仁義なき戦い 昭和四十八年一月十三日公開 菅原文太主演作品(一) | 俺の命はウルトラ・アイ
2014-01-13 23:45:00

仁義なき戦い 昭和四十八年一月十三日公開 菅原文太主演作品(一)

テーマ:菅原文太

『仁義なき戦い』


公開日  昭和四十八年(1973年)一月十三日


制作   東映京都



企画   俊藤浩滋

      日下部五朗


手記   美能幸三


原作   飯干晃一


脚本   笠原和夫



撮影   吉田貞次

照明   中山治雄

録音   溝口正義

美術   鈴木孝俊

音楽   津島利章

編集   宮本信太郎


助監督    清水彰

記録     田中美佐江

装置     近藤幸一

装飾     山田久司

美粧結髪   東和美粧

スチール   藤本武

演技事務  上田義一

衣装     山崎武

擬斗     上野隆三

進行主任   渡辺操



出演



菅原文太(広能昌三)





松方弘樹(坂井鉄也)




田中邦衛(槇原政吉)

中村英子(国弘鈴江)



渡瀬恒彦(有田俊雄)

伊吹吾郎(上田透)




金子信雄(山守義雄)

木村俊恵(山守利香)

川地民夫(神原精一)



渚まゆみ(新庄秋子)

内田朝雄(大久保憲一)

三上真一郎(新開宇市)

名和広(土居清)



高野真二(金丸昭一)
高宮敬二(山方新一)

林彰太郎(松永武)

中村錦司(中原重人)

曽根晴美(矢野修司)

小池朝雄(ナレーター)



江波多寛児(前川巡査)

宇崎尚韶(杉谷伸彦)

野口貴史(岩見益夫)

大前均(野方守)

国一太郎(垣内次郎)

大木吾郎(大竹勇)

小島恵子(けいこ)



平沢彰(屋代光春)

西田良(高野真二)

白川浩二郎(古屋誠)

志賀勝(横川信夫)

唐沢民賢(中村捜査係長)

榊浩子(キャバレーのホステス)

小林千枝(山城佐和)

東竜子(国弘とめ)



川谷拓三(江波亮一)

宮城幸生(川西保)

池田謙治(寺内八郎)

笹木俊志(西谷英男)

福本清三(下中隆次)

山田良樹(加谷刑事)

疋田泰盛(小室刑事)

岩尾正隆(着流しのやくざ)



壬生新太郎(柳田敏治)

木谷邦臣(川南時夫)

司裕介(貫田秀男)

有田剛(水谷文次)

藤沢徹夫(倉光正義)

藤本秀夫(打森昇)

松本泰郎(石堂寅雄)

西山清孝(吉永進)

奈辺悟(安条圭介)

藤長照夫(広石金作)



友金敏雄(脇田昇)

村田玉郎(洋品店主人)

小田真士(看守A)

小峰一夫(アジア系外国人A)

大城泰(看守B)

松田利夫(看守C)

波多野博(警官A)

片桐竜次(目崎武志)

高木亜紀(初子)

北川俊夫(楠田丈市)





梅宮辰夫(若杉寛)




監督 深作欣二



美能幸三はノンクレジット

名和広→名和宏

江波多寛児→江幡高志



東映

 海の中から出た岩に白文字で三角マークの東映の

印が表示される。


 太鼓の音と共に凄まじい音が響く。


 昭和二十年(1945年)八月六日、広島に原子爆弾が

投下されキノコ雲が起こった。


 真っ赤な文字でタイトルが表示される。


 仁義なき戦い


仁義なき戦い op


 スタッフ・キャストが赤い文字で紹介される。


 戦後の風景を映す写真と共にスタッフ・キャスト

の字幕が映し出される。


 企画は東映のプロデューサー俊藤浩滋・日下部

五朗。


 原作は飯干晃一。


 脚本は笠原和夫。


 手記を書いた美能幸三の名は表示されない。


 出演者の書き出しは主演菅原文太である。


文太

 スタッフ・キャスト全ての留めは監督の深作欣二で

ある。


作さん

 昭和21年 広島県呉市


 映画は昭和二十一年(1946年)広島県呉市の闇市

から物語が始まる。


 シナリオでは「昭和二十年、日本は太平洋戦争に

敗れた」の言葉がある。


 小池朝雄のナレーションが「戦争という大きな暴力

は消え去ったが秩序を失った国土には新しい暴力が

吹き荒れ」たことを語る。


 「人々がそれらの無法に立ち向かうには、自らの暴

力に頼るほかはなかった」の言葉に、生物・人間の社会

には弱肉強食の原理が働き、競争と戦闘に生き残る為

には、暴力に対して自衛して戦わねばならないという鋭く

深い「生」への洞察がある。


 平和に他者と共存することが成り立てば、有難いこと

だが、暴力の嵐が吹き荒れる場では、襲われれば戦う

しか生きる道はない。


 『仁義なき戦い』の冒頭は、生きる為に戦う男の道が

鮮やかに示されるのだ。


 女性の叫び声が響く。


 海軍復員兵姿の青年広能昌三とその友山方新一の二

人は女性の声を聞き、声の方角を鋭い視線で見つめる。


広能昌三

 広能昌三初登場のシーンは、菅原文太の逞しさが印象

的だ。


 白い飲料水をぐっと飲み、女の危機を直感する男の強さ

がある。


 事務員風の女性山城佐和が数人のアメリカ人兵士から

乱暴を受けて体を奪われようとしていた。


 佐和を演じている美人は小林千枝である。


 渚まゆみと似ているが、別人であり、このシーンの女性を

新庄秋子としている文献があるが、この場の被害者は佐和

である。

 占領下において、戦勝国アメリカの兵士は強大な存在で

ある。


 笠原和夫は、終戦後米兵達が日本人女性を連れて、威張

っていた光景をインタビューで語っている。


 敗戦国日本の地で、勝者アメリカ兵の乱暴狼藉は激しいも

のだった。


 人々は米兵の力を恐れて、日本人女性が襲われても、見て

見ぬふりをして傍観して逃げてしまう。


 広能の若き情熱は、虐げられている女性佐和の声を聞いて

燃えあがり、救助に向かう。


 「苦しんでいる存在を、命を捨ててでも助けたい」という願い

に昌三は目覚めたのである。


 抵抗できない女性を抑えつけて乱暴しようとしている米兵の

蛮行を見て、広能の怒りは燃え上がった。


 「こん外道!何しやがる!」

 広能は狼藉を働いている米兵を蹴り飛ばし、命がけの戦いを

為して佐和を救出する。


 占領下に在って、最も強い存在である米兵に挑む日本人青

年広能。


 笠原和夫は、米兵の蛮行に対して青春の激怒の炎を燃やして

戦う広能の姿に、「挑戦」のテーマを確かめたのではないだろう

か?


 強大な圧力を以て個人を押し潰すものに対して、個人が負ける

かもしれないという危機を抱きつつ、果敢に挑む。


 その壮絶な戦いを笠原脚本は仁侠映画において描いてきた。


 押し潰しにくる「力」に対して、「個人」が蟷螂の斧であっても、全

てを賭け尽くして、全身を挙げて戦う。


 この生き方に、笠原和夫はやくざ映画のテーマを見出した。


 『仁義なき戦い』冒頭における広能昌三の米兵に対する戦いは、

「強大な力に挑む個人の闘魂」を明確に表すものとなっている。


  美能幸三の手記を基に飯干晃一はノンフィクション小説を書き

 その記録を、『仁義なき戦い』を名付けた。


 映画は飯干版原作を参考にしつつ、原手記美能への取材を行っ

って学び書かれた脚本を土台にして重厚な演出が為された。


 全ての原点は、美能幸三の手記にあると思う。


 美能幸三は大正十五年(1926年)七月広島県呉市に生まれた。

戦争の時代は海軍兵士として従軍し復員後やくざになり、後に美

能組組長になった。


 昭和四十五年(1970年)にやくざから足を洗い、堅気の実業家

として市民として暮らした。


 『仁義なき戦い』の原作連載・映画化の時代、美能氏はやくざで

はなく堅気の実業家として活躍した。


 東映が映画化を決定した時期、笠原和夫に対して、「手記執筆

者本人とは会うな」と命じたが、笠原は「それでは脚本は書けない」

と主張して広島に飛び、美能氏を尋ねた。


 美能は手記を書いたことで、昔の仲間から「自己美化している」と

厳しい評価を受けていたので、「映画化は困る。断る」と初めは否定

の姿勢を取っていた。


 笠原と話し込むうちに大竹海兵団の先輩後輩であることがわかり、

ー美能と笠原は一歳違いの年代でもありー会話が進み、ブランデー

を飲みつつ、美能は「映画にするなよ」という条件のもと、話を笠原に

語った。


 後に笠原の熱意と懇願を聞いて、美能は黙認という形で映画化を

許可してくれた。


 笠原にとっては、「獄中で七年間、遺書のつもりで書き続けた美能

氏の怨念の重さを思うと、その手記を絵空事にすりかえてドラマだテ

ーマだと云っていることが大層虚しく思われてならない」(『ノート 「

仁義なき戦い」の三百日』)と痛感せしめられる事柄でもあった。


 『仁義なき戦い』は深く重く大きな映画だが、原手記を執筆した美能

氏の哀しみは想像を越えて大きいものであることを思う。


 映画版において、美能幸三をモデルとする広能昌三が「カッコ良す

ぎる」「仁侠映画の主人公とどう違うんだ」という批判があるが、笠原

和夫の立場を思えば美能氏との信頼関係を醸成するのは当然の勤

めであり、主人公を強く優しく侠気に富むやくざとして描くことはやむを

得なかったと自分は思う。


 仁義に燃える若者が、老獪なやくざに敗れることで、逆説的に「仁義

なき戦い」のテーマを語るという試みは笠原の緻密な脚本によって重厚

に明かされた。


 笠原和夫は初め監督に工藤栄一を考えていたが、実現せず、後に

中島貞夫が候補にあがり賛同する。


 しかし東映は深作欣二を候補に挙げた。笠原はこの案に猛反対する。

昭和三十九年(1964年)『顔役』で激突し対立したからだ。


 プロデューサー俊藤浩滋は「深作で行く」と強く主張し、「ホンの直しは

させない」という条件で笠原を説得した。


 俊藤に深作欣二を監督として推薦したのは、主演俳優菅原文太であ

った。


 菅原文太は昭和八年(1933年)八月十六日、宮城県仙台市に誕生し

た。

 

 早稲田大学・モデル活動を経て新東宝に入り、その後東映で俳優と

して活動し、凄みのある演技で存在感を顕示した。


 現代やくざ路線の中心スター・名優として凄絶な演技を明かし、観客

の心に強烈な印象を残した。


 昭和四十七年(1972年)、東映東京において、深作欣二監督・菅原文

太主演のコンビにより、『現代やくざ 人斬り与太』『人斬り与太 狂犬

三兄弟』の二本が発表された。


 文太演ずるチンピラ沖田・権藤は暴れ回り野望の成就に向かって激

走・暴走するが、老獪な組織の罠に嵌って、利用されて捨てられて破滅

する。


 この二本で、「狂犬」「狼」の凄まじさを、文太は壮絶な芸で明示した。


 この二本の名演を経て、実録路線第一作『仁義なき戦い』の主役広能

昌三役に選ばれた。


 菅原文太が広能昌三役において明かした情熱は、『仁義なき戦い』冒頭

の「闘魂」の表現に熱く燃えている。




        『仁義なき戦い』四十一歳誕生日 平成二十六年一月十三日



                                           合掌



                                     南無阿弥陀仏



                                           セブン


                              

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