本日の産経ニュースにこのような記事がありました。
新聞での敬称あれこれ 子供は学齢で決まり、漢字の「様」は原則使いません
産経ニュース2017.2.5 06:00更新
朝刊の校閲作業中、出稿部の記者から問い合わせの電話がありました。
子供の敬称と表記について確認する内容だったので、今回は新聞での「敬称」に関することを書いてみようと思います。
まず、原則として人への敬称は「氏、さん、君、ちゃん」を使います。
子供の場合は、基本的に学齢を基準に考えます。 中学生以上は男女とも「さん」を使います。小学生の男子は「君」、女子は「さん」。そして、小学校入学前の子供には主として「ちゃん」を使うのが原則です。 ただ、記事によっては小学生に「ちゃん」を使ったり、男子中高生に「君」を使用したりしてよいこともあります。
高校野球など、運動部の男子部員に対して「〇〇君」という表現を見たり、テレビなどで聞かれたりした方も多いと思います。これは昔から使われているせいか、自然に受け入れられているようです。
こういった敬称の使い分け基準は、新聞社・通信社の表記慣習としてほぼ確立されていますが、現在の弊社用語集には明確に記載されていないため、時折、問い合わせがあります。
冒頭の問い合わせでは、「くん」は漢字の「君」を使うか、それとも平仮名の「くん」がいいのか、ということを尋ねられました。
原則の通り「君」の方を推奨しましたけれど、少し興味がわいたので、ざっと記事データベースで調べてみたところ、過去1年間の記事の中で10例ばかり「くん」と平仮名を使っている記事がありました。ちなみに「君」の用例はその15倍以上でした。記事内容の硬軟で判断し、優しい印象のある「くん」が使われたのかもしれません。
原則以外の敬称で特徴的なものと言えば…。すぐに思いつくのは、相撲の力士の場合でしょうか? 番付が十両以上の力士には、「さん」などではなく「稀勢の里関」のように、「関」を使います。
ですが、スポーツ選手や芸能人の場合は、社会活動や事件、事故、訴訟などスポーツ競技・芸能活動から離れた話題、記事のときにしか敬称をつけず、「本業」の活動を報じるスポーツ記事や芸能記事では、名前だけで敬称なしになっていることが大半です。
皇室(天皇と皇族)に対する敬称ですが、天皇については、常に「陛下」とします。
臨時に行われる特別な国事行為や、極めて重大な事象についての記事初出では、皇后、太皇太后、皇太后は「陛下」。皇太子、皇太子妃は「皇太子徳仁親王殿下」「皇太子妃雅子殿下」のように、初出は名前を付け、敬称は「殿下」です。
その他の皇族の場合、「秋篠宮文仁親王殿下」「常陸宮妃華子殿下」のように宮家の当主は宮号、妃は宮妃の後に名前と敬称である「殿下」を付け、内親王、王、女王は、名前+「殿下」となります。
一般の公務や私的な行為の場合は、天皇陛下以外の敬称は「さま」で原則、統一します。さて、敬称で「さま」がつくのは皇族だけですし、敬称とは違いますが、漢字の「様」を使うのは神様、仏様、王様などです。
キングでもクイーンでもない米国大統領にも、もちろん使いません。「トランプ大統領」、場合によっては「トランプ氏」などとなります。
ただ、現在の新大統領の振る舞いを見ていると、つい、「トランプ様」とでも呼びたくなりますが…。(い)
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※赤字や太字は私がつけました
一般の人々への敬称は問題ないかと思いますが、皇后陛下をはじめとする皇室の方々への敬称についてはもっともらしい記事となっていますがおかしいと思いませんか?
おかしなこと
①初出には敬称を使用すると書かれていること。敬称ですから最後まで使うものです。
②親王の言葉がもれていること。
③親王・内親王については称号があるお方は称号を使うべきであるがそれが書かれていないこと。皇太子殿下(浩宮)、秋篠宮殿下(礼宮)が成人する前は、それが(ある程度は)守られていました。現在敬宮内親王殿下の称号が使われていないのはおかしいのです。
④一般の公務や私的な行為の場合は天皇陛下以外は「さま」で原則存在とありますが、天皇・皇室はご存在そのものが公的なものです。
⑤「様」は一般的にも使用されている敬称です。「さま」と「様」の違いもおかしな話です。表記の問題であって、言葉の「様」に変わりはありません。平仮名の「さま」と漢字の「様」を読んだときにどう分けるのでしょう?子供の場合ならまだしも、「様」を平仮名表記するのはバカにしているような気がするのは私だけでしょうか?
私が子供の頃、NHKに鈴木健二というアナウンサーがいました。映画監督の鈴木清順氏の弟であり、その声質や多くの名物番組も持ったことからとても人気で紅白の司会を何回も行ったこともあります。NHKには歴史系の番組が必ずありますがその先駆けとなったのは鈴木アナウンサーの「歴史への招待」ではないかと思います。著書も多く私も何冊か読んだ覚えがあります。しかし、とても人気のあったアナウンサーであったのにも関わらず、定年退職後民放に行かれることもなく、当時不思議に思ったことを覚えています。最近ふとこのことを思い出した時に、こういう言葉の乱れに敏感であったために、民放に行かれなかったのではないかと考えてしまいました。
その鈴木健二氏の著書の内容はほとんど覚えていませんが、一つだけ覚えていることがあります。それは言葉というのはバランスがあり、それは言葉の始まりで決まるという事です。例えば、「ぼく」で始まれば「ぼく」が語る口調になり、「おれ」で始まれば「おれ」の口調になります。そして「私:わたし」と「私:わたくし」でもその口調は変わっていきます。「ぼく」は、ですます調や断定調に語るかもしれませんが、「ございます」といような口調にはならないでしょう。「ございます」という口調になるには、やはり「私:わたくし」で始まらないとおかしな感じになってしまいます。だからこそ言葉の始まりがとても大切であるという事です。詳細は違っているとは思いますが、このような趣旨のことが書かれていたのです。
バランスというのは、他にもあります。世の中には対になっているものが沢山あります。そしてその対にもバランスがあります。男といったら女です。男と女性とは言いません。女性というなら、対になるのは男性です。言葉にはそういうバランスがあります。
敬称にもそれはいえます。天皇陛下といえば皇后陛下です。天皇陛下について語っている言葉の中に、皇后陛下が「さま」で登場するのはおかしなことです。そうした対の認識が欠けているから、親王の言葉がもれるようなことも起きたのでしょう。
「さま」については親しみを込めて呼ばれる方も多いです。ただし、マスメディアが報じる場合の「さま」が本当に親しみを込められたものかというと疑問を感じざるをえません。なにしろじわじわと日本の敬称の破壊を行ってきている現実があります。マスメディが使用している言葉に、人々はつられるものです。だからこそ「生前退位」という言葉も一般化してしまいました。しかしそもそも「生前」も「退位」も普通には使用しない言葉です。あまりにも失礼すぎる言葉だからです。だからこそ違和感を感じている方も多くいたわけですが、あまりにもマスメディアがこの言葉を使用したがために、その方々も「いわゆる生前退位」と表現せざるをえなくなっています。産経新聞は今では「生前退位」の表現を止めましたが、長い間使用したことに変わりはありません。そして、産経新聞は日本の新聞の中ではまだいい方としても、何度もその失態を竹田恒泰氏が指摘しています。
言葉は思考に関わってきます。だからこそ、思考の破壊をするために言葉の破壊が狙われるのです。人には習性がありますから、違和感を感じている言葉でも何度も聞かされていると抵抗感が減ってしまいます。そうしたことを狙われているとしか思えないのが現状です。
かって植民地になった国々は、言葉が奪われています。現地の言葉の教育を促したのは、植民ではなく併合しかしていない日本ぐらいでしょう。
アジア、アフリカ、南北アメリカ、等、現地の元々の言葉や文字が公用語として使用されている国がどれだけあるでしょうか?
日本人の言葉、日本語を護るのは日本人だけなのだということを私達はもっと意識しなくてはいけないと思います。
やっと→産経新聞は今後、「生前退位」ではなく「譲位」とします
”言葉というもの~皇室への敬称を考える~”