この先ネタバレしています。これからみようと言う人は読まないでください。
最後の実写について思ったこと
あの最後のアカネの姿がすごく六花っぽくって、最後の最後まで考えさせてくれるアニメだななんて感心しました。
僕が思うに、六花こそがアカネの本当の姿だと思うんです。
まず、六花って、心の機微の表現とか、しゃべってる感じが他のキャラみたいにアニメっぽくなくて、なんか、アレクシスの言うところの「本当の人間」っぽい。
これは、六花がアカネにとって「表層だけでなく、心の奥のわずかな揺らぎまで」作り込みやすい人物、つまり、よく理解できている人物=自分を投影しているからではないかと推理したわけです。
六花は「青山の美容院でカットモデル経験がある」とか、「家でチーズフォンデュしてる」とかして、きっとクラスで浮いてる存在だと思うんです。
現実のアカネは、クラスになじめなくなった上に、なみことはっすみたいな昔仲良かった同級生と人間関係をこじらせちゃってるじゃないかな、なんて思うんです。
現実のアカネはそんな自分が嫌になって架空の世界を作り、そこで「完璧な女の子アカネ」として過ごしながら、現実の自分を投影した六花を作った。
アバターの自分(アカネ)が現実を投影した自分(六花)に仲良くしてあげることで、六花の孤独を埋めて、遠回しに現実の自分の孤独も忘れようとした。
現実では誰も救ってくれないから、理想の人間関係をそこに作ろうとした。
そんな風に妄想してます。
うまく表現できずにすみません。
最後の部屋にキーボードが置いてある点も、特撮版のアノシラス回でキーボードの音を聴かせてアノシラスを正気に戻す場面がありますので、特撮版から全部つながってるんだな、なんて思ったりします。
そして最後に出てくる「覚醒」のタイトル。
私は祐太とグリッドマンの2つに別れた目覚め「覚」・「醒」が、最後にアカネの一つの目覚め「覚醒」を呼んだと思ってます。
とにかく、面白かったアニメが終わるのは本当に残念です。
とは言え、いい作品だったからこそ、続編は出ないでほしい気もします。
複雑な気分です(笑)。
ここまで読んで頂いた方、本当にありがとうございました。お礼を申し上げるそれだけの話。


