三浦春馬さんの「日本製」は、本当に素晴らしい本です。これが+actの雑誌連載をまとめたものというのは、後から知ったのですが、その最終原稿と追悼文が載った+actを買いました。雑誌名通り、(若手)俳優の写真と記事で構成された雑誌でそこに、何人かの俳優の連載がありましたが、どれも軽いものでした。この「日本製」の連載は、こうした雑誌だけでなく、他の雑誌でもなかなかお目にかかれない素晴らしい取材記録の連載だと思います。これを読むときっと「日本製」クルーはこの仕事に達成感を感じながら関わってきたのではないかと感じられます。この取材はクルー全体で楽しみながら一緒に学び考えたものだったのだろう、と私はそう思いながら読みました。

 

そして読みながら私もまた色んなことを考えさせられたのです。思考を刺激する本でもありました。多分時間をおいて読めばまたその時、その時間に見合ったことを考えさせられる本でしょう。

 

この本の中には、地方再生について考えたりそのヒントになることも書かれていますので、日本全国の地域振興を考える人たちの必読書ではないかと思います。地方といっても各地域によって町おこしの状況や条件は異なりますが、この本を読むことで何かのヒントになることも多いのではないかと思うからです。

 

取材記事を読んでいると、多分事前に調べていたのであろう春馬さんが的確な質問をして、意外な話を聞きだしている箇所がいくつもあります。また取材後の感想では、なるほど、と感心してしまうような発言がとても多いのです。技術的なことは難しくて初見の人にはわからないだろう内容を、こうした質問や感想により誰にでも親しみやすい取材記録となっているのが素晴らしいと思うのです。

 

本書では、都道府県毎に一か所を選んで行っているわけですが、なぜそこが選ばれたのか理由が書かれている場合があります。すると、その時三浦さんがどのようなことを考えていたのかがわかるのも面白いです。なんといってもそうした二面を楽しめる本でもあります。

 

しかし私の故郷足利の足利学校についてははっきり書かれていないんです。だから、どうしてここを選んだのかな?とずっと考えています。もちろん足利学校は唯一無二の物だから選ばれたとは思うのですけれど。この回は2017年4月号分なのですが、もしかして春馬君この地味ブログを読んでいたなんてことある?なんて考えるわけです。というのも、たまに日本製品、made in Japanについてここで書いてきたからです。先日ここのテーマに「日本製」を加えましたが、元々和ブランド・和デザインをテーマとして取り上げてきています。もちろん取材なんてしてなくて、こんなのあるよ、っていう一般人ブログですけれどもね。だから、春馬君が「日本製」の検索をしてここに辿り着いた可能性、ないこともないかな、なんて考えているわけです。

 

それがきっかけで足利学校をみつけてくれていたら、本望ですけど。そうしたきっかけになればいいというブログですから。まああくまで妄想ですけれどね。(現在は「日本製」で検索するとこの本のことばかりで私のブログにはもうたどり着けません。)

 

ところで「栃木県」の題字の下に自筆で「足利学校がある役どころを演ることに導いてくれたのかも」と書かれていて、これがどの役なのかな?とずっと考えています。

 

映画「君に届け」撮影中に訪れたことからの縁であれば、舞台の「ZIPANG PUNK 五右衛門ロックⅢ」のことを言っているのかな?と思います。なんといっても足利学校が世界に名前が知られた時代背景の舞台ですから。あるいは、この「日本製」で訪れたことからなのか?と思うとこれから公開される「群青戦記」が徳川家康の若い時代の役なので、それのことかな?と考えていました。というのも足利学校には、徳川歴代将軍の位牌が置かれているからです。「日本製」には書かれていませんが、これは誰でも観ることができるのできっと春馬さんもご覧になったんじゃないかと思います。いずれにしても、足利学校が縁を結んでくれたと考えた春馬さんが嬉しいなあと感じています。

 

しかし、足利学校といえば孔子の教えであり「論語」です。そして最近春馬君は大河ドラマのオファーが来ていて論語を勉強していたという話を聞きました。ところがその役が事務所の他の役者に替えられてしまったのだと。大河ドラマの話がどのぐらい前に来るのかわかりませんが、もしこのことだったのだとしたら、悲しいと思います。ただ、そうすると題字を書いた時期が早すぎる気もします。

 

いずれにしても、栃木県で足利学校を選んだ春馬君を私は誇らしく思っています。観る目があるなあ、と。

 

きっとこの本を読むとき、皆ご自身の出身地から開き、春馬君がどんなものに興味をもって来たのかを確認し、いろいろと考えるんじゃないかと思います、私のように。

 

若き日の春馬君が演劇の楽しさにどんどん目覚めていった頃の舞台

 

来年公開予定の「群青戦記」で若き日の徳川家康を演じました。

 

「日本製」の表紙は藍色で、帯写真で着ているのは多分藍のシャツです。徳島で取材されたBUAISOUのシャツでしょうか。藍はJAPAN BLUEと昔から言われている日本の色です。春馬さんは本当に藍色がお似合いで、色んな色の服を着こなしてきていますが紺色の服が一番似合っていたと思います。まさしくそうしたところからも日本人そのものだったんですね。

 

春馬君の言動を辿っていくと、本当に努力の人、学びの人であったことがわかります。例えば、バラエティ番組で多くの宣伝活動を行ってきた春馬さんは演技以外にも食事風景が沢山残されています。若い頃は、箸を持つ作法は知らなくていつも右手でそのまま箸を持っていましたが、気づくと晩年の映像ではきちんと右手で持ちあげた箸を作法通りに持ち直すようになっていました。これは作法をきちんと学ばれ実践されていたことの表れだと思います。箸の作法を知ってから食事場面があるとチェックするようになってしまいましたが、実はできていない人の方がほとんどです。ところが、春馬君はちゃんと学び自分のものにしていた。普段から色んなことを学び実践してきたことがそのまま生かされていたんだろうと思います。若い頃の映画で職人の役をやるため、毎日道具を持って手にタコを作った話があります。実際には手が映されることはなかったそうですが、こうしたことを考え行っていたことが役に深みを与えていったのは間違いないでしょう。そういえば、少年の頃に長距離ランナー役をやったときには、長距離ランナーの身体つきになっていました。数年前あるドラマで長距離ランナー役をやった人気俳優は身体が重たそうで、全然長距離ランナーに見えなかったことがありましたが、春馬君は少年時代から真剣に役に向き合った来たのだとあらためて感心せざるをえません。

 

そしてそうしたことが「日本製」の中の端々に表れています。取材された人たちに的確な質問をし、また返ってきた言葉にさらに的確に返しをしているということがいくつもあります。もちろん取材記事は編集されたものでしょうけれども、そうした言葉を引き出せなければいい話は生まれていなかったでしょう。これは普段から思考を重ね、またそうした言葉を口にしてきたからこそ、取材時に上手く表せていたのだと思います。

 

ある意味、「日本製」は三浦春馬さんの人生を表している本なのかもしれません。

 

本書から春馬君の言葉をいくつか

 

ほぼ新人のねぶた師に大きな仕事の依頼が来て引き受けた時、怖くなかったか?の質問に対し、一度断ってしまえば次はない、との返事を受けて↓

そうですよね。チャンスをものに出来るかどうかは、自分次第なんですよね。

 

漆は傷つけた樹皮から出る液、つまり木の血液であることから、取材後に↓

役者はお芝居で涙を流すことがありますが、涙と血液の成分はとても似ているのだそうです。役者も演技を通して自分にとってつらいことですら昇華させることで、自分でも想像しえなかった表現が生まれたり、それを体験した人が忘れられない感情を生むことができるかもしれない。そんなことをふと感じてしまいました。近くにいるとかぶれるからと、遠ざけられ、伐り倒される、そんな定めの木。けれども、その身を削ってできる樹液は昔から接着剤になり抗菌作用を持ち、実用性だけでなく芸術や歴史的な文化遺産にも用いられていった。そう考えるとウルシってなんて神秘的で奥深く、切ない木なんだろうと思うし、自分もこの身を削る、といったら美化し過ぎかもしれませんが、体や心を使って表現することで、そんな風になれたらと思わすにいられません。

 

「きょうかい6号母」という菌が発見され東北でも日本酒作りができるようになったという蔵元取材後に↓

興味深い話ばかりで引き込まれました。それらは日本酒の歴史であると同時に、先祖がみつけたきょうかい6号酵母を絶やしてはいけないという佐藤さんの使命感を語るストーリーとしても心に響いてきました。おかしな言い方になりますが、そのことがとても嬉しかった。話を聞いて、素晴らしいですね、ということはできても、人の使命感に共感できることは多くはありません。

 

畜産農家の親子を取材後に↓

お父様が無理に継がせても意味がないとおっしゃっていたのは、働く本人にストレスがあったら、牛達にも伝わってしまうという意味を含んでいたのかもしれません。命と向き合うお仕事の大変さは絶対にあるはずですが、そこに好きという気持ちがあることが重要なんだと思いました。

 

地元土浦の花火師取材後に↓

実際に造っている姿を見ていて、相当な忍耐力が必要なのがわかります。芸術や大成は静かに、徹底的に物と自分と見つめあうことが何よりも大切なんだと、この静寂の中での孤高の時間があるからきっと輝きが増すのではないかと思いました。

 

足利学校取材後に↓

財産や物はなくなるけれど、知識はなくなったり盗まれたりしない、そんなことを足利学校は再認識させてくれたような気がします。

 

ダルマづくりの同世代の跡継ぎが世界に発信していきたいとの言葉に↓

素敵な夢ですね。謙虚なことは日本人の美徳の一つかもしれないけど、海外に行ってみて、日本にもこんなに素敵なものがあるんだということをもっと主張していいんじゃないかと僕も感じることが多かったので、共感します。

 

歌舞伎が残る街の取材で20代の子が町に恩返しがしたくて役場に就職したと聞いて↓

僕は地元が茨城なんですけど、思い返すと自分にも地域に支えてもらっていたなと思うところがある。そこからだよな、って改めて考え直しました。

 

鎌倉彫の取材後に↓

どんな職業でも自分の内面がしっかりしていないと最善を尽くせないと、せっせと滑らか艶やかな鎌倉彫を拵える背中に感じました。

 

黒部ダムの取材後に↓

今を生きる僕たちが50年後、100年後、もっと先の未来がよりよくなるための決断をしていかなければ、そんな信念をこの黒部ダムから受け取った気がしました。

 

 

まだまだ、たくさん印象的な言葉があります。春馬君は演技ノートのようなものを書いていたそうですが、普段から書いていたからこそ、取材後に的確な言葉に表現して書けていたんじゃないか、と思います。

 

また春馬君だけでなく、取材された方々の言葉に素晴らしいものが多く、それがなんと言っても本書の魅力であり、春馬君も感銘を受けているわけです。コツコツと取材されたこの取材は、57回まで続いたわけですが、残りの10回分もいつか本にまとめられることを祈っています。

 

 

「日本製」で紹介されているものの一部は、三浦さんのインスタグラムの日本製棚で、紹介されています。途中で終わってしまいましたが・・・。今この本を読んで、この「日本製」の後を追う「追い春馬」をしている人達がいます。ここで紹介された品物や食べ物を購入したり、現地に行って見たりすることです。それにより、日本製品について多くの人が親しみ見直されるのであれば、春馬君も本望でしょう。そしてそれぞれの人達が、それぞれ新たな日本製、地元を発見し守っていくようになれば、春馬君の志が生きたこととなります。今、私達が日本製を続けていく時となったのだと思います。

 

 

本書で紹介されている和ろうそく

 

海外からも注文が入ったという酒カステラの天明堂

 

 

 

日本製初見時のブログ↓

 

 

発売中のpenの特集は日本文化、中田英寿さんの名を冠しただけに派手な企画で充実した内容となっています。三浦春馬さんもいずれこうした特集の冠企画を持てただろう、と思うと本当に残念です。ただ、雑誌よりも本でこの「日本製」を残したことが重要です。本は雑誌よりも残るからです。100年後も、200年後も千年後もこの本は残り、三浦春馬という俳優とともに日本の文化・技術の記録となっていくことでしょう。

 

 

三浦春馬さんが大好きだった歌、何かの番組で振りをしながら紹介していました。

 「日本製」のテーマ曲だと思ってます。