京都花月 昭和49年7月下席 | 続アメマのおとしもの

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昭和49年7月下席、京都花月です。
若い世代に人気の吉本新喜劇と、ベテランが多い演芸は、今のNGKと少し似ている感じがします。
 
 
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音楽コントのザ・ダッシュ、歌謡浪曲の東洋朝日丸・日出丸と音曲が二組。まぁ片や歌謡曲、方や浪曲で色は全く違います。平和二郎・勝一の勝一は現在の三代目平和ラッパ
 
ポケット・ミュージカルスは「出発の朝」で大河内通弘の構成。多分新喜劇のメンバーが出ていると思いますが、吉本コメデアンと書いているだけで、他は歌手とバンドしか載ってません。
 
ジャズ漫画の木川かえるが意外に看板が上。前回の昭和45年のチラシでもそうでした。落語二題として、林家小染桂文珍。「ヤングおー!おー!」のザ・パンダで知名度が上がってきた頃ですね。
そして人気漫才のコメディ№1はコンビとして絶好調。トリは人生幸朗生恵幸子で締めます。
 
吉本新喜劇は6月に座長になった木村進間寛平の組で、竹本浩三作・演出の「入道雲」。まだ新体制への移行期なので、翌月に谷しげると座長昇格となる伴大吾が別格扱いで出ています。伴が抜けた位置には、英京介が入ります。マドンナは片岡あや子で、専科の平参平はほぼずっと進・寛平組に出続けました。
一番若手が島田一の介で、新喜劇に入団して1年ぐらい。まさかいっちゃんがこんなに長く活躍するとは思いませんでしたね。
大人気の進・寛平組でしかも夏休みとあれば、京都花月は若い子でイッパイだったでしょう。