「自由にフェイントをかけて抜け」
中学の時にサッカーの練習でカラーコーンをいくつか均等に離して置きそれを敵に見立てドリブルしてシュートする練習で言われた。

僕は、「自由に」と言われると途端に困惑してしまう。数年後の今思うと自分に自信がないからだったと思う。

「1個目はシザースで、2個目は重心をかけて、それを3、4交互に繰り返し、5はルーレットで抜け」

こう言われると、どれほど楽か。

部員は1人ずつ、コーンの前に出て行き技術の差はあれど同じようにシュートすればいいのだから。

しかし、「自由に」ドリブルするということは1個目のカラーコーンからルーレットを使ってもいいし、ちょんと浮かしてみてもよし、いきりサッカー部特有の小技を使ってもよし。しかし、コーチはオリジナリティがあればあるほど褒める傾向にあった。

つまりドリブル練習でもあってそれは「パフォーマンス」という概念も派生してくるのではと中学生の僕は本能的に感じていた。

また、小中の頃は足が速かったのでオフェンスをやらされる事も多かったが、自分にパスが来た途端、自分で行くもよし、パスを出すもよし、パスを返して、他に展開するもよし、答えが多すぎる。途端にあたふたしてボールを取られ、またコーチに怒られる。

それが嫌で嫌でたまらなかった。

小学生の頃なんか、キーパーからハンドキックで飛んできた球が怖すぎてビビりまくっていた時に、コーチに「何でサッカー始めたんだ」と言われた時に、「ゴールを守りたかったからです。」
と、「え、ま、まあそういうやつもいるか。俺はゴールがしたかったけどな。ま、まあとにかく・・・」
と言われてしまった。

そんな子供いるはずがないだろ。

もしかするとだだっ広い平野で見る満点の星空よりも、仕事の合間にビルの隙間からふと見えた一筋の流れ星に僕は胸を打たれるのかもしれない。