こんにちは。
京都に移住してみて鹿児島との比較でしかありませんが景気の良さを実感します。
観光地ですから街に活気があるのはもちろんなんですが、日常的に見かけるクルマの中の高級車の割合が鹿児島の路上の比ではないということが僕のようなクルマ好きからするとわかりやすいバロメーターだったりします。
以前の記事にも書いたように僕が引っ越して来た西院という街は、京都でも大きめのメルセデスのディーラーがあるせいか新型のメルセデスのほとんどのモデルを毎日路上で見ることができるほど路上メルセデス率が高いのです。(あくまで鹿児島比)
メルセデスベンツというメーカーは個人的には大好きなのですが、2000年に入ってからのモデルにはまるで興味が湧かずもっぱらそれ以前の旧モデルばかりに目を向けていたので、最近のメルセデスの動向や意匠の傾向などにも食指は動かなかったし、鹿児島の路上においては最新型のメルセデスを大挙して見るということもあまりなかったので、僕の歴史の中でも最もメルセデスと離れていた「メルセデス冬の時代」が10年ほど続いていたと思います。
(昔の記事から読んでいる記憶の良い方は鹿児島に移住する直前まで僕がメルセデスのGクラスを2台続けて乗っていたことを覚えていることでしょう)
「究極のクルマだ」「もう乗り換えることはない」と選んだGクラスでさえ、マダム達がこぞって乗るようになってから急激に魅力を失い、今最も輝いて見えるメルセデスはタテ目かW123となっておる僕です。いや、でした。
最近のメルセデスに興味はない!と思っていたんですが、こうも毎日毎日メルセデスの最新モデルを取っ替え引っ替え見せられるに至って、元来のクルマ好きである私はしげしげとメルセデスの最新モデルを観察することになり、最新のメルセデスのデザイン哲学(というか流儀)を理解(というか知った気になる)し、やはりメルセデスは他社の思想から一歩抜きん出ているよなぁと感心することになっているのです。
一番感心しているのは「絶妙に生命感を醸し出すデザイン」だということです。
特にヘッドライトからグリルへの繋がり感の意匠と全体のパッケージングのボリュームの抑揚のつけ方に強く動物感を感じるように作られているのです。
動物感というのは「獰猛さ」の演出にも有効なのですが、今のメルセデスデザインの動物っぽさは動物の持つ「可愛さ」も絶妙に取り込まれているような気がするのです。
今までのように「街で威張れる」というファクターだけではなく、ドライバーにとっての「ペット」だったり「相棒」だったりという、別のベクトルをスキンデザインに与えているように思えるのです。
過去のメルセデスベンツの名作カーデザインは、決して威張れるデザインばかりだったわけではなく、第一義として「そこはかとなく可愛げがある」という共通点がありました。
今回イラストで描いたEクラスなどは昔のSLやW123のかっこよさだけではなく、可愛さをも絶妙に取り込んで表現することに成功しているように思えます。
その点がBMWやアウディの「カッコよければいい」というところで止まっているデザインと一味違うなぁと元来のメルセデス好きの僕なんかは贔屓を引き倒してしまうわけです。
みんなはどう?
では、また!