発症当時、娘の病気を周囲に知らせようと思った時期もありましたが甘い考えでした。 | うちの子が解離性障害!?

うちの子が解離性障害!?

2018年夏、小学生の娘が解離性障害と診断されました。
解離性同一性障害とは言われてませんが4才、年齢不詳の人格がいます。

最近では珍しい毎日連続投稿です。

何度も書こうと思っていた内容です。

 

娘の病気を周囲にほぼ知らせずにきた私ですが

発症当時は周囲に知って貰おうと思った時期もありました。

 

 

理由のひとつは、前にも書いていた不登校のお子さんがいるママさんが

周囲に知って貰うことで学校も周りも巻き込んで

不登校だったお子さんの居場所を作っていったことに感動したこと、

 

もうひとつは、私も娘の病気は何も恥じることもないし

娘は何も悪くないからこそこそ隠すよりも

知って貰うことで周囲の協力や助けを借りるべきではないか?

と思ったことでした。

 

 

ですが一昨日書いたように、

最初の精神科医から止められました。

 

当時の私が考えていたことはまだ現実を知らない

とても甘い考えでした。

 

 

解離性同一性障害はいわゆる、多重人格です。

今までにも書いてきましたが医療関係者でも

なかなか信じてくれない病気です。

それで親子ともども何度悔しい思いをして傷付いたか分かりません。

 

最初の精神科の先生は

「この病気は理解して貰うのが難しいので周囲に知らせるべきではないです。

言ってしまえばこの先友だちや周囲の人にずっと“病名”の記憶が残ります。

娘さんが治っても、この先、中学高校と多重人格のことを覚えている人がいて

娘さんに「多重人格者だったんでしょ?」と言ったり噂をされたり

せっかく治ってもその頃の噂をこの先ぶり返される可能性があります。

本人は忘れても周りがそんな噂をしたら“私は多重人格者だったんだ”とか

“多重人格者の私が周りに求められるんだ”と心が思い込んで

また症状をぶり返す可能性もあります

また過去にそのような例があったことも聞いています。

これから思春期と多感な大事な時期に入っていくので

周囲に言うべきではありません。」

 

と言ってくれました。

これ以外では…かなり診察も雑で薬しか出さない先生でしたが…

あの時私を止めて学校にも内密にするように言って下さったことには

今でも感謝しています。

 

人の口に戸は立てられません。

みんながみんな良い解釈や理解をしてくれるとも限りません。

またどんな噂や誤解を招くかも分かりません。

もし娘がずっと“多重人格者”という意識を周囲に持たれたら

娘自身が耐えられるかどうか分かりませんし

私もどこまで守ってやれるか分かりません。

 

隠すことが娘そのものを恥じているかのようで複雑にもなりましたが

何度も何度も「周囲に言った場合の数年後」を想像して

その度にやはり言うべきではないという結論に達し

何度も自分にダメだ絶対ダメだと言い聞かせてきました。

 

親として“この先娘はどうなるんだろう”という先が全く見えない不安と

苦しさと心細さから何度も誰かとこの病気の辛さを共有したい

誰かに分かって欲しい、

孤独感と不安から救われたくて

何度も仲間を作りたい気持ちになりましたが

あの時、何回も「周囲に言ってしまった場合の数年後」を想像して

自分にダメだと言い聞かせてぐっと我慢して

本当に良かったと思っています。

 

色んな考えがあると思いますが

私は周囲に知らせないことを選んで良かったと思っています。

 

これが正解とは限りません。

もしちゃんと理解して受け入れてくれる場があるのであれば

周囲に知らせることも一つの手だと思います。

 

でも人の考えや思いは様々です。現実は難しい。

 

不登校のお子さんがいるママさんのことをとても感心している人もいれば

裏で良くないことをいう人もやはりいました…。

ママさんは多分それも覚悟の上で周囲に知って貰うことを選択されたので

すごいことだと思います。

 

でも、多重人格者はまた事情が違います……

・とても珍しい、

・テレビや小説やマンガから偏ったイメージや誤解がある、

まず信じて貰えない

 

好奇の目やからかい嘘つき呼ばわりされる対象になりかねない。

目に見えない存在なんですから何も証明ができないのです。

 

私だけが苦しい悔しい思いをするだけならまだしも

娘にこれを背負わせるのは酷です。

そしてその目と闘わなければいけなくなるのは娘本人です。

 

あんなに弱ってずっと痛みや不調にじっと耐え

学校に行けない辛さに弱音も吐かず

“私は治る”の一念で懸命に闘い続けた娘に

また何かを背負わせるのはもう私には無理でした。

下手をしたら娘の命を奪うことになりかねなかった。

 

だから言う訳にはいかなかった。

 

私が仲間を作りたかったのは

当時登校がままならず友だちともほとんど会えない娘に

娘にも仲間を作ってあげたいという気持ちもありましたが

私自身の“寂しさや不安から一時期でも逃れたい救われたい”という

甘えもあったのだと思います。

でもダメな甘えだとは思いません。

当時は私も相当追い込まれていたので救いは必要なんです。

 

でも娘のこの先を考えればあの時ぐっと我慢して良かった。

 

人の事情は様々です。

ここに書きたいのは“隠すことが大事”と言いたいわけではなく

当事者にとってどうすべきか、何が最善かは

状況と人によって違う、ということです。

 

だから“言えない人”にも事情があるのだということを

少しでも知って頂けたらと思って書きました。

 

不登校のお子さんがいるママさんも心配してくれて

“良かったら何でも相談して。吐き出すだけでも楽になるから聞くよ。”

と言ってくれてたんですが……

話すことも相談することも私にはできませんでした。

もしそのママさんに少しでも甘えたら全て話してしまいそうで言えなかった。

水臭い人だと思われてるかもしれません。

でもやっぱり当時の私は弱りすぎていて何を言ってしまうか

分からなかったので話すことはできませんでした。

 

 

今日も長文ですがここまで読んでくださって

ありがとうございました。