年明け、体にやさしいもの食べた?

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七草がゆセットは高いので、今日も普通のご飯です。
そもそもあれってほとんどざっそ...げふんげふん
 
さて、松の内が明け、社会活動を再開いたしました。
2022年が始まり、地域のお役目もスタートしました。
早速、「今後自分がやるべきことはなんぞや?」ということで、
これまでの活動記録をひっくり返してみた。
 
なんだろうなあ。
その活動の始まりは古く、もちろん必要であるから発生したとは思うんだけれど、
時代には合わなくなってしまっている。と思う。
趣旨を少しずつ変えながらここまできたのかもしれないが、いよいよ無理があると感じる。
 
例えば、活動自体は徐々に縮小とか中止とかになっているにもかかわらず、年度終わりの慰労会(役員だけの食事会)は残っているとか。(もちろん、会の予算を使うやつ)
内心(そんな慰労会をするほどの活動はしていないのでは?)と。
※そこそこ役目はありますが、それは例えばPTAとか保護者会とかも同じ(いやむしろそっちの方が仕事が多い?)なのに、そちらにはそういう習慣も予算もない。
 
実際、数年前にはその点(慰労会に金を使いすぎている)を元締めから指摘されている。(活動記録に残っている)
 
一昨年・昨年は、飲食を伴う行事が一切行えなかったから慰労会も中止だったが、今年はどうするか?
 
その分の予算を何か別の活動に回してはどうか?と思っているので、提案してみようかな。
強行するつもりはないが、変えられるところは変えていきたいと思う。
 
 
趣味のサークルもそうなんだが、
これまで脈々と守られてきたことは変えてはならぬ
という見えない(見える聞こえる場合もあるが)圧力で、変えたくても変えられずにバブル時代とか、それよりもっと前の習慣を断ち切れずにいる団体は、他にもあるかもしれないなあ。
 
いや、伝統を守っていくことは大切だと思うんだけどね。
すでに形骸化してしまっているのなら、もはや守っていくことに意味はないと思うので。
 
おそらく多くの参加者が(こんなのいらない)と思っていることと思う。
でも、自分の代で変えるのは勇気がいるし反発されたら面倒だと感じて、そのまま次の人にバトンを渡すのではないかな。
 
私だって、そうしたら楽だと思うんだけどね。
(そういいながら着手するから面倒なことが起きるというのも重々承知しているんだけどね)
 
自分でも面倒くさいしバカだなあと思います。