合車両センターに所属していた189系N103編成に乗車していた様子を動画を交えたものなのですが、特急「あさま」時代から通いなれた信越本線の長野以北からいよいよ姿を消す189系のMT54主電動機やブロワの音を記録したくて中間車両のモハユニットのうちブロワを装備しているモハ189に乗車したものです。
 このN103編成は国鉄時代に全国的に行われた急行列車の特急格上げに伴う特急列車の本数増に対応するために特急列車の短編成化、それにより不足する制御車(運転台が付いた先頭車両)を短編成化で余剰が出る中間車両からの改造という施策のもとで余剰となっていた485系のサハ481から改造された車両が両端の制御車として組成されていました。
 183系や189系などの直流型と485系や489系などの交直両用型は車両の床の高さや窓の高さ、側面のRが異なっていて形状は似ていても違いがすぐに判別出来るのですが、485系にはこのあと乗車することと、前述の理由もあって生粋の189系である中間車両に乗車したのでした。

 かつて国鉄特急型車両は窓が開かない固定窓だったのですが、夏期における冷房装置の故障で蒸し風呂のような状態となって上野駅に到着した列車の記事などが報道されることもあり、189系では一部の窓を非常用に開閉できるように製造され、そこを狙って長野駅で座席をキープしました。
 なお、乗車した普通列車「妙高1号」は朝の通勤時間帯に運転されていたため、長野駅から北長野駅の1区間での乗車率が非常に高い列車でした。
 また、普通列車ながら特急型車両で運転され列車名まで付けられていたのは指定席車を設定していたためと思われます。