帆船 日本丸乗船 | 旅爺のぶらぶら

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旅爺は旅路の途上、ぶらぶら歩きます。
旅のこと、日頃見たもの感じたことを、だらだらと記します。

12/16(土)は、某SNSの年忘れオフ会。

東京上野で開催。

気温が上がって、とても暖かい日和で、コートは手に持っての歩行でした。

とても楽しいオフ会でした。

 

明けて翌17(日)は、横浜で時間つぶし。

何も計画してなくて、思い付きでした。

 

 

 

桜木町駅前の案内看板、小さくてわかりにくいです。

 

 

ゴンドラが無数行き来しています。

「ヨコハマ エア キャビン」というそうです。

 

乗ってみたいけど、一人じゃねっ!

 

 

 
横浜みなとみらい地区
 
 
当てもなく歩いて居たら、帆船が見えてきました。
「日本丸」です。
 
 
せっかくですから乗船しましょう。
案内の方が待機していて、ガイドをしてくれます。
かなり年配の方二人と、帆のメンテナンスをしている人が、3人くらいいたかな?
 
日本丸が係留されているところは、元三菱重工のドックだったそうです。
今でも船として登録されていて、その気に成れば(ん千万円かかるそうですが)航海できるそうです。
船として登録されている理由は、これが建造物になると、消防法や何やで設備の設置や維持費が莫大になるそうです。
 
 
練習生の寝室。
8人部屋が15室、120人が乗船しています。
その他船員や教官等が60人乗っているそうです。
 
整髪等は、練習生同士でやっているみたいです。
整髪してもらっている御仁は、越中褌ですね(笑)
 
 
趣のある階段。
 
ピアノが置かれていました。
引ける人が乗船していたんですね。
 
 
                   病室

     治療室
 
 
 
 
船長室。
子供の頃の夢がかなっていれば、旅爺もこんなところにいたかも?てへぺろ
無理か・・・爆  笑
 
 
士官用サロン。
ちょっとわかりづらいけど、赤丸で囲った部分。
木の枠の高さが少し違うと思いませんか?
手前はテーブルとフラットに、奥はテーブルより少し(5cmほど)高く成っています。
これは、海が荒れているときに、テーブル上の物が落ちないための工夫で、
黒丸で囲った金具(L型)をくるっと半回転することによって、上げ下げしています。
 
黄色で囲った絵の向こうには観音扉が有って、その中には四国の金毘羅さんが祭ってあります。
当初はあらゆる分野の人々に信仰されていたが、19世紀中頃以降は特に海上交通の守り神として信仰されており、漁師、船員など海事関係者の崇敬を集める。時代を超えた海上武人の信仰も篤く、戦前の大日本帝国海軍の慰霊祭だけではなく、戦後の日本特別掃海隊(朝鮮戦争における海上保安庁の掃海)の殉職者慰霊祭も毎年、金刀比羅宮で開かれる。境内の絵馬殿には航海の安全を祈願した多くの絵馬が見られる。金毘羅講に代表されるように古くから参拝者を広く集め、参道には当時を偲ばせる燈篭などが今も多く残る。
 
よって、日本の船のほぼ全てが金毘羅さんが守護神となっているそうです。
1隻だけ、伊勢神宮を祭ってあると言ってましたね。
 
天井には素敵なステンドグラスが飾ってありました。

 

 

 

 

 

 

手動舵輪

帆走中はこの舵輪で舵をとります。

普通は2名で行いますが、海が荒れてくると陀が重くなるため、後ろ側(真正面から撮ったのでわからないが、この奥にも舵輪が付いている)の舵輪も使用し、4名で行います。

舵は左右35度づつ動きますが、この舵輪一回転で舵は1度だけしか動きません。

舵輪の柄の先についている真鍮が回す時の目印になります。

風上側の操舵当番が帆に対する風の入り具合や、ジガーマストの上にある風見などを見て風向を知り、同時に前にあるコンパスで船の計器を見ながら、どれだけ舵を回すか

判断し、風下側の操舵当番に号令を掛けながら回します。

フードの中に舵輪が有るので、海が荒れているときに、後ろからの追い波で人が流され

無いようになっています。

 

 

 

 

船を降りると、舞台で女の子たちがダンスを披露していました。