大岡越前 天一坊事件(一)昭和四十五年九月十四日放映 加藤泰脚本作品 | 俺の命はウルトラ・アイ

大岡越前 天一坊事件(一)昭和四十五年九月十四日放映 加藤泰脚本作品

『大岡越前』 

第二十七話「天一坊事件」

放映日 昭和四十五年(1970年)九月十四日

放映局 TBS系



脚本    加藤泰


音楽    山下毅雄


ナレーター 芥川隆行

題字     朝比奈宗源


出演


加藤剛(大岡忠相)



竹脇無我(榊原伊織)



土田早苗(千春)

宇津宮雅代(雪絵)



大坂志郎(村上源次郎)



金井大(天忠)

木村俊恵(お政)

舟橋元(大橋文右エ門)


天津敏(赤川大膳)

穂高稔(松平伊豆守)

江見俊太郎(藤井左京)

唐沢民賢(天一坊配下の武士)



太田博之(天一坊)



山形勲(山内伊賀亮)



プロデュ―サ― 西村俊一



監督       工藤栄一



制作協力  東映



制作   C・A・L



 ☆☆☆

 唐沢民賢はオープニングノークレジット

 ☆☆☆

 演出の考察・シークエンスへの言及・台詞

の引用は研究・学習の為です。


 TBS様・C・A・L様におかれましては、お許

しと御理解を賜りますようお願い申し上げま

す。


 今回は物語の結末に関する事柄に言及し

ます。未見の方はご注意下さい。

 ☆☆☆



katougou

 享保年間に紀州大納言徳川光貞の子であり、

時の八代征夷大将軍徳川吉宗の兄弟であると

名乗ったナカガワセイケンが町奉行大岡越前

守忠相から、贋者として裁かれ、引き回しの上

鈴ヶ森での断罪・獄門を宣告される。


加藤泰

 忠相は浪人とはいえ武士であるセイケンが何

故将軍偽兄弟事件を起こしたのかと問う。


 処刑を言い渡され縄をかけられてもセイケン

は落ち着きはらって、「初心な事を言われる」と

越前を嘲笑し、「大きな悪事を企てる者は必ず

失敗した時の覚悟はしてある」と言い放ち、「俺

達浪人はうじゃうじゃしていて先の望みはない」

と動機を語り、「公儀の詮議を受けて名を語られ

るのは天下の面目」と大胆不敵に居直った。


 「黙れ!セイケン」


 忠相は怒り、「もうよい」と自らを静めるように

言い聞かせた。


 「安達ヶ原の黒塚に」の声が響く中、美濃の森

を静かに歩む男がいた。


 ナレーター「先の九条関白家に仕えて山内伊賀

        亮と称していた男が浪人して美濃に

        隠れていた。」


 山内伊賀亮と名乗る浪人は、寺院常楽院に現

れた。寺には沢山の人々が集まっている。


 侍が伊賀亮に名を問う。


 伊賀亮「和尚さんの所へ来たんだが、何だい、

      こりゃ?」


 侍「名前を聞かせて下さい」


 伊賀亮「先生が来たと言ってくれ。」


 住職天忠は伊賀亮を先生と呼び、寺で尊い方

をお迎えしていると伝える。


 寺の一室で伊賀亮はその大事を聞かされる。


山形勲 伊賀亮


 伊賀亮「御落胤?」


 天忠「さよう、天一坊様と申し上げる。」


 天一坊と呼ばれている美男の若者が天忠の甥

赤川大膳に馬乗りになって遊んでいる。


 天忠は上様吉宗公が紀州部屋住みの頃で、徳

太郎を名乗られていた時期に、加納将監の娘沢

の井殿に生まれた御子が天一坊様で、証拠とし

てお墨付きと短刀を渡されたことを話す。


 大膳は天一坊が襁褓をした赤児の頃に御拾い

申しあげたが、その時短刀とお墨付を身に備え

られていたという。



 伊賀亮は天一坊が持っていたというお墨付と

短刀を熟視し、天一坊の鋭い目を見つめる。


 天忠は若君を奉じて江戸に参るにしても大変

事業であり、「先生のような文武に通じておられ

る方のお力を借りたい」と指導を乞う。


 天一坊は「この度余に仕えんとの志、神妙で

ある。主従固めの盃をつかわすぞ」と喜ぶ。


 盃を受けるふりをしたかと思いきや、伊賀亮は

大笑し厳しい目で天一坊に言い放つ。



 伊賀亮「ハハハ!この大騙りめが。他の者なら

      知らず、この伊賀亮。こんな坊主の謀に

      欺かれるか!たわけ者が!」


 天忠「先生」


 伊賀亮「言ってやろう!まずその顔だ。その顔に

      現れた相は存外のことを企てる大凶の

      相だ。その目の常に落ち着かず、殺気が

      あるのは明らかに人を殺した人殺しの

      目だ。その目の殺気だ!」


 天一坊は叱責されて怒り動揺し、去って行く伊賀

亮を斬ろうとするが天忠に制される。

 

 天忠は大膳と仲間の藤井左京に「おめえらも今迄

のおめえらとは違うんだ」と言い聞かせ、口封じの

襲撃は昼の寺院内において為すべきではないこと

を伝える。


 雨の夜。


 伊賀亮は一人で歩んでいる。


 数人の刺客達が襲ってくるが、伊賀亮は落ち着

いて応戦し、二人を斬り、一味の首魁天忠を捕え

て問う。


  「和尚、この伊賀亮を殺して、お前さん達の大

   願成就は成るのかな?」


 天忠は見破られて不敵に居直る。伊賀亮の助力

が欲しいのだ。


  伊賀亮「わっぱ、お前の目的は何だ?」



  天一坊「御落胤だい。」



 伊賀亮「だからその偽の御落胤をやる気になった

      目的は?」


 天一坊「やるんならでっかくやりてえじゃなねえ

      かよ!それに将軍だってよ、目玉二つ、

      口は一つ、鼻一つ。俺とおんなじじゃね

     えか。だのにあっちは死ぬまで将軍、こっ

     ちは死ぬまで宿無しなんだい。誰がそん

     なこと決めやがったんだい?だから俺は

     やるんだい!」



 天忠は大膳・左京は元山賊であり、天一坊は

お墨付きと短刀を持っていた老婆お三を殺害し

た下手人で、彼自身も前の住職を毒殺して寺を

奪ったことを告げて、続く野望として「次は?」

と笑う。



  伊賀亮「あわよくば天下の屋台骨か?よし、

       面白い!一工夫してくれる。証拠の

       品は確かにあれは本物だ。事の成否

       は金だ。金は天下の台所大坂商人に

       しこたま冥加金を出させろ。京都所司

       代に頭を下げさせて箔を付ける。

       江戸には大岡越前守がいるぞ。こい

       つとの勝負だ!俺の目的はこいつと

       の勝負との賭けだ。そして俺は勝つ!」


  かくして天一坊を若君、伊賀亮を指南役とし

て天忠・大膳・左京の三人が支えるという集団

が結成され、五人は天下の屋台骨を奪み掴む

と言う大望を成就するため歩み出した。



 ☆☆天下を狙う目☆☆



 『大岡越前』はC・A・Lが東映の協力を得て製作

しTBS系で放映した時代劇ドラマである。町奉行

大岡越前守忠相が法の下の平等を願い、平安

を成就する為に事件を深く吟味し、時に涙を堪え

つつ、名裁きを宣言する。


 池上金男・稲垣俊の脚本、山内鉄也の監督に

よる第一話「大岡越前」は平等の精神を語り、永

遠の傑作として輝いている。


 主人公大岡忠相の義を加藤剛が渾身の熱演で

明かした。


 越前の刎頸の友で医師の伊織には二枚目スター

竹脇無我が繊細に演じた。


 徳川八代将軍吉宗は山口崇が颯爽と演じきった。


 法の正義を求める時代劇でありつつ、世の矛盾

に苦悩しつつ明日を夢見て奮闘する若者の青春

ドラマでもあった。


 昭和四十五年九月二十一日までの全二十八回

が放映され、脚本を稲垣・池上の他に津田幸夫・

加藤泰・宮川一郎・葉村彰子(脚本家のチーム名)

が書き、監督を山内の他に田坂勝彦・内出幸吉・

佐々木康、そして工藤栄一が担当した。


 超豪華なスタッフ・キャストによって名作群が製作・

放映された。


 舞台・映画でも考えられないような顔ぶれが結集

した。


 ナショナルの力もあったとは思うのだが、時代劇

映画が製作し辛くなって、数多くの映画人がテレビ

で活躍するようになったことも影響していると思わ

れる。


 傑作を生産して内容は好評、視聴率も順調であっ

ったとしても、シリーズ化は当初から決まっていたこ

となのだろうか?


 放送当時二歳の幼児であった私にはわからない

事柄であるが、「第一部」にはその後第十五部・平成

十八年(2006年)三月二十日スペシャル版まで続く

長寿シリーズの原点があると思う。


 やはり第一部最終回にはその時のドラマ全体を

締めくくる総決算の意気込みでスタッフ・キャストは

ドラマ作りに挑んだと見るべきだろう。


 最終回は前後篇の二回によって構成され、天一

坊事件を語る。

 

 脚本は加藤泰、監督は工藤栄一である。


 加藤は大正五年(1916年)八月二十四日に誕生し

た。最初の名は加藤泰通である。


 昭和五年(1930年)の伊藤大輔監督、大河内傳

次郎主演『続大岡政談 魔像篇第一』を見て感激し

映画人となることを生涯の夢として、後に叔父山中

貞雄を頼って上京し、東宝・理研科学映画・満州映

画協会を経て、戦後大映に入った。


 昭和二十二年(1947年)加藤泰通は生涯の師伊

藤大輔監督の元で映画作りを為すという少年時代

からの願いを実現する。

 


 伊藤大輔が撮った作品は、天一坊事件を問うもの

であり、天一坊は徳川吉宗の御落胤であり、一目父

親を見たいと言う彼の願いに感激して仕えた山内伊

賀亮は幕府の陰謀から命を捨てて主君を守るという

物語である。


 この後泰通は加藤泰と改名し監督に、新東宝・東

映・松竹で数多くの監督作品を発表した。


 『風と女と旅鴉』 昭和三十三年四月十五日公開

 『瞼の母』 昭和三十七年一月十四日公開

 『幕末残酷物語』 昭和三十九年十二月十二日公開

 『明治侠客伝 三代目襲名』 昭和四十年九月十八日

 公開

 『緋牡丹博徒 お竜参上』昭和四十五年三月五日

 公開


 東映京都で制作されたこの五本は不滅の傑作であ

る。興行的に大失敗した作品もあるがファンがその素

晴らしさを語り、口コミで評判が伝播し再上映を成し

遂げたものもある。


 妥協なき演出とローアングルの多様と題材への徹底

した調査研究により、熱く深い演出・脚本で映画・テレビ

に燃える名作が上映・放映された。


 『大岡越前』では演出はなくて、脚本に専念する形で

の参加となった。


 総決算・集大成としての「天一坊事件」を書くこととな

った。


 師伊藤大輔が天一坊事件を演出した映画から二十

二年十か月十六日・二十三日に加藤泰が書いたドラマ

が放送された。


 加藤泰としても師が語った題材を、全く違った視座で

脚本化することに熱い闘志が湧き起ったことは想像に

難くない。


 監督はシリーズ初登場で、時代劇の俊英として活躍

していた工藤栄一である。


 脚本加藤泰、監督工藤栄一で締めるという豪華な

顔合わせである。


  

 天一坊が歴史において徳川吉宗の実子であったか

どうかは謎である。これは歴史学において問われる事

柄であろう。



 工藤栄一監督は自然の輝きを映しつつ、奥行きの

ある映像を伝えてくれる。


 冒頭のシーンで泰脚本と栄一演出は、将軍偽兄弟

事件を裁く忠相の怒りを描きつつ、ナカガワセイケン

が悪に手を染めたことの因の一つに浪人の生活苦を

挙げる。


 森の中から浪人山内伊賀亮が悠然と歩んでくる

シーンは深く厳かである。


 前述の通り「安達ケ原の黒塚」の曲が重々しく響く。


 悪の入場とも言うべき凄みがある。



 このドラマでは、要約に記した通り、天一坊は極悪

の美少年として登場する。



 太田博之が美男の妖しい魅力を輝かせる。


 初登場シーンで大膳を馬乗りにして遊ぶ光景にも

凄みがある。


 伊賀亮の鋭い眼光に見つめられて、目が素早く動

き光を放つところにも迫力がある。


 「ワルの天一坊」としてはこの人に極まると思う。


 金井大が前住職に毒を盛って寺を乗っ取り、赤川

大膳・藤井左京を配下に置き、天一坊を擁して日本

国乗っ取りの野望に燃えるワル坊主天忠を粘り強

く演じる。


 大膳の天津敏と左京の江見俊太郎は悪役名優の

大物であり、二人が演じるにしては役不足の感が無く

は無いが、「ご馳走」の芸としての重量感があり、ドラマ

を締めてくれた。


 そして、山内伊賀亮に山形勲。


 大正四年(1915年)七月二十五日ロンドン生まれの

山形は本名を塙勲と申し上げる。


 昭和・平成の日本映画・テレビの歴史を支えた大名

優のお一人である。重厚で深く凄みのある悪役は演技

の至宝である。


 第二十七話の悪党五人の顔合わせでは伊賀亮が

天一坊の目の力に走る「悪」を見破って叱責し、彼を

擁する天忠・大膳・左京の三人も「悪党」として嘲笑さ

れる。


 しかし、これは伊賀亮が「義」の人として「悪」を懲ら

しめるものではない。


 「悪」の存在感が伊賀亮から見れば「小さい」ことを

叱られているのだ。

 

 即ち「悪」の巨星浪人伊賀亮から見れば、殺人強盗

乗っ取りを犯した大悪党四名もまだまだ青いのである。


 この悪党一味結成の場は伊賀亮を師範として、「悪

」の修業が為される道場であると言えよう。


 夜の雨のシーンの殺陣は工藤栄一の演出が光る。


 雨降る夜のチャンバラで工藤は演出を極めた人でも

ある。


 雨の中の激闘を通して、伊賀亮は、「わしを殺して

和尚達の大願は成就するかな」と問い、天忠の気持

ちを揺さぶり吐き出させる。


 天一坊は老婆を殺した少年であることが明かされ、

「ご落胤」への野望が力強く語られる。


      「それに将軍だってよ、目玉二つ、

      口は一つ、鼻一つ。俺とおんなじじゃね

     えか。だのにあっちは死ぬまで将軍、こっ

     ちは死ぬまで宿無しなんだい。誰がそん

     なこと決めやがったんだい?だから俺は

     やるんだい!」


 天一坊が悪事を重ねていくことへの根に平等を求め

る心があることを泰脚本は鋭く書く。


 伊賀亮は四人の胆の底を問い糺し、悪の野望の

重さを吟味して行く。ワルとして生ききれるかどうかの

根性を試しているようにさえ感じられる。


 四人の野心を確かめた後、伊賀亮は彼らを精神的に

従属させ、首魁となって一味を率いる存在となる。


 日本国乗っ取りの極悪の計画が、伊賀亮の指揮の

下、雨の夜に始まる。


 壮大な悪の物語が始まり、視聴者に越前に挑む敵が

強靭な存在であることが知らされて行く。


 師匠伊藤大輔が語った人物像とは全く違った極悪人

として加藤泰は伊賀亮・天一坊を書きつつ、大きさ・淋し

さを持つ魅力的な悪役としても描写している。


 大いなる浪人と平等を願う美少年という点が人物像

は全く違っていても、師伊藤大輔映画と明確に呼応し

ていることも見逃せない。


 即ち加藤泰は全く違った人間像を探求しながら、人物

の魅力で師の映画と語り合い見つめ合い映し合っている

のだ。




                           文中敬称略



                             合掌