2023年も残すところ
6日になりましたね。
今日は、
クリスマスにピッタリ?な
「奇跡のエピソード」
を紹介させてください。
もしあなたが今
こんな風に感じているなら…
↓
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・やってみたいことはあるけど、
上手くできるか自信がなくて、
チャレンジをためらってしまう。
・「失敗したらどうしよう?」
「周りになんて思われるかな?」
「知識もスキルもまだ全然
足りないのに、こんな事を
私がやってもいいのかな?」
など。
恐れがある内はやりたいことに
チャレンジできるわけない。
・なぜか、なりたい自分への一歩を
踏み出すことができずにいる。
・自分も人生も変えたいのに、
いざ変わろうとすると
尻込みしてしまう。
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どれか1つに当てはまるなら、
読んでみていただけませんか?
なぜなら、、、
この奇跡のエピソードを通じて
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恐怖があっても、なりたい自分に
チャレンジできるようになる秘訣
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を学べるからです。
この秘訣を知れば、
今あなたが抱えている
恐れを克服しなくても、
「もっと、もっと」
と特別な何かを足さなくても、
「今のあなたのまま」
で、とにかく一歩を
踏み出すことができます。
もちろん、
・設定した目標を達成する
・叶えたい願望を実現する
そのためには、目標達成や
願望実現に相応しい専門知識や
スキルを身に付け、実践力を
高めていくことが必要ですよね。
でも、、、
「私はまだ〇〇が足りないから…」
「私にはまだ自信がないから…」
と思って、ずーっと長い間
チャレンジしないでいるよりも、
とにかく何でもいい。
どんなに小さな事でもいい。
まずはやってみた方が、
現在の地点からはるかに
前進できると思いませんか?
なので、ぜひ最後まで読み
チャレンジできる秘訣を
手に入れてくださいね。
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さっそくですが、
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恐怖があっても、なりたい自分に
チャレンジできるようになる秘訣
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とは何か?
それは、
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なにが何でも
「この人のために力になりたい」
「この人のために尽くしたい」
と心から思える人を見つけること
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です。
なぜなら、、、
これは私が自分自身の経験から
確信しているに過ぎないので、
信じられないかもしれませんが、
そういう人が見つかると人は
自分の能力や立場を理由に
怖気づいてしまうことなく、
今の ”この自分” を信じて
その人のために全力で
突き進めるようになる
からです。
どういうことか?
ここで、、、
夫に起こった「奇跡」について
お伝えさせてもらいますね。
『34丁目の奇跡』ウガンダ版
2021年の12月26日。
私の夫が死にかけました。
その当時の夫と私は、
クリスマスソングの収録で
とても忙しくしていました。
といっても、、、
実際に忙しくしていたのは、
スタジオでレコーディングを
行う夫とプロデューサー。
私の役割は、できた作品を
聴いて批評すること。
レコーディングが終わるごとに
曲のデータを送ってもらい、
何度も聴いては、電話で
「あーでもない」
「こーでもない」
と意見や感想を伝えるー。
こんなやりとりを数日前から
繰り返し行っていたんです。
しかし、、、
クリスマス当日の夜になっても
「これで完璧!」
と満足できる曲にならず。
「もうー!なんでできないの?」
と、私はイライラしていました。
私がこんな調子だったので、
夫はプレッシャーを感じながら
作業していたのだと思います。
結局、曲は完成できず。
残念ながらリリースは諦め、
夫はそのままスタジオに
泊まったのです。
翌26日のお昼前に、
夫からLINEでこんな
メッセージが着ました。
↓
「これから帰る。今、
自宅に向かってるところ」
と。
しかし…。
夫は夜になっても
帰宅しませんでした。
途中でバイクが故障したり、
突然、大嵐がやって来て
帰って来れなくなる。
しかもスマホの電波が悪くて、
ネットも電話もつながらない。
そんな状況は、これまでに
何度も何度も経験しています。
なので、
「今日もまた、そんな理由かな」
と思いながら、私は
ベッドに入りました。
既に自宅に向かっていながら
なんの連絡もないというのが
少し不安ではあったんですけどね。
次に夫から電話があったのは、
27日の午後5時過ぎのこと。
「良かった。電話が着た!」
と思ってホッと安心した
私でしたが、その安堵感は
見事に打ち砕かれました。
スマホの向こうから聞こえてきた
「オピちゃん(=私のこと)…」
という夫の弱々しい一声で、
夫の身になにか異常な事態が
起こったのを悟ったからです。
夫の話では、
「これから帰る」
と私にメッセージした後で
バイクで事故に遭ったらしく、
「目が覚めたときには、
病院のベッドで寝ていた」
というではありませんか!
しかも、事故に遭った時の記憶が
少しも残っていないというのです。
担当のドクターからの話では、
”道路下の小川の中で
バイクごと倒れている所を
発見され、病院に運ばれた”
とのことでした。
ですが、こういうのを
「不幸中の幸い」
と言うのでしょうね。
夫の状態がどうだったかと言うと…
幸い、胸や肩に痛みがあり
37度台の微熱がある程度。
転倒した時の衝撃で打ったのと
寒い夜の間も、小川の中に
身体が浸っていたためです。
誤って水を飲みこんでいると
肺炎を起こす危険性がある。
…ということで、入院して
抗生剤の点滴治療を受け、
3日後に無事退院できました。
テレビドラマに出てくるような
あり得ない話だと思いませんか?
夫の無事を、この目でちゃんと
確認できるまでの3日間。私は
気が気ではありませんでした。
なぜなら、交通事故で意識不明に
陥る人がどんな経過を辿るのか?
TVのニュースでは報道されない
患者さんの「真実」の姿に対して
私は看護師として関わってきた
経験が何度もあるからです。
たとえば、たとえ命が
助かったとしても、、、
・脳に後遺症が残って精神年齢が
子どものようになってしまったり
・首の神経が壊れてしまえば、
体の自由が利かなくなる。
夫がそのような状態になったら...?
「何のために、大学まで出て
薬剤師になったのか?」
「私は夫を介護しながら
生活していけるだろうか?」
「それとも、、、日本に
帰った方がいいのかな?」
もう本当に、色々考えました。
ところであなたは、
『34丁目の奇跡』という
物語を知っていますか?
これは、サンタクロースを
名乗る老人がクリスマスの日に
奇跡を起こす心温まる感動作。
1947年には映画にもなり
アカデミー賞で3部門受賞。
1994年にはリメイク版も
作られたほどで、アメリカでは
クリスマスの定番映画として
国民的人気を誇る作品です。
夫が見知らぬ人に助けられ、
後遺症がなかったばかりか、
体にかすり傷1つない状態で
生きて帰って来ることができた。
それは、私がこの
『34丁目の奇跡』を
読み終わった日の翌日に
起こった出来事でした。
それだけに、私にとって
夫の無事の生還は
「まさに奇跡」
だからこそ、、、
夫と私、二人のチカラでは
及ばない偉大な何かによって、
こうして命を助けてもらい、
「これからも人様のために
自分たちの生かされている
命を使っていく」
という想いを新たにしたのです。
ところで、、、
夫を助けてくれた人。
あなたは、いったい
誰だったと思いますか?
それは、医師でも看護師でも、
救急隊員でもありません。
ちなみに、私の村には
救急隊員はいません。。。
ここまで長くなりましたが、
ここからが今日の本題
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恐怖があっても、なりたい自分に
チャレンジできるようになる秘訣
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に迫る内容になりますので、
このまま読み進めてくださいね。
奇跡を起こしたのは「普通の人」だった
私の夫を助けてくれた人。
それは、、、
近くの建設現場で働く
男性の作業員でした。
夫が医師から聞いた話によると、
その作業員がたまたま現場を
通りかかった時、小川の中に
倒れていた夫を救出して、
病院まで運んでくれたとのこと。
なんと
医療の専門家ではなかったのです。
ここであなたに質問ですが、、、
建設現場ではたらく彼は、
人を救う分野においては
専門家ではないですよね?
そんな彼が、自分の目の前で
倒れている夫を発見したとき、
どんな気持ちだったでしょうか?
彼に確認したわけではないので
あくまで私の想像ですが、、、
「これは大変だ!」
と思いながら、
「でも、俺は人を助ける
専門家じゃないし」
「俺には人を助ける資格なんて
ないのに、余計なことして
後で非難されたりしないか?」
とか、
「人を助けた事なんてないし、
俺にそんな事ができるわけない」
「でも、このまま
放っておいていいかな?
どうしようかな?」
と自分のことだけを
心配していたでしょうか?
私は恐らく違うと思います。
「これは大変だ!」
と思った瞬間、
「この人を救いたい」
「自分が何とかしなければ」
と、その時に自分のできる事を
考え、とっさに行動に移した。
そして、彼にできる事を
全力でやり抜いてくれた。
その結果、たとえ人を救う
専門家でなくても、夫の命を
助けることができたー。
のではないでしょうか?
たとえば、、、
もし東京マラソンであの現場を目撃していたら?
けっこう昔のことですが
あなたは覚えていますか?
2009年の東京マラソン。
タレントの松村邦洋さんが、
競技中に心肺停止となり、病院に
運ばれたことがありましたよね?
あの時は、大会のスタッフが
すぐにAEDをもって駆けつけ
救急処置を開始。
医師やボランティアらによって
適切な処置が行われ、一命を
とりとめたと報道されています。
参考:
日刊スポーツ>松村邦洋、東京マラソンで一時心肺停止
※AEDとは:
心臓が小刻みにけいれんして、
体中に血液を送れなくなる状態を、
電気ショックによって取り除き、
正常の心臓のリズムに戻す器械。
ここで、あなたにちょっと
想像してもらいたいのですが、
もし、あなたも東京マラソンに
参加していて、松村さんが倒れた
現場に居合わせたとしたら...?
あなたは、どのような
行動を取ったでしょうか?
「私は医療者じゃないから
できる事は何もない」
「私は医療者じゃないから、
何かする必要はない」
と思って、その場を
走り去るでしょうか?
たとえ、医療者じゃなくても、
AEDを使うことはできなくても、
・大声で周りに助けを呼ぶ
・とりあえず心臓マッサージをする
など。
今のあなたでできることを
とっさに考え、それを最大限に
やり尽くすのではないでしょうか?
目の前のたった1人を想うことで生まれる可能性
このように、、、
私たちは、自分の事だけに
関心が向いている時は、
チャレンジするのが難しいです。
「失敗したらどうしよう」
「私がこんなことをしたら、
周りにどう思われるだろう?」
「私には〇〇するだけの
能力がまだ全然足りない」
など。
何とかして自分を守るための
思考になってしまいがちだから。
(守りたい理由は、人それぞれです)
しかし、関心が自分以外の人、
それも、なにが何でも
「この人のために力になりたい」
「この人のために尽くしたい」
と心から思える人に向けられたら
どんな可能性が生まれるでしょうか?
夫を救ってくれた作業員の
行動が示しているように、
自分では思いもしなかった
パワーがみなぎって来て、
行動を起こすことができます。
私たちが
・やりたくても、なぜかできない。
・チャレンジを始めても
いつも長続きしない。
といった状況に陥るとき。
その背景には、何かしら
恐れが存在しています。
そういった恐れから
自分を守りたいために、
「チャレンジしない」
を選択してしまうのです。
という私自身が過去に
「チャレンジしない」を
選択したことがある経験者。
たとえば、まだ日本の病院で
看護師をしていた頃の私には
「いつかは国際看護師になって、
紛争地域や難民のために
尽くせるようになりたい」
という明確で具体的な
目標がありました。
しかし、国際関係や英語の
勉強を行なってはいたものの、
本格的なチャレンジをしないまま
11年間も過ごしていました。
それは、なぜか?
もし、全力を尽くして
チャレンジしたのに
国際看護師になれなかったら、
・自分の本当の実力が
周りにバレてしまう。
・自分自身の実力に
直面することになる。
それが怖かったから。
さらに、、、
「あの人、口ばかりで結局
大したことないんだね」
って思われたら恥ずかしい。
こんな恐れもありました。
チャレンジしなければ、
目標も夢も叶わないけれど、
自分の実力を突きつけられ
絶望することはない。
周りに対して
「夢に向かって頑張っている人」
というイメージも維持できる。
「目標を実現する可能性がある人」
として応援し続けてもらえる。
傷つかないでいられる。
だから、
「チャレンジすることから
逃げまくっていた」
んです。
やりたいことはあるのに、
チャレンジできない背景には
必ず何かしら恐れがあります。
「チャレンジしないことで、
守れると思っているもの」
が存在しています。
それでも、、、
ーーーーーーーーーーーーー
なにが何でも
「この人のために力になりたい」
「この人のために尽くしたい」
と心から思える人
ーーーーーーーーーーーーー
を見つけられた時。
私たちは、その恐れを
もったまま、「今の自分」で
チャレンジできるようになります。
あなたにとって、
・この人のために力になりたい
・この人のために尽くしたい
と心から思える人は誰でしょうか?
新しい年を迎えるこの機会に
ぜひ考えてみてくださいね。
それでは長くなりましたが
最後までお読みくださり
ありがとうございました。
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