本当に、この辺りまで中山道は平坦で、道もわかりやすくていい。高崎まではチェーン店が並び、アリーナもある。体操競技とかをテレビでよく見た。高崎は、今は大都会だが、天領地で諸大名が敬遠した為、旅籠は15軒本陣、脇本陣はないという。浪人が集まって謀反を起こされても困るということらしい。越後に向けた三国街道の分岐点にもあたり交通の要衝でもあった。城下の本町、田町、あら町では六斎市(月に6回の市)が開かれ合わせて18回もの市が立ち問屋や大商店が並ぶなど商業で賑わっようで、今も街道には商店が軒を並べている。駅前は、マンションやビルがたくさんある。あら町交差点の近くの総漆喰、塗籠作りの諏訪神社は城下の名所だったということだ。しばしば大火に見舞われた高崎の町にあって、大切な社を守る工夫だったとも考えられると書いてある。



                            高崎アリーナ

                              諏訪神社

                               高崎宿

鍛冶町、あら町、連雀町、鞘町など城下町ならではの町名、田町、本町にわずかに昔の面影の店が残っている。高崎城址に向かうと、広場でロックフェスでもやっているのか、大音量の音楽が聴こえてくる。イチョウの木が色づいてきれいだ。

道沿いに中山道絵巻があるはずなのだが、行ったり来たりしてみだが見当たらない。


                              高崎城址

                               高崎城址

本町交差点手前で金澤屋屋という天保7年創業とある店がある。中に蚊帳帳特約販売店という木の看板が飾ってあって寝具とかを今も売っている。蚊帳も懐かしい。昔は必需品だったのだろう。そこで鋭角に曲がり街道の趣が漂う赤坂通りに向かう。


                                金澤屋

                                赤坂

長松寺は、家光の弟忠長が自刀した大信寺の部屋が移築されているという。高崎を命名した大光普照開山の恵徳寺もあり、昔を忍ばせる岡醤油醸造もある。岡醤油は天明に創業の支店として明治創業。屋根の下の部分は京風造りを代表する虫籠窓が残っていて、揚げ戸、古いガラスを使用した明治時代を伝える建物だという。映画のロケ地にも使われているそうだ。高崎を代表する経済人山田家の山田文庫もある。本がたくさん並んでいて、自由にお入り下さいと書いてある。ゆっくり見て回りたいところだが、先に進まなくてはと写真を取って通り過ぎる。


                               長松寺

                               恵徳寺

                               岡醤油
                         
                               山田文庫

坂を下り切ると、烏川の君が代橋を渡る。君が代の名は明治天皇ご馬車で木橋を渡れたことを記念してつけられたと言う。手前にある君が代橋親柱は昭和6年木橋から銅橋に建て替えられた時のものだと書いてある。高架が入り組んでいて、歩く道を見つけられない。行ったりきたりしてやっと渡る。橋の上から、赤城山、榛名山がよく見えるとあったが、霞んでいて山がもう一つくっきりと見えない。渡り終え少し行くと、信州街道分去れの道標が忘れられたように立っている。今はもう役目を終えてしまったというところだろうか。左に入るとひっそりとした一本道となる。



                             君が代橋親柱

                               君が代橋

                         信州街道分去れの道標

少し行くと若宮八幡宮がある。平安時代源頼義、義家父子が建立したと伝えられている。前九年の役で勅命を奉じ奥州の安倍氏の反乱を鎮圧する途次ここに仮陣屋を設け、戦勝祈願に神社を建て、帰りに戦勝を報告したとある。腰掛け石まで残っているようだ。ここでまた、歴史に触れるとは。


                               若宮神社

上豊岡には、だるま工房が多く、だるまが店先に並んでいる。その先に進むと茶屋本陣が残っていて拝観もできる。宿泊はできないので小さいが、趣がある。建物は母屋が築270年、茶屋の部分が築220年だという。説明を受ける。南の部屋が庭の見えるお付きの人の次の間、真ん中に偉い方の床の間付きの上段の間があり、板戸とふすまの先の広い廊下の先に立派な庭がある。庭を部屋から眺めるという感じではないのだ。係の人も不思議ですよねと言っていた。泊まるわけではないので安全重視なのだろうか。あまり何も残っていなかったのでうれしい。


                              だるま屋

                           上豊岡の茶屋本陣

この先は碓氷川の土手に向かう。藤塚一里塚跡がある。樹齢200年の榎が聳える群馬県唯一の現存の一里塚だそうだ。河川敷に登ると、だるまで有名な少林山達磨寺が見えるというが、かすかにだるまのオブジェと木々の中に建物が何となく見える。


                            藤塚一里塚跡

                             少林山達磨寺

                             群馬八幡駅

今日は群馬八幡駅までと思って来たのだが、時刻表を調べると日中は1時間に1
本しかない。駅に向かうとちょうど30分待ち位で良かった。コンビニはないが、道の駅風の店でパンとコーヒーを買ってほっと一息。駅は日中、高崎方面なのに結構人が待っていて意外だと思っていると。汽笛が鳴ってSLが通過していく。電車も混んでいて、カメラや三脚を持った人達もいてSLを撮っていたのかなと納得。
今日は、思ったより暑くならず、倉賀野で萎えかけたが、カフェで息を吹き返しその後は案外スムースに進めたかもしれない。11月だというのに木枯らしは吹かず、暑さの心配をするとは、歩ける期間が狭まってきたようで残念だ。それでも歩くのは楽しい。