七月大歌舞伎 天保遊侠録 女夫狐 菅原伝授手習鑑 平成二十六年七月二十一日 大阪松竹座 | 俺の命はウルトラ・アイ

七月大歌舞伎 天保遊侠録 女夫狐 菅原伝授手習鑑 平成二十六年七月二十一日 大阪松竹座

平成二十六年七月二十一日

大阪松竹座

関西・歌舞伎を愛する会 第二十三回

七月大歌舞伎

昼の部

『天保遊侠録』

 

作      真山青果

演出    真山美保

演出     今井豊茂

 

勝小吉     中村橋之助

八重次     片岡孝太郎

松坂庄之助  中村国生

茶良吉     中村児太郎

唐津藤兵衛  片岡松之助

井上角兵衛  嵐橘三郎

大久保上野介 片岡市蔵

阿茶の局    片岡秀太郎

中村橋之助→八代目中村芝翫

 

 『天保遊侠録』は以前から見たいと思っていた。

 

 旗本勝小吉は若い頃から遊興に耽り、暮らしは

厳しく甥の松坂庄之助から女郎に与える金をせび

られて「お前の父親に出してもらえ」と語る。

 

 神童の評判が立っている愛息麟太郎後の勝海舟

の将来を思い、出世を望んで組頭大久保上野介と

その仲間達を招いて宴席を設けるが、上役達のいじ

めに耐えかねて持前の短気を抑え切れず、怒り不正

を叱り飛ばす。

 

 現れた中老阿茶の局がその場を纏め、小吉が怒

ったことにも理解を示す。

 

 阿茶は上様が麟太郎を側に仕えさせたいと希望

していると語り、麟太郎との暮らしを願う小吉に、麟

太郎自身の気持ちを察するようにと諭す。

 

 中村橋之助が反骨の人勝小吉の闘魂と父性愛

を熱演する。

 

 国生が遊び人だが叔父思いの庄之助を繊細に勤

める。

 

 児太郎の芸者茶良吉は色っぽかった。

 

 市蔵の大久保上野介は傲慢さの表現が鋭かった。

 

 片岡孝太郎の八重次は小吉を包み取る優しさが

素敵だった。

 

 片岡秀太郎の阿茶の局(おちゃのつぼね)は重厚

な風格があった。

 

 小吉にとって頭が上がらない「伯母御」の重さが光

る。


 

 息子麟太郎を溺愛する小吉は息子の決断を聞いて

お城勤めを泣く泣く承知する。

 

 気になったのは麟太郎がお城に出仕する衣裳が派手

過ぎることだ。

 

 今井豊茂の演出作品では、『柳影澤蛍火』でも華美な

衣裳があった。

 

 いかに歌舞伎が奇想天外な個性を持っている芸能とは

いえ、華やか過ぎる色彩は違和感がある。

 

 ラストにおいて雨降る中で小吉と八重次が傘をさす。

 

 孝太郎が師匠の七代目中村芝翫とそっくりである。

 

 芝翫の次男橋之助が小吉の涙を熱く伝えてくれた。

 

 小吉八重次の二人の暖かい絆に「ご両人」の声が

かかった。

 

 橋之助と孝太郎が情を深く伝えてくれた。

 

 伊藤大輔監督は真山青果を尊敬していた。『元禄

忠臣蔵』映画化を企画していたが、溝口健二に取ら

れて悔し涙を流したと『時代劇映画の詩と真実』に

述べられている。『幕末』プレスシートにおいて坂

本龍馬研究で真山青果先生より示唆を受けた事に感

謝の言葉を語っている。

 歴史事実を詳細に調べ抜くということで青果は大

輔の先駆者であったとも言えるだろう。

 

『女夫狐』


 

又五郎実は塚本狐  中村翫雀

楠帯刀正行      尾上菊之助

弁内侍実は千枝狐  中村扇雀

中村翫雀→四代目中村鴈治郎

 

 楠正行が亡き恋人弁内侍への愛から彼女

の形見の鼓を打つと、死んだ筈の弁内侍が

又五郎という従者を連れて現れる。

 

 二人は狐で、鼓の皮にされた狐の子だった。

 

 情けある正行は二者の孝行を讃える。


 

 『義経千本桜 川連法眼館』を土台にして

書かれた改作である。

 

 翫雀と扇雀が愛し合いながら親の狐を慕う

という愛の重層的な物語を舞で鮮やかに語る。

 

 菊之助の気品と古典美が光っている。

 

 親子の絆の尊さを教えてくれる舞踊である。

 

『菅原伝授手習鑑 寺子屋』

十五世片岡仁左衛門

 


松王丸   片岡仁左衛門

 

千代     中村時蔵

戸浪     尾上菊之助

与太郎    中村国生

百姓吾作   片岡松之助

春藤玄蕃   片岡市蔵

武部源蔵   中村橋之助

 

園生の前   片岡秀太郎

初代片岡孝夫→十五代目片岡仁左衛門

 

中村橋之助→八代目中村芝翫

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 片岡家にとって『菅原伝授手習鑑』は大切な狂言で

ある。

 

 十三代目片岡仁左衛門は菅原道真を崇拝していた。

『菅原伝授手習鑑』の菅丞相を勤める時は肉食を断ち、

精進潔斎して掛け軸を楽屋に掲げて、お水を供えて合掌

して舞台に臨んだ。

 

 わたくしはこの名演を国立劇場・歌舞伎座で見れなか

ったのだが、国立劇場公演の記録映画を国立文楽劇場

で見て、忍耐に生きる道真の命に深い感銘を受けた。

 

 平成四年(1992年)十二月南座顔見世では『菅原伝授

手習鑑 車引』が上演された。梅王丸に五代目片岡我當、

桜丸に代目片岡秀太郎、松王丸に初代片岡孝夫(後の

十五代目片岡仁左衛門)、杉王丸に初代片岡進之介、そ

して藤原時平に十三代目片岡仁左衛門の大舞台であっ

た。

 

 十三代目の時平は大いなる悪の華が咲かせていた。凄

みと迫力は圧巻であった。

 

 十三代目は優しく暖かい方であったが、極悪巨悪の敵役

を気品と風格で明かす名優でもあった。

 

 テレビのインタビューで「『今度は時平公を勤めさせて頂き

ます。どうもすみません』と菅丞相の申し上げて勤めさせて

頂いております」と仰っていた言葉が印象的だ。

 

 約二十二年の歳月が経ったが南座の舞台で松嶋屋三代

の「車引」を見た感動は今も絶大である。


 

 平成二十二年三月八日歌舞伎座で『菅原伝授手習鑑』

を鑑賞し、十五代目片岡仁左衛門の道真、二代目片岡秀

太郎の立田の前、初代片岡孝太郎の苅屋姫、五代目片岡

我當の判官代輝国を見て、無実の罪を甘受して愛する養女

に無言で別れを告げる菅丞相の大いなる愛に大感激した。

 

 今回の七月大歌舞伎松竹座公演は、仁左衛門の松王丸、

秀太郎の園生の前という配役で、過去の片岡家の『菅原』

名舞台を想起しながらじっくりと鑑賞した。

 

 過去の名舞台が現在の名演技と共に呼応し合う。

 

 ここに古典鑑賞の尊さがあるのだ。

 

 平成二十六年(2014年)四月には国立文楽劇場で七世

竹本住大夫引退興行として『通し狂言 菅原伝授手習鑑』

が「大序」から「寺子屋の段」まで上演され、この月の

七日に一日一二部通し、二十一日に一部、二十六日に二

部を鑑賞した。

 文学・音楽・演劇を包む偉大なる文楽の生命を実感し

た。

 

 興行的にも補助椅子が出る程の大ヒットであった。

 

 この年の春夏に文楽と歌舞伎の演出をじっくりと学べ

る機会を改めて与えて貰ったことも有り難い出来事であ

った。

 

 七月大歌舞伎「寺子屋」は、結論を先に言うと歌舞伎

の気迫が漲る名舞台であったが、文楽が「大序」からの

大通し上演で歴史的名舞台を現成し興行的にも大成功し

たことを受けて、歌舞伎においても、「寺子屋」だけで

なく、『菅原伝授手習鑑』のほぼ全体の通し上演を近畿

で行って欲しいと痛感した。

 

 近畿では戦後『菅原伝授手習鑑』の大部分が上演された

最後の公演は昭和四十三年の朝日座公演ではないだろう

か?

 

 長く『道明寺』も上演されていない。

 

 『菅原伝授手習鑑』は京都・大阪・大宰府を中心の場

とする狂言である。

 

 近畿の歌舞伎公演でほぼ全体の通しがほとんど無いこ

とは悔しい限りである。

 

 その痛切な思いを感じたのも、「寺子屋」が出演者の

芸力が燃える充実の舞台であったからでもある。

 

 

 仁左衛門の松王丸は当たり役である。

 

 菅秀才捜査の凄みも狂言とはいえ、玄蕃の目を欺くもので

あるから凄みと鋭さが問われるが、松嶋屋は眼力の光でこの

課題に応えている。

 

 幕が開くと、寺子屋の子供達の可愛い手習風景が伝えられ

る。

 

 文楽で子供達の人形が「あっちむいてホイ」をする光景に

可愛さの美があるが、歌舞伎の子役達の可愛らしさも素晴

らしい。

 

 国生の与太郎が十五のよだれくりのおかしみを見せる。

母三田寛子は京都出身の歌手でもある。関西芸人の血を

感じさせてくれる奮闘に拍手を送りたい。

 

 中村橋之助の武部源蔵が現れる。

 

 芸が大きく迫力がある。寺習子の一人を選んで斬殺しその

首を差し出すという酷い課題を背負って歩む男の哀しみが

肩に溢れる。

 

 恋女房戸浪を駆け落ちした男の色気も豊かだ。

 

 「いずれを見ても山家育ち」を重く深く語ってくれた。

 

 尾上菊之助の戸浪は繊細で古風な美が鮮やかだ。

 

 菅丞相の名を語る際に源蔵は深々と一礼する。

 

 御名を申し上げること自体、弟子にとっては大きな出来事

なのだ。

 

 「伝授は伝授、勘当は勘当」を丞相から言い渡され、弟子

ではあるが家臣ではなくなった身だが、その勘当の身ゆえの

大胆さから若君菅秀才保護を願い出てその大役を勤めてき

た。

 

 しかし、寺子と称して秘かにお育て申し上げていることが

時平とその家臣玄蕃にばれてしまい、身替りとして手習子

の一人を犠牲にすることを決めたのである。

 

 橋之助が「のっぴきならぬ手詰」を「のっぴきさせぬ手詰」

と語ったことは残念であった。東京の俳優は先輩からの教え

を墨守することが求められていると聞いているが、台本の誤り

である「のっぴきさせぬ手詰」を守る必要はないと思う。

 

 市川海老蔵後の十三代目市川團十郎白猿が同じ松竹座の舞

台で源蔵を勤めた時はしっかりと「のっぴきならぬ手詰」と

語ってくれた。

 

 本文を尊重する姿勢に感動したことは今も鮮烈である。

 

 市蔵の春藤玄蕃は憎たらしさと嫌らしさと執拗さが絶品

であった。よだれくり与太郎を打擲する場の憎たらしさも

光る。

 

 松之助の吾作も大いに笑わせてくれた。

 

 仁左衛門の松王丸が駕籠から現れる。

 

 その存在感は絶大である。激しくせき込んで病の身と語っ

ていることを強調する。

 

 仁左衛門の松王丸が橋之助の源蔵をぐいぐいと追い詰

め問い詰めて行く流れに、歌舞伎の凄みを思った。

 

 机の数を見て松王が厳しく問い質す場も緊張する。

 

 菊之助の戸浪が大先輩仁左衛門の松王丸を相手に奮闘

し、苦慮のこころを緊張感豊かに表現する。

 

 「無礼者め」の見得は、先輩達が指摘する通り、歌

舞伎独自の演出であり、仁左衛門が迫力豊かに歌舞伎の美

を見せる。

 

 源蔵が小太郎を斬った際の松王丸の苦悩を仁左衛門が

深く表現する。

 

 首実検の場では松王丸と源蔵の激突が白熱する。役者

と役者の芸と芸が熱くぶつかり合う時でもある。

 

 仁左衛門と橋之助の演技合戦は熱く凄絶であった。

 

 「菅秀才の首に相違ない」の一言を仁左衛門は哀しみを

こめて深く語ってくれた。

 

 時蔵の千代は母性愛が豊かで大きかった。

 

 松王丸が菅丞相の歌を寺子屋に投げいれる場では、橋

之助の源蔵が「梅はとび 桜は枯るる世の中に」までを語り、

仁左衛門の松王丸が「何とて松のつれなかるらん」を語る

という深い演出である。

 

 このせりふの割り方は歌舞伎ならではの個性がある。

 

 松王丸が源蔵に詫びて、時平に仕える身で菅丞相に忠義

を尽くす道を考えていたことを語り、妻千代と共に一子小太郎

を犠牲にして斬ってもらったことを改めて報告する。

 

 最愛の我が子を犠牲にして忠義を為した松王丸・千代夫婦

の哀しみを思い、源蔵・戸浪夫妻は切なさを胸で確かめる。

 

 我が子小太郎が従容として死を受容したことを源蔵から聞

かされ、松王丸は佐太村で自責の念から切腹して散った弟

桜丸を思い大泣きする。

 

 仁左衛門の「源蔵殿、ごめん下され」の叫びには弟を思う

兄の真心が溢れていた。

 

 秀太郎の園生の前が松王に呼ばれて現れ、舞台を締めて

くれた。菅原家の御台所の風格は圧巻である。

 

 歌舞伎では松王丸・千代夫婦と千代源蔵が園生の前・小

太郎母子をお守りするこころを示す場で絵面となって終幕

となる。


 

 片岡仁左衛門の松王丸は、最愛の子を犠牲にして若君を

救い弟を思う男の義と愛の悲しみを深く語り明かしてくれ

た。

 

 平成二十六年(2014年)七月二十二日・二十三日・

八月二十五日の記事を再編した。

 

 歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』の物語美をわたくしに教えて

下さった名優師匠は四代目坂田藤十郎だ。

 高師直・大星由良之助・早野勘平・与市兵衛・斧定九郎・

七段目のお軽・寺岡平右衛門・戸無瀬の至芸を劇場客席で

拝見した感激はわたくしにとって生の活力になっている。

 

 歌舞伎『菅原伝授手習鑑』の悲心を私に教えて下さった

名優は十五代目片岡仁左衛門だ。

 

 菅丞相と松王丸の至芸を劇場客席で拝見し悲しみの心

を明かされた。

 

 父上十三代目片岡仁左衛門は藤原時平公の冷酷さを明

かした。

 

 平成四年(1992年)十二月南座で出会った時平役の

凄みは今もわたくしめを震撼せしめる。

 

 今月令和五年(2023年)七月大阪松竹座で観劇する

ことはスケジュール面で厳しくなってきた。

 

 『平家女護島』の俊寛/片岡仁左衛門が見れないかも

しれない。申し訳ない。

 

 長年の夢を逃すかもしれないことに自分に対する叱責

の声を語る。

 

 「松竹には時代物の名作を上演して欲しい」と語り、

上演してくれているのにいけないかもしれないという

ことは忸怩たる思いである。

 

 昭和六十三年(1988年)十二月二十四日南座で『平

家女護島』を鑑賞した。俊寛/三代目市川猿之助後の二

代目市川猿翁、瀬尾兼康/四代目市川段四郎、丹左衛門

尉基康/初代片岡孝夫後の十五代目片岡仁左衛門の豪華

配役の名舞台であった。

 

 喜熨斗兄弟激突の俊寛・瀬尾は迫力豊かだった。

 

 初代片岡孝夫の丹左衛門尉基康は綺麗だった。

 

 行けない時は心で応援する。

 

 京都から「松嶋屋」のかけ声を送る。

 

 『風の谷のナウシカ』『ワンピース』は素晴らしい

漫画であり、アニメで映像化されていることに敬意を

表すべきである。歌舞伎化には反対である。

 

 本日二十一時日本テレビ・よみうりテレビ系で名作

『もののけ姫』が放送される。

 

 宮崎駿アニメーションは世界の宝である。    

 

 『君たちはどう生きるか』はまだ見聞していない。           

 

 「今月大阪松竹座に行けないかもしれない身で偉そうな

物言いをするな」とお叱りを受けても歌舞伎は今月の『平

家女護島』のように時代物名作上演を公演の柱にして頂き

たい。

 

 七月二十三日東京の古谷敏氏誕生日ウルトラバースデー

ショーは既に完売のようだが、このショーにも行けない。

 

 行けない身であっても熱き応援の心を難波大阪松竹座・

永田町星稜会館に二十三日送りたい。

 

 古谷敏様と十五代目片岡仁左衛門丈は同学年であり、

現在お二人は八十歳・七十九歳である。

 

 九年前の今日大阪松竹座で七月大歌舞伎『天保遊侠録』

『女夫狐』『菅原伝授手習鑑 寺子屋』という新歌舞伎・

舞踊の秀作・時代物の傑作を見聞し大感激を覚えた。

 

 

 

                  文中一部敬称略



 

                      合掌



 

                    南無阿弥陀仏 


 

                     セブン