良くも悪くも、感情が敏感で、それに振り回される日々というのは思春期だろう。

私にとって、その時期は中学時代である。

 

その中学時代には恥ずかしい思いをしたことが多々あるが、イベント自体が恥ずかしく、私の人生から消したいモノがある。

その黒歴史は、生徒会長選挙である。

 

私の行っていた中学校では、秋くらいに生徒会長選があり、1,2年の各クラスから誰か一人が立候補しなければいけない決まりになっていた。各学年4クラスあったので、8人が出て、全校生徒による選挙を行って会長を決める。

 

私が1年の時、なぜだか私が候補者に推薦された。推薦したのは、クラス委員長だったNで、そいつが、候補者を決めるクラス会か何かで、○○君(私)がいいと思います、と言い出した。

 

後になって考えると、クラス委員長のNは、自分が推薦されるのが嫌なため、先手を打って気の弱そうな私を指名したのである。他のクラス員も、自分が目立たないように沈黙である。

その時の担任の先生も、○○君なら太鼓判を押す、と言うようなことを言って、私の意志に関係なく決まってしまった。

 

ちょっと後で、応援演説する人も決められた。クラスで面白い人と言われていたM君である。

M君とは友達でも何でもなく、彼は、「他のクラスから立候補しているH君に投票するから」、と私に断って応援演説を引き受けた。

 

することは、演説の内容を考えることと、選挙ポスターを作ることであった。

選挙ポスターは、他に頼む人がいなかったので、指定の画用紙に自分で作った。

確か、当時テレビでヒットしていた木枯らし紋次郎の絵を描いて、あっしには関わりのねえこって、等とセリフを入れたポスターを作成した記憶がある。

 

今考えると、センスも何もないポスターで、今残っていれば焼いているだろう(いや、自虐的に保存しておくか?)。

 

会長に立候補したことは家族も知ることとなり、兄は、演説ではこのギャグがいい、とかアドバイスした。両親は、おとなしい私が立候補したことに驚いたようであるが。

 

そうこうして、演説の日となり、全校生徒が集まる体育館で行われた。

私のクラスの番となり、M君が応援演説を行った。多分私を引き立てる演説だったのだろうが、覚えていない。本心でないのが分かっていたので。

 

50年前のことなので、自分の演説の内容も忘れた。ただ、兄から言われた、ギャグ、「まあいいじゃないか」とうのを最後に入れたが、全く受けなかった。

「まあいいじゃないか」とうのは、当時の車のCMで三橋達也が喋っていたセリフであるが、余り知られていなかったせいであろう。

当時もそうであるが、まあ受けそうもないギャグである。

 

演説会は滞りなく進み、各クラスに帰ってから投票が行われた。

 

選挙結果は、校内放送で公知された。

私は、「19票」であった。同じクラスの奴から、「僕が入れたら20票行ってたのに、惜しかったな」、とか言われたので、19という数字はずっと覚えている。多分、投票総数は500票位だったと思う。

でも、私も自分には投票しなかったので、私が入れていれば20票だったのだが。

 

なお、私より下もいたので、ちょっと救われた気になった。その彼は、スポーツも勉強もそこそこな生徒で、多分私と同じで、誰かの陰謀で選ばれたのであろう。

 

こうして、私の黒歴史は終わった・・・、はずであった。

 

 

2年生になって、生徒会長選がまた始まった。

 

今度は、私が、B君を推薦した。彼は、喋る言葉が余りはっきりせず、人の言うなりになるところがある生徒で、やや障がいがあったかも知れない(知能の面では普通であった)。変わった人として、名前は知られていた。

 

担任の先生は、彼を候補者とするのを反対した。しかし、面白いからという理由でB君を推薦する人は、男子には多くいて、私もそれに乗っかった形である。

前回出たこともあり、私も最初候補に推されていたが、頑強にB君を推薦した。

 

先生は、他の生徒に候補者に誰がいいか言わせていったが、女子生徒の何人かは、「最初○○君(私)がいいと思っていましたが、気が変わりました」と言って、私の候補者逃れを暗に非難した。

私の人間嫌いが加速された一因となったのではないかと思う。生徒会長って、いやいやさせるものなの?

 

結局、B君が候補者となり、その演説内容は私が書くことになった。

一応原稿は作ってB君に渡したが、本番では、途中で詰まって、何を言っているのかよく分からなかった。

それでも、確か2位か3位の得票で、副会長になったと思う。

 

Nと同じ卑しい心を持っていたことを恥じるとともに、B君に謝罪したい。

 

ただ、成績がいいというだけで、何でも面倒なことをやらせようとするのは、止めてもらいたい。

 

長くなりましたが、以上が私の最大の黒歴史です。