自民が政権与党だから・・・





これに尽きる

しかし理由がほしいよな


そんなのただの自民アレルギーではないか?




日本会議だか、軍国主義的カルト集会の有名な動画がある


人権なんかいらねえだろで、拍手喝采
政治で生活守る必要ないだろ?拍手喝采
軍を持つ事が最も今は大事だろ?拍手喝采

という動画がある。今はYou Tubeでは消されているのかな?

このような事を主張し、拍手喝采する集会の動画が森友学園問題開始あたりに流出してしまった

っまあいつアップされたかは知らないが


これらのカルトの主張は、いずれも民主主義をやめよう宣言を意味してしまっている


この異様過ぎるカルト集会に自民の政治家や幹部達が参加していた


何処のフィックションの悪の組織だよww
これが現実世界で、政権与党に付いている議員とか笑えるwww


もしくは自民の政治家そのものが、上記のような事を主張している
有名ゆえに今更言うまでもないが、まだ見てない人間もいるかもしれん


You Tubeでは消されていても何処かにはあるだろう




でも動画の加工かもしれないじゃん!
自民にとって都合が悪いところをつなぎ合わせただけじゃん!


まあ、普段の自民議員の発言からも、そーゆーところが醸し出されてしまっている為、つなぎ合わせるもクソもないが・・・


仮に、加工で捏造動画で、つなぎ合わせた動画だったとしても

自民が出してきた憲法草案とやらに書かれていた文章を少し読めば

民主主義の憲法の体を成していない
民主主義の憲法としては大きく改悪している

と読み取れるため


反民主主義政党である事が理解できる
反民主主義の意思を示す憲法改正草案だったな


あの憲法草案を見る限り、あの動画は捏造だとは言い難い
ということにもなってくる


ではなぜ、民主主義の国で、反民主主義政党が政権与党になってしまうのか?

民主主義を辞めたいのか?

右派政党以外の野党の雑魚共の主張を見ると

政治学に関連する事や、政治学そのものを学んだ形跡が主張の中に見られる


あるいは、政治学に関連する道哲、法哲、政哲、法哲を少し学んだ形跡が、主張の中に感じ取れる


民主主義とはどういうものか?を学んだ形跡が主張の中に垣間見れる


すなわち数の力に権威付けされていないだけで、雑魚ではない議員や候補者もそこそこ多い


一方、自民の議員の主張には、民主主義というものを学んだ形跡が感じ取れる主張は少ない

むしろ逆走する

議員個人によっては学んだ形跡が全く無い事もよくある

なんでこいつらが民主主義の国で議員をしているんだ?という疑問が湧くレベル


よくこんなやつらに国民も投票するものだよな


そう

民主主義であることを前提にした右派左派であるはずだが

民主主義すら前提にしないというな





日本国民は、他の民主主義国民と異なり
民主主義国民としての教育をほとんど受けていない為、いくらでも騙す事ができる

「民主主義では教育が重要視される」

これは、馬鹿ではダメと言う意味で理解しているやつが多い
まあ半分は正解だがwww

しかし馬鹿と言っても種類がある
面白い馬鹿
無害な馬鹿
可愛い馬鹿
有害な馬鹿
この世にいないほうがいいレベルまで有害性を出す馬鹿
愛のある馬鹿

この手の文章は哲学から来ている言葉だ
哲学が絡む文字を、ただ単に読んだだけでは意味が伝わらない場合もある

「民主主義では教育が重要視される」

この一文がまさにそれだ

意味が正しく伝わっていない


ゆえに哲学や政治学などの事を少し知っておく必要がある
意味が正しく伝わらないのは民主主義に関連する哲学や政治学を殆ど知らないためだ

「民主主義では教育が重要視される」
民主主義に関連するいくつかの重要な事をしっかり教える事を意味する

前提や基礎の部分は、第一優先で教えなければならない

前提や基礎すらないと、何に基づいて賛成、反対しているのかよくわからなくなる

よくわからんことに賛成も反対もねえだろ?


しかし
教育機関は就職予備校、受験の為の機関、あるいは学歴取得機関という体を成している
職人、研究者、学者、官僚、公務員養成機関でもある

そして、将来、金になる知識を教える場、将来不安を解消する機関

お友達作りの場、コミュ能力を磨く場

教育機関は、このような形となっており
「民主主義では教育が重要視される」
という意味をほとんど持っていない


公民などで、ほんのわずかに教えるだけ


もちろん上記の教育も重要だが、民主主義である以上、優先順位は落ちる

民主主義の理想、民主主義の弱点、民主主義の歴史

民主主義が如何に脆弱な制度なのか?なども教えなければならない
なぜ脆弱なのか?も、もちろん


また統計の正しい読み解き方なども必要になる

数字は嘘をつかないが嘘つきは数字を使う

統計学は怪しくないが、統計は怪しい概念、ということを知った上で
統計の正しい読み解き方を知っていれば嘘つきの数字を看破することが出来る

コロナの統計で言えば
あれはコロナ感染者数の数値ではなく、コロナ感染判明者
あえて暗数が出るような手法をとっている


そして論理性、論理的思考の訓練
民主主義は道徳の劣化と、扇動者の詭弁によって民主主義の自殺を開始するため
詭弁を見抜く力。論理的思考・議論能力の事だが
更に具体性を上げると詭弁作成能力の教育

作り手になると、詭弁を見抜ける精度があがる


ただ、詭弁作成の能力とは、嘘を付く訓練の事でもあるため、ややメンタル面によくない

しかしそれ以上の価値がある


ところで


共産主義はあぶねー
独裁制はあぶねー

と言うが
本当にそーなのか?考えてみた事はあるか?

歴史を見れば確かにあぶねーと言わざるを得ない・・・

しかし、この世で最も危険な出来事と言えば今のところは

第二次世界大戦の勃発
という人類史上最悪の世界的大事件がトップに来る

しかし、第二次世界大戦を引き起こしたのは民主主義から独裁化した成熟した民主主義とされる国家だった

第一次世界大戦を引き起こした国は共産主義ではない
第二次世界大戦を引き起こした国は共産主義ではない
第三次世界大戦を共産主義国家は引き起こしてはいない、まだ起きてすらいない

冷戦は引き起こしたが。

つまり、民主主義の危険度は独裁制を下回るが、共産主義の上をゆく

歴史を見ればそういうことになる

また、ファシズムは民主主義の上を行く事にもなる

民主主義+独裁
共産主義+独裁

民主主義のほうが歴史を見る限り危険度が上ということになる



共産主義以上、独裁制未満の危険度を持つ危険思想が民主主義ということになる

まあ第三次世界大戦に位置づけられる戦争が起こるとすれば、共産主義を名乗る中国は必ず絡むが

しかし、歴史を見る限りでは、このような評価になるほどの危険度を民主主義という政治体制は持っている


すなわち、実は民主主義とは危険思想なんだよ
ということは前提としなければならない

では、民主主義をやめるか?

やめるとしたら革命だ
そして代替制度を探さなければならない

今更やめれないというのが現実的なところである

では、どうする?

キューバのカストロは共産主義をうまく使いこなしていた。キューバ以下の国は民主主義にも多数ある

古代の名君は、独裁制をうまく使いこなしていた。
独裁官カエサルを筆頭に。まあカエサルはカエサルで問題はあったがw

本物の政治センスさえあれば独裁は最高だ
即決、即実行ができる

しかし過去の名君のような本質的な偉大な人物でなければならず
無能と有能の区別が付きにくく独裁をさせてみるまでわからず
また、絶対的な独裁権力は腐敗しやすく、独裁者自身を腐らせる権力の呪いがあるため、独裁者になるまでまともに見えても、独裁者になってからが危ない事もある

現代のような時代にそのような歴史上の偉大な名君のような人物が出現する可能性は低く
仮に存在したとしても、政治センスの塊ではなく、出世センスの塊のような人間が先に独裁者になる可能性のほうが高い

選挙のセンスと善政をするセンスの乖離性みたいなもんだな

選挙の達人が善政をするとは限らず、善政が出来る者が選挙の達人とは限らない

つまり独裁が有益になる可能性は、かなり低い
少なくても自民や安倍に国家運営を任せてしまう国民の判断能力では、良き独裁者を支持出来る能力はないと見ていい



となると民主主義を使う他ない

つまり危険思想である民主主義を安全に運用する事を追求する事が民主主義を安全に追求する為の道であり

民主主義の代替手段は、よりクオリティの高い民主主義
ということになる

民主主義の最大の敵は、クソ民主主義

ここまで踏まえて初めて
「民主主義では教育が重要視される」
という意味が理解できるようになってくる

三流民主主義国の三流国民が共産主義をあぶねー連呼する構図は

サルが、サルを、サルだと笑っているバクシーが描きそうなアイロニーが、ふんだんに入った図を意味している

ブサイク芸能人をブサイク一般人がブサイクブサイクと連呼して馬鹿にする醜悪な図

なぜ、ブサイクのおまえがブサイクを笑えるのか?



しかし


お菓子がないならケーキを食べればいいじゃない?
危険ならば危険でなくせばいいじゃない?


方向性の話しであれば、かんたんな話だな

マリーアントワネットですら言える

危険ならば危険でなくせばいい
全ての政治思想に言えることだがな

それと
また教育の話に戻るが

学校の法律=校則とも言えるわけだが。ローカルルールで性質は異なるが


学校という機関は昔から
「忍耐力を付けるため」と言いつつ好き勝手やってきた機関である

「ルールを守れる大人になるため」
と称し、不条理で、何のためにあるのか意味わからん校則や
中には生徒への嫌がらせみたいな、無意味な校則で生徒を縛ったり虐げてきた児童虐待機関でもある

忍耐力が付くという理由で、部活で不法行為に匹敵するほどのしごきがあっても黙認するレベル

まあそれは昔の話だがな
今も少量はあるだろう

これは本当に意図としては
「忍耐力を付けるため、ルールを守れる大人を育てるため」
という思いで本当にやっているのかもしれんが

「思い」なんてもんは何の価値もない
重要なのはその効果だ


愛というのは相手に伝わらなければ意味がない


すなわち不条理に対して、不満を言わない国民を養成する場として教育機関は機能してしまっている

なぜこうなるかと言えば、ダメな道徳観に支配されているからだ
忍耐力を付けるのはいいこと!という道徳観だ


道徳にはそれぞれ弊害があるんだよ


民主主義国民を育てる教育もしない
大人になってから急に民主主義的な国民になれと言われてもな


反民主主義国民としての性質を散々植え付けておいて、大人になってから急に民主主義的な国民になれ・・・www

と言われてもな・・


実はこの教育機関の機能、民主主義的にはアウトだ


なぜアウトなのか?



耐える事は美徳ではないのか?


忍耐とは道徳の一種ではないのか?


民主主義の設定を見ればわかる

権利と引き換えに政府に統治権を国民が与えている
義務と引き換えに国民は権利を取得出来るのではなく

民主主義の国では例外なく
「国民と政府の間に権利と引き換えに政府に統治権を与えているという、政府と国民の関係性が存在する


なぜかこれ、知らないやつが多いみたいだ


民法上の権利と義務の関係性と
下等な道徳の話しと、ごっちゃになっている

民法上の権利では
金という対価の支払義務が先にあり、支払い義務を果たしたら
製品やサービスを手に入れる権利が取得出来る

まあちょっと言い回しが難しいなww

スマホ回線使用料金などは、3月分は4月に払ったり、3月終わりに支払ったりするという後払いパターンもある為、言い回しが難しいが

メシも食ってから支払うしな

支払ってから食うのではない

まあ前払いの店もあるが


また他の領域にも権利と義務の関係性が存在している


それらと国家と国民の文脈上の権利義務の関係は全く異なる



憲法や各法で、認められた権利に支障が生じているなら、権利を主張しなければならない

この主張が不満のようにも見えるため

教育機関が不満を言わない国民を養成する場となっている現状では
民主主義の教育機関としては、ふさわしくない教育をしている機関ということになってしまう

校則は絶対だ!ガキ如きが文句を言うんじゃねえ!

権利とは主張しなければならないと教えなければならないが
不条理な校則を通じて「我慢」を教えている

しかし不条理な校則もあれば、不条理な法もあり、不条理な不満もある
モンスターペアレンツが存在するように

それは本当に不条理な不満なのか、正当な不満なのか?精査が必要になるが


基本的には黙るな






道徳律の歪み




道徳的に見えて、その道徳には大きな弊害がある
道徳的要素は備えているが、道徳性の遥か上を行く弊害がある
道徳として存在する価値が2だとしたら、弊害は10以上のものを持っている
というような道徳がよくある

日本のようなクソ国家は、基本的に道徳が歪んでいる
このような弊害たっぷりな道徳を用いてしまっている

おまえらは善悪を考える能力に欠けている

日本独自の価値観に基づく道徳だからいいんだ云々ではなく本質的に歪んでおり、ゆんゆんと弊害を出しまくっている

独自か、独自ではないか?ではなく
弊害があるかないか、あるとしたらどれほどか?で考えろよ


このように日本独自論を使う馬鹿にはよくある事だが

道徳というものには弊害がある事がある事も知らない

弊害がゼロの道徳
弊害が小さい道徳
弊害が巨大な道徳

この存在がわからない
この分別が出来ない


思慮が浅い


代表格がマッスルヘッド道徳である


他責主義の本質を持った自己責任主義
自己責任主義に偽装した他責主義というマッスルヘッド型道徳観




クソ以下の道徳性しか国民が持っていない状態


欲しがりません勝つまでは(倒置法、もとい統治法
という道徳

首の痛みが肩の痛みなどに関連するのだという
同様に
道徳観の歪みはあらゆる痛みを引き起こす


ものを買う時ちゃんと並んで買うから、日本人は道徳的

そんな一箇所見て、判断しているんじゃねえ

ヒトラーだって一箇所見れば道徳的だよ

ヒトラーがガキの頃、友達の母ちゃんが川で溺れて、真っ先に飛び込み、助けたことがある

あのヒトラーという小僧、なんと道徳的な若者か・・・


と言っているに等しい


マスコミをマスゴミと称し、切り抜くなと言いつつ、自分達は切り抜き思考をしてしまう


何もかも思考力の無さが引き起こしている






自民の有害性・・・




前にも話したが、まあ何度話してもいいだろう
競争や勝負事が絡む事は戦略ゲームの一種である

戦略的合理性というものが存在するゲームだ

テレビゲームのゲームと言う概念とは異なる


国民を不幸にする事そのものが、戦略的合理性を持ってしまっている事は最大級の問題だ


各政党は、政権与党の座を競う

他の党と競う政党制では、党の利益となるような事が第一となってしまう

しかし必然ではある

これは政党制の弊害だ

政党の利益以外の事はニ位以下の優先順位に置かれる

それが戦略的合理性というものだ

新自由主義の使用法は、現日本では、自己責任型自由主義という属性を持っている
政治の失敗を自己責任に変換し
政治の失敗
市場の失敗
経済の失敗、3つの失敗の責任追及や政治の失敗が
自己責任主義によって覆い隠され、問われにくくなる


自己責任に変換してしまえば、政治は失敗しない
永遠に失敗しない
イコール自民党は失敗していない

自己責任という道徳観念で、失敗を覆い隠す

自己責任も、やはり道徳観の一種だ

先述した通り、無害な道徳ではなく
巨大な弊害がある道徳観の一種


道徳が悪なのではなく、とある道徳の持つ弊害を見抜けずに使用してしまう事に問題がある

道徳哲学は政治とも深く関係している
道徳哲学という領域であれば高度な道徳だ

一般道徳とは全く違う

おまえらが知る三流の道徳とは次元が違う高度な道徳的追求をする分野

民主主義国民は道哲も少し学ばなければならない

しかしガチの哲学者になりたいのではないなら、専門書は読むな

難しすぎて基礎がなければ読み込めるモノではない

必要なのは最低限の理解
ガチの哲学者ももっと増やすべきだが

民主主義国民の教育とは、本物の道徳哲学者になることを意味しない
できればそうあってほしいが、そんなもんを1億人に要求するのは無謀だ



自己責任連呼して相互監視していれば、政治の失敗ではなく、個人の失敗なのだから政治には何の問題もないということに出来る

道徳的パノプティコンという監獄システム

こうすることで、反民主主義の政党、政権与党の延命を許してしまう

三流民主主義
三流道徳社会
新自由主義
自己責任
無知蒙昧国民
教育軽視

混ぜるな危険

混ぜると
ジョージ・オーウェルの1984的な
覆す事が困難な要素を多く持つディストピア的状況に陥る

意図してそうなるのではなく

なるべくしてなる


では・・・

延々と、この状態を続けると、どうなってしまうのか?

無関心層が増える

では無関心層と一言でよく言うが、細かく分類すると

どういう感じなのか?


次回

いや、今、書いちまうかwww

無関心層はどういう分類になるのか?


政治が体感できるほどの成果を出さないため、政治に興味が出ない
「政治的無関心層」に分類される
「成果主義的無関心層」とも言える



安倍ちゃんの容貌を見てくれ、見たら、他国の首相と容貌を比べてくれ
しょぼいにも程がある、全く覇気がない精悍でもない・・・

日本のオッサンや、総理はこういうタイプが多い
しかし、これは生まれ持った容貌ゆえに、仕方がない
しかしそういう話ではない

まあ実際には、しょぼくないおっさんもいっぱいいるぞ


かっこ悪すぎて興味が出ない
しょぼいオッサンが意味わからんしょぼいことをやっている・・・
これでは、興味など出るはずがない
こんなもんに興味を持ったら、自分自身までショボイ人間になってしまう気がする・・・

「容貌をテーマにした政治的無関心層」が増える


しかしこれは、ある意味、問題ない。
なぜか?

この手の無関心層は、カスが多い、知性などないだろうよ
誰をどの党を応援すべきかなど判断できない
顔の造形で政治をするのではない

逆に無関心層でいてくれたほうがいいかもしれない
という意味である意味問題ない


ただし、これが無関心層の中では最大の多数派ならば問題視しなければならない。深刻度合いが一気に上がる

最大の多数派じゃなくても一定以上の数ならば当然、大問題だ


また、一方であの程度のショボさのほうが安心できるから投票したいという層もいるだろう

面構えに攻撃性が出すぎていると、やべー事をやりそうだしな

どちらも、無関心層でいてくれたほうがいい容貌をテーマにした無関心層のタイプである

アベのことを偏見無しで見れば、人畜無害に見えなくもない






失敗は個人の責任、政治に何かを期待するのは不道徳だ、期待してはいけない
という「道徳的無関心層」という新概念の無関心層
隠れマッスルヘッド、隠れ自己責任主義との融合型でもある

道徳の弊害
道徳観が歪むほどに増加する



失敗は個人の責任、政治に何かを期待するのは弱い証拠だ、政治に期待するやつは弱いやつばかりだ
という「マッスルヘッド型無関心層」という新概念の無関心層

まあどちらも新概念でもないなww
概念は新しくても、識者なら誰もがわかりそうな事だ

上と同じだが、マッスルヘッドである事を隠さない



失敗は個人の責任、政治に期待してもしょうがない
「妥協型無関心層」
これもマッスルヘッドが隠れている


政治には期待したい選挙にも行ったほうがよさそーだが選挙行くのだるい
「メンドクセー型」


今の与党は愛国的だし、韓国を叩いてくれているし軍を持つと言っているから満足している、どうせ自民が勝つから行かなくてもいいや、だりーし
「ネトウヨとメンドクセー型と満足型の混合型」


政治には少し期待したいが投票日は100連無料ガチャがあるから行きたくない
「文化的選挙不参加型無関心層」←イタリアが弱いのはオペラばかり聴いているからだ!とか言うのに似ているなw


最後に
政治には何も期待できない、政治では絶対に何かを変える力など絶対に持たない、小泉フィーバーの時、小泉に期待したら裏切られた、民主政権の時も期待したが裏切られた、もう政治には期待しない

無関心の境地「諦め型無関心層」


これは多いはずだ


まあ、まだありそうだが、こんなもんだ


問題はここから先

無関心層が新自由主義(自己責任型自由放任主義)が持つ道徳観コントロール要素や、弱肉強食論などで増えてしまい

自公連立の公明党の動員力、票散らし能力、莫大な費用をかけた宣伝能力

各種利権団体の組織票や老人票の大きさで、勝ててしまうため


この状態に入ると、無関心層を増やす事に、戦略的合理性が発生してしまう

本来政党制とは、国民を豊かにしたり、幸福にする事に
戦略的合理性が出るものなんだが

こうなると逆になる


無関心層が存在する事で勝てるため、新自由主義(自己責任型自由放任主義)を、やめたくてもやめれない呪いのような力を持ってしまい、新自由主義の呪いが長期間解呪できなくなり、状態が持続する

失われた30年の本質的なところだな

やめれない
国民が不幸になるのは耐えれないがやめれない
新自由主義など廃棄処分にしたいがやめれない

わかっていてもやめれない

自民党が少数政党になってしまったら、自民の議員である俺の存在価値はどうなる?

こんな事はもうやめたい、でもやめれない
やめることに戦略的な合理性がなく
この構造維持、継続に、戦略的な合理性が出てしまう為やめれない


無関心層を増やすような政治をする事が党にとっての戦略的合理性だからだ

というオモシロ・ディストピア

中毒、呪い

この構造に至ったのは意図されていない可能性も高い
この構造には気付き、利用しているのは間違いないが、構造作りはしていない可能性が高い
というのも自民の議員は先述したとおり、知能が高くない

混ぜてはいけないものを混ぜたら自然に、日本の今の現状になっただけ


てきとーに魔術的儀式をしていたら、なぜか大魔王サタンが召喚されてしまった



自民議員の知能が高くないと言うかむしろ知能が低い

意図を持って構造を作ったのなら、1984や人間牧場のジョージ・オーウェルを上回る知能を持っている事になる

結果的にだらだらと新自由主義を続けて国民を不幸にしていたら、勝てる構造が出来てしまい、それに何処かの時点で気付いて乗っかっているだけ
だろうな