何が正しく何が間違っているのか?

基準がないと判断しきれない

では基準とは、どのように作られるべきか?

文脈を見る
人類の歴史の文脈を見る
近代史の文脈を見る
現代史の文脈を見る

文脈を見ると、表現の自由の意味がわかってくる

「二度とナチスや大日本帝国のような国々を産まないため」

ナチスや大日本帝国では表現を禁じられ

政権批判が許されなかった

そして差別を行い、差別対象を虐殺した

表現の自由を論じる際

必需な事が、差別&権力批判


政権批判が許されなかったがゆえに暴走を許した

権力の頂点は

内閣、与党、総理、天皇

アメリカなら大統領でいいんだが
日本の場合、何が頂点か、甲乙付けがたいものがあるw

この4つは自由に批判できるようじゃないと話にならん


ホロコースト
ホロコースト内部の障害者虐殺とユダヤ人の虐殺、つまり人種差別と、障害者差別

つまり主にナチス文脈



悲惨な出来事は善悪や、道徳に影響を与えるんだ




そして大日本文脈が入り、戦争犯罪文脈のことでもある

大日本を擁護するネトウヨがいるが
まあ擁護できる点はなくもないが
ナチスにも擁護出来る点はあるにはあるしな

ドイツの暴走を許したのは不寛容な条約にあった

基本的には

おまえは、サバンナで同じ事いえんのか?

と同様

おまえ、大日本で生活していたら同じ事いえんのか?というハナシだな


ネトウヨが好きなエロゲなんかやってたら拷問の末に、処刑だぞ?

貴様西洋文化にうつつをぬかしおるかあああああ
日本人なら貧乳やろがああああ
とか憲兵に言われて処刑だぞ?

まあエロゲできるPCがまだ発明されていないがw


ちょっと適当すぎたなww



これに

スターリン主義
ポルポト主義なども追加されるだろう
毛沢東も追加されるかもな

3大虐殺魔だ

やはり彼らも都合の悪い表現や言論、権力批判を禁じていた


つまりナチ文脈である以上

障害者差別
政権への批判
人種差別、国籍差別が

表現の自由の最大のテーマとなる

またホロコーストの被害者の属性は、単純に「人種」であるとは呼べない

「宗教的民族集団」という感覚的にわかりにくい特殊属性も持っていた為、宗教差別もテーマとなる

世界人権宣言
国際人権規約なども関係してくる


過剰反応であっても過剰反応が許されて然るべき領域が上記の領域


ただしオウムの事件は、宗教差別や弾圧だと指摘される事を恐れ、警察や公安がオウムに手を出しづらかった為、未然に防ぐ事が出来なかった

という状況もあった為、難しい問題になる


悲惨な出来事は善悪や、道徳に影響を与える

特に周辺の時代の道徳には影響大

ならばオウム事件のあった日本では宗教批判もある程度許されるべきだが

真っ当な批判と偏見を助長する言動
不当な宗教差別
宗教団体や信者への不当な名誉毀損
妄想と憶測と邪推と陰謀論の入り混じった批判
などの区別がつかないから、どの道やはりこの領域は難しい

宗教への理解など無きに等しいしなww

キリスト教を批判する時
「神などいない」というどうでもいいところからまず批判する

批判するとしたらキリスト教的道徳観、道徳哲学への批判で、なおかつ、キリスト教徒自身が自己批判をしていない領域
なおかつ、明確に社会的に有害そうな道徳を批判しろよw


「神などいない」とか、どうでもいい、信じるか信じないかは、それこそ自由


キリスト教徒自身が自己批判をしていない領域なんざ日本人にはわからないから結局、理解できない





逆に言えば、表現や言論の自由を犠牲にしてでも、人種差別、国籍差別、ナチス擁護などが許されないものであって然るべき

という結論になる

最も悲惨な出来事が発生した第二次世界大戦文脈が圧倒的第一位に来る


また、誹謗中傷や名誉毀損、脅迫などの犯罪文脈も当然、禁じられる


また歴史文脈は、第二次世界大戦だけではない

しかし、第二次世界大戦文脈よりも格落ちする

第二次世界大戦より悲惨な出来事ってのはそうそうないから格落ちはしょうがない

格落ちするため、過剰反応が逆に許されなくなる領域に入る

過剰反応すべき事態もある

例えば女性差別などがあまりにひどすぎる時代などでは、多少過激なフェミ表現も許される


ここから先は表現の自由を取り締まる事によって生じる「息苦しさ」なども考慮に入れて

表現の自由を考えなければならない


戦争以外の歴史では


黒人と人身売買(奴隷制、奴隷貿易
しかし、これは人種差別とかぶる。武力で植民地にして奴隷を狩っているなら戦争文脈でもあるし

そして
ロリコンと人身売買
女と性奴隷
フェミニズム
セクハラ
パワハラ
モラハラ

キリスト教圏では、LGBTなどの文脈も入ってくる


LGBTは、ソドムとゴモラで旧約だか、新約だかで、滅ぼされているからなw

ソドムとゴモラには、膣以外で性交したら、ぶっ殺すというメッセージが入っている

しかし、キリスト教圏ではなくてもキリスト教圏の道徳の影響を受けていることも考慮すべきだな

近代道徳はキリスト教圏が主に作っている


LGBTはキリスト教の道徳のキリスト教徒自身の自己批判だと言っていい

しかし戦後以降の性の道徳は、日本であればキリスト教圏に、多大な影響を受けている為、無関係ではない

あとLGBTを差別するなと言うところはいいが

理解しろってのは難しい



男が男を好き
男が男を性対象にする

と言った単純なものなら理解の範疇。
感情的に嫌悪感などが入って理解できずとも、理解の範疇。

しかし
男だけどチンをとって、人造女性器を作った、でも女が好き

ん????

どういう意味?

性倒錯のハナシも混じっているため、論理的な理解、感情的な理解、双方が困難だ

足フェチ、尻フェチだの典型的なよくある性癖なら、理解が出来るが

典型から少しでもずれると理解が難しくなる

まあ典型とか言う「普通」のニュアンスを持つ概念を差別禁止論を論ずる時は使うべきではないようだが

しかし理解は困難であっても、加害行為、危害行為に結びつく性癖ではなく
誰かが傷つく事ではないため、性癖は人の自由だ

普通でなくともいい

家族が壊れる、子供が生まれなくなるとか言ってるやつは狂ってるやつだ

そんなもんで壊れる脆弱な家族制度なら壊しちまえよ。そんなもんで壊れるなら、既に壊れてるから壊れやすいんだ

子供が産まれないのはLGBTのせいではなく

家族を作りたくなくなるような構造を多く持つ社会である為だ

性倒錯ってのは同一の性癖を持つものでなければ理解が難しい。が、差別する必要もない

一方、性自認問題は、性倒錯や性癖とは別文脈との事。全く別ではないだろうが

まあ人の精神の複雑性ゆえに、把握は困難だな

自分が自分であることに違和感を覚える系とか
感じたことない違和感で、体感的に理解が困難

慢性的なゲシュタルト崩壊的な心理現象か?

ゲシュタルト崩壊は文字で説明されるが
自分の顔でも説明される

文字をずっと見ていると文字の意味がだんだんわからなくなる、その文字が何の文字なのか忘却する
鏡で自分の顔を見ていると誰の顔なのかわからなくなる現象

自認できなくなるが、鏡を見るのをやめて少し立てば、そのうちまた自認できるようになる

問題は権利関係

子供が産まれない場合、けど子供が欲しい場合
養子しかない

日本はどうか知らんが
他の国では養子を迎えるのに
ちゃんと育てられるように条件があるそうだ

まあ日本でも整備されているか?
条件に近いはあれど

つまらんことでいじめられる社会である

同性愛の親がいるという事でいじめられかねん

もちろんいじめられない可能性もある

いじめるやつが悪い?そのとおり
しかし、悪い悪くないではなく
実際いじめが起きてからでは遅い

いじめられるのは子供だ

同性愛が広く認められている社会では
親が同性愛者でも、そんな理由だけでいじめられる事はないという

日本は広く認められているかどうか判別法がない

差別の根絶ではない、広く認められているの基準がない

芸能界では市民権(一般用語の方の市民権)は持っている

その上で権利を養子を持つ権利を認めるべきか?

という難しい問題がある

簡単な権利問題、難しい権利問題がある

権利を認めないということは「差別している」という事になる


フェミニズムは人造という感じ
だがフェミはいい、まともなフェミはいい
女性の人権、人権侵害、困窮、女性差別、子育て、子供の教育などをまともなレベルで唱えるフェミは存在価値が多大にある

巡り巡って、男のためにもなる論もかなり多い

例えば仕事だけするな、家庭のこともかえりみろ!

と言ったフェミ論

じゃあ
家庭のことも考えられるように
家庭に関与できるように、仕事のストレスなくしていこうぜ、休みを多くしようぜ、労働時間を短縮しようぜ

ストレスがあると俺、子供を虐待しちゃいそう・・・
だからストレスなくそうぜ、俺の為ではなく、子供の為に

という事に利用できるだろ?利用って言ったらあくどい感じだがww

男も女も子供も全部ハッピーだ

もちろん、男のためになるフェミ論ではなくともいい
男と女は共存関係、共栄関係を気づいているため、だいたい女のためになることは男のためにもなることが多い


しかし、クソフェミの存在は有害でしかない
むしろ、人類の敵レベル。女にとっても有害だ

誰も幸せにしない暴論を振りかざす

根底に男性嫌悪(ミサンドリー)がある

一方、ミソジニーは女性嫌悪。あまり聞き慣れない言葉だよな

ネトウヨもミソジニーが多いとされクソフェミとネトウヨは似てる感じがある


ロリコンも微妙

ロリの人身売買はもちろん禁止でいいが

表現となるとどうか?

ロリコンの難しさは境界が設けられているところだ

しかも、それ以外にも議論を難しくさせている点がある

それ以外の点で、どう難しいかと言うと

議論しようとするとキモいだのロリコンだのと思われる点だ


人類の敵ロリコン扱いだww


という意味で難しい。


17歳はダメで、18歳はいい
19歳はダメで、20歳はいい

17と18
19と20など現実には差が全くないのに
OK、アウト、という、とんでもない差となっている
OKとアウトの間にはとんでもない差があるが
17と18の間には全く差がない
19と20の間には全く差がない

法律はどこかで線を引かなければならない

法律的にはその線引きで良くても、法律以外ではどうなのか?

というところ

一方、しかし簡単そうな議論領域もある

簡単なのは小児性愛者系

小学生、中学生序盤などを性対象にするやべえ性癖や表現

社会を揚げてNOを突きつけたい問題は論理的におかしいところがあっても、とにかく禁じていいという強引な考え方がある


小児性愛は社会を揚げてNOを突きつける価値があると言う考え方がある


ここまでは簡単

一方

表現物で、小児性愛を消費させる事で予防するという考え方もある

反論として
表現物で、小児性愛を表現することで小児性愛の性癖を芽生えさせているという考え方もある

その反論の反論として

小児性愛を表現することで小児性愛の性癖を芽生えさせている以上に、予防できている

という主張もある

まあこの予防論は弱いけどな

論理的に弱いのではなく、誰も信じないから弱い


というところか