衰弱 | つばめにのって ~肺腺癌との闘い~  番外編でチョコレート膿腫

つばめにのって ~肺腺癌との闘い~  番外編でチョコレート膿腫

2010年11月、母が肺癌宣告を受け、
ここから、これまでの恩を返す時間が始まりました。

そして2012年4月7日、母は永遠の眠りにつきました。

この経験がどこかで誰かのささえになれたらと思います。

番外編で、チョコレート膿腫のことも書いています。


13日の胸水穿刺の前日・・・

自宅から一番近いホスピスのある病院へ

見学と緩和ケア外来の家族受診を兼ねて行った。


緩和ケアに特化した診療科と病棟だけあって

診療体制や部屋のつくり、家族のケアなど・・・

いろんな細かいところまで心配りがされている。

今の母には最良の場所だと断言できるところだった。


ここへ来れば、母はきっと苦しみが減り楽になる・・・

そう思ったのだが


問題は母の心がホスピスを受け入れないこと・・・


一般病院に転院してから母の衰弱は激しかった。

専門病院での治療ができなくなったことで

前向きな気力が無くなってしまった・・・

肺癌そのものが進行してきている・・・

咳き込みが激しく、食事がなかなかとれない・・・

脳梗塞治療の点滴もあり、胸水貯留スピードを考えると

栄養補給点滴を打つ事が難しい・・・


そんな状況にあってもホスピスという言葉は一切受け付けず、

ほかの一般病院へいけば

今よりはマシになる、

もしかしたら治療をしてくれるかも、という。


なんとか、緩和ケアをうけさせられないか・・・

そう悩んでいる間にも

母はどんどん弱り、食事をまったく摂らなくなり

咳き込みで夜も眠れなくなった。

シャワー浴はおろか

自力でトイレに行くことも、

定時薬を飲むこともできなくなった。


ここまできて初めて、

母はホスピスへ転院したいと口にした。


母が決断できたのなら、今すぐにでも連れていきたい。

主治医に転院の希望を伝え、

ホスピスにも母の衰弱が激しいので

できるだけ早くの入院を希望すると連絡を入れた。


転院にあわせて、

主治医は治療計画を考えなおしてくださった。

これ以上胸水が溜まり続けると母は苦しむばかりなので

胸膜癒着術という方法もある、と以前にきいていたのだが

それを行うとしばらく動かせなくなるので

この病院で行うことは見送られた。

しかし限界と判断し、2回目の胸水穿刺は行った方がよい、と

3月20日に行った。


1.2L、血性の胸水だった。


大量の水が抜け肺の圧迫が少なくり、楽になったのか

母は久しぶりに2、3口の食事を摂り、数時間眠った。


眠る母をみた・・・

娘の私が言うのもなんだけど

母はわりと綺麗な顔立ちをしている人だった。

それが抗がん剤治療で髪の毛が抜け、やせ細り、

しわしわの病人になってしまっていた。


病気が治らなくても

これから先の母の時間、

少しでも苦しみから遠いところで過ごせたらいいな・・・

そう思いながら部屋をでた。