仙台プライドジャパンへの思い | 宮城県人性同一性障害理容師オノデラシン

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仲間を増やして一緒に楽しい人生にしましょう❗

お疲れ様です(^^)
しんです。
仙台プライドジャパンへの私の思い

(私の個人的な思いです)


この度916日月曜日開催の仙台プライドジャパンの司会を務めることになりました。


このイベントへの不安な声がありますので、

いろいろとイベントをご紹介する前に読んで頂きたいことがあります。

とても長いのですが読んで頂ければ嬉しいです。


この仙台市に生まれ、もの心ついたときにはもう自分の性別になんとなく違和感がありました。

幼稚園に入り男の子とも女の子ともよく遊び、戦隊ものに憧れてかっこよくなりたい!

スカートをはくのは嫌だ。

「先生が大好き」と

(幼稚園の先生は女性です)

その当時の私は自分らしく表現できていた気がします。


私が何者なのか分からなくなったのは小学校3年生あたりからです。

男女で分けられる事がおおくなったり、

あんなに男女関係なく遊んだり、学んだり、

手を繋いだりしていたのに

体の成長とともに周りの友達が男女を意識して変わっていくことへの戸惑い。

自分自身も女の体になっていく不安、戸惑い

や苛立ち。

それでも好きになってしまうのは女の子。

周りとは、どう考えても違う

周りから「女らしくしなさい」と言われたり、好きな男の子いないの?と聞かれる。

苦しくてたまらなくなった

休み時間になると男友達と遊びたくて声をかけても「男だけで遊びたいからまぜない」と言われ、女友達のところへ行っても、「まきちゃんは男みたいだから入れない」と言われ、休み時間1人でいることも多くなってくる。悔しくて、誰にも言えなくて、どうしようもなくて、トイレで泣いて過ごした休み時間もあった。でもオレはバカだから何度かトイレで1人泣いてると泣くのにも疲れて

ほかにも何人か一人でポツンとしてる人はいて、そいつらともっと楽しい事しよう!!って思い、声をかけました。それからポツンとしてる同士3人で遊ぶようになった。

そしたら逆に仲間に入れてくれなかった人達が「一緒に遊ぼって」言ってきたのをいまでも覚えてます。

その時「あっそっか!」

人は楽しいそうな所に集まるんだ。

笑ってると人が集まってくるんだ。

3年生の時学んだんです。



それでも中学生になればさらに思春期のなんとも言えない空気感。

今となればみんな自分が分からずに悩んでいたんだと分かるけれど。

制服のスカートを履くことも、女子トイレに行くことも、水着にブルマもしんどかった。

「どうしてプールに入らないの?」と聞かれてまた嘘をつく。「膝が痛いから」また嘘をついてしまった罪悪感。私は「自分はおかしな人間なんだ。生きていたらダメな人間なんだ」と思うようになり、だんだんと心が尖りはじめていくのです。

死にたい。みんな嫌いだ

でもそう思えば思うほど、どこかでみんなのことが好きでたまらない。

仲間に入りたい


1997年性同一性障害があると知り、

199810 埼玉医科大学で女性から男性になるための、日本国内初の公式な性別適合手術をおこなった事を伝えるニュースで、自分も同じだと気がつくのです。

今から20年以上前のこと。

LGBTの言葉はここ数年前に知りました。

そして私のアイデンティティはトランスジェンダー男性となるのです。


仙台に生まれ育って42

仙台から出たことがない、仙台大好きな私。


仙台の街で初めてパレードをやると聞いた時、嬉しさ半分、正直、先を越されたと思いました。

でもオレはクローゼットの仲間がたくさんいるからその人達の声と気持ちをちゃんと聴きながら進めたかったのです。本当に仙台でやってもいいと思う?と。

だからパレードの話は自分から今まではしなかった。パレードに一緒に歩けなくても、沿道に居て手を振ることぐらい出来るような仙台にしてからなのかと迷ってました。


手を降ってるだけで当事者って勘違いするんじゃなくて、LGBTやセクシュアルマイノリティを通して多様性はみんなのことだと思ってもらえるようにしたい。


でも初めてパレードをやると決めたことは本当に凄い方だと思います。

その方は、仙台出身の

仙台プライドジャパン主催者

日本LGBT機構代表の東城ひろみさんです。

東城さんから一緒にプライドパレードをやることにお声をかけて頂きました。が、私が共同代表をしているチームとは少しやり方が違うと判断して共同主催ではなく、今回は個人で司会のお手伝いをすることにしました。


仙台プライドジャパンのパレードに参加するにあたって不安などの声もあります。

応援してくださる声もあります。


LGBTやセクシュアルマイノリティを知ってもらう為の活動はひとりひとりやり方は違います。


大きなイベントを開いてくれる方

大学教授や研究してくれる方

企業に啓発してる方

会社組織で力をかしてくれる方

地域に根付いて一人でやっている方

政治や行政から仕組みを変えようとしてくれる方

教育現場から変えようとしてくれる方

学校サークル活動してくれる方

Ally(応援、支援)として側にいてくれる方

私の知らないところで支えてくれている人もたくさんいると思います。

その思い全てが一致して何かをすることはまだ仙台では難しいかもしれませんが。


しかし仙台で初めてのパレードです。

なにかをやると決める事は決して簡単ではないです。本当に凄いと思います。


私も何度も何度も東城さんとお話しをしました。思想も、生きてきた年代、家庭環境、教育環境、食生活や、仕事の違い。寝る時間帯も違う。

そりゃ人間関係はなかなか分かり合えるものではないです。メールやラインなどSNSだけでは。伝わらない部分もあります。

私達も今でも分かり合えない部分もあるのです。

しかしLGBT、セクシュアルマイノリティの存在を、「仙台の街にも居るよ♪」

私達の存在を知ってもらいたいと言う部分でと、多様性はみんなのことだよ。仙台を虹色にしたい気持ちは同じでした。


東城さんは確かに誤解を招くような言葉足らずさや、丁寧さに欠けるところがあります。

特にイベント準備期間少人数で準備している分皆さんが思う至らなさがたくさんあったと思います。

はじめての事ばかりで迷惑もたくさんかけています。でも誤解されている部分もあります。私も会うまでは誤解していましたから。

その対話を重ねて、仙台を虹色にしよう!

と言う部分はブレずにお互い一緒でした。


司会を受け入れたのは、それだけでいいのではないかと思ったからです。

東城さんと私の心の距離は相当離れていたと思います。


いつも見ている勾当台公園市民広場、定禅寺通りの並木道、いつも通勤で通る広瀬通り。

楽しく飲む国分町。そこには必ず私の大切な人達の存在があります。

そんな大切な仙台を、何者??仙台の街を壊さないでと思いました。

でも顔をみて話しをし、お互いの思いをぶつけ合いました。

今は私はダブル快適ゾーンくらいの距離まで縮まったと思っています。

なので司会をやることにしました。

東城さんもちゃんと向き合ってくれるし、ちゃんと伝えられると分かったからです。


仙台の街で分断して関わりを持たない事は簡単です。関わらなければいいだけ。でもそれでは変わって欲しい宮城仙台の街にはならない気がします。イベントが終わっても私達の距離を縮めるには時間はこれからもかかると思います。

しかし関わりを続けていれば少しずつ見えてくるものがあるはずです。

人に傷つけられるけど、喜びも楽しさも感動も与えてくれるのも人です。


LGBTだって一人一人違います。

プライドとは自分が「生きたい!生きてるんだ!」と思うだけでいいのではないかと私は考えます。それが多様性の虹色なのではないかとおもうからです。


苦しみとは、「現実と希望のひらき」からくると学びました。

考えや思想が違っても顔をみて対話を重ね。

お互いに快適ゾーンをみつけることで、多様で生きやすい街になると思うのです。

その苦しみという「ひらき」をお互いに少しでも縮められるように私はこれからも色々な団体と関わりたいと思っています。


もし私というフィルターを通して、当日行ってみよう、参加してみたい。パレード歩きたい。と思って下されば幸いです。

楽しいステージのゲストも、出店ブースもたくさんあります。

もちろん沿道でそっとみてくださるだけでも嬉しいし、来なくても応援してくださるだけでも嬉しいです。

このイベントを通して新しいご縁も頂きました。


なにぶん初めての事だらけです。

ご迷惑も至らないところもあると思います。

どうぞその時は改めてイベント終了後、ご指導よろしくお願い致します。


笑って楽しい事をしていると、集まって来てくれる人がいるとあの頃思ったことを胸に。


仙台の街でハッピー   パーティーやハッピーパレード🌈と声をかけさせてください♪


一部の文章を変更いたしました。



最後まで読んで下さりありがとうございました。誤字脱字はすみません。


#仙台プライドジャパン



                                                          小野寺真