本日のパドレス戦で56個めの盗塁をして、53本塁打56盗塁となった大谷選手。

明日、パドレス戦に勝利すれば、地区優勝が決まります。

 

MLBのポストシーズン以降のスケジュールと組み合わせがよく分からなかったのですが、MLBのこのページがとても分かりやすい(^^♪。

今日時点でのポストシーズンの組み合わせが分かります。

 

地区優勝しても勝率でどの組み合わせに入るのかが決まるので、結構スケジュールがタイトなんですね。

シーズンは9/30まで、そして、ポストシーズンは10/1から始まるという感じ。

移動もあるし、ほんとタフな10月なんですね。

 

 

 

大谷選手のポストシーズンの活躍を観る前に、「Shohei Ohtani - Beyond the Dream」で大谷選手の想いを深く理解しておきたい(^^♪。

 

 

 「Shohei Ohtani - Beyond the Dream」

大谷選手はどこまで行くのか?もはや日本人初というよりもMLB史上でも比べることができないくらいになっている。

野球を愛して実直に野球に向き合い、その不断の努力と生きざまは野球の神様に愛されるべくして愛されているとしか言いようがない。

 

昨年、11月にDesney+で独占配信開始された「Shohei Ohtani - Beyond the Dream」。大谷選手のドジャース移籍前までのドキュメンタリー映画。

 

野球を始めてから大谷選手の軌跡(奇跡ともいえるか…)を、大谷選手本人が当時を振り返るインタビューと共に、その当時を一緒に過ごしたり目撃してきた方々がそれぞれの立場からみた大谷選手を語る。

 

大谷選手が当時どのように想っていたかを本人の言葉で知ることができ、真摯に野球に向き合い、努力を続け、挫折も感じながら、ひたすらにもっと上手くなりたい!という想いで前へと進んでいる姿、そして、決して自分自身のためだけでなく、野球をつくってくれた人への感謝や、日本野球界そしてMLBで活躍した日本人選手への感謝も忘れない人間力に感銘を受けてやまない。

 

英語版のナレーションをペドロ・マルティネズ氏、日本語版ナレーションを松井秀喜氏が担当しているのだが、大谷選手への愛情が感じられ、心温まり、そして、ジーンと胸があつくなる。

 

歴史に残るスーパープレーヤー大谷翔平と同じ時代を生きる目撃者となれることは、とても幸運なこと。

今、改めて、大谷翔平選手のこれまでを振り返ってみることができる素晴らしいドキュメンタリー。

 

<簡単な年表>

  • 2012年のNPBドラフト1位で北海道日本ハムファイターズから指名される。
  • 2017年オフにエンジェルスに移籍、2018年シーズン途中に肘の靭帯損傷で打者に専念して最終戦まで打席に立ち新人王受賞。オフにトミージョン手術を受ける。
  • 2021年MVP・シルバースラッガー受賞、2022年8月9日、MLBではベーブ・ルース以来約104年ぶりとなる、2桁勝利・2桁本塁打を達成。10月5日、近代MLBで投手打者の両方で規定回(投球回・打席)に達した初めての選手となった。
  • 2023年WBC優勝・MVP受賞、MLBシーズンではホームラン王を獲得。シルバースラッガー賞&シーズンMVP受賞。ハンク・アーロン賞も受賞。
    7月27日敵地で同年初のダブルヘッダーとなったタイガース戦1試合目に「2番・投手」で投打同時出場しメジャー移籍後初となる9回を投げ切り、メジャー通算83登板目で初完投初完封を達成し9勝目を挙げた。さらに約45分後に開始となった第2戦では本塁打王独走の2打席連続の37号2ランと38号ソロを放ち、歴史的な躍動でダブルヘッダーの2試合で完封&本塁打を記録<すごすぎる一日>
    8月9日本拠地・ジャイアンツ戦で6回3安打1失点と好投し同年10勝目(5敗)を挙げ、ベーブ・ルースも1918年の1度しか出来なかった史上初となる2年連続の「2桁勝利&2桁本塁打」を達成した。
    8月23日、レッズとのダブルヘッダー第1試合に先発登板し、第1打席で両リーグ最多となる44号本塁打を放った直後に異変が起き同年最短の1回3分の1で降板した。右腕の疲労感を訴えて先発登板を1度回避し、同年最長の中13日を空けての登板だった。
    検査の結果右肘の内側側副靱帯を損傷し、投手では同年絶望となったことを明かした[303]。右肘の靱帯損傷にもかかわらず、チームの勝利のために打者として出場を続け同28日敵地フィリーズ戦で二塁打1本、単打2本を放ち、同年322塁打と2004年イチロー(マリナーズ)の320塁打(本塁打8、三塁打5、二塁打24、単打225)も更新する日本選手の歴代最多記録を更新した。
    9月4日、屋外のフリー打撃中に右脇腹を痛め、11試合連続で欠場し出場に向けて最善を尽くしていたが、同月16日にエンゼルスは右脇腹痛で10日間の故傷者リストに入れ、シーズンを終了したことを発表した。同月19日にロサンゼルス市内の病院で右肘の手術
  • 2023年12月にロサンゼルス・ドジャースに移籍。

 

2023年製作/99分/日本
配信:Disney+

 

 

以下、ネタバレです。

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「大谷翔平は、現代のメジャーリーグにおいて唯一、10勝の投手でありながら、40本塁打、15盗塁を同じシーズン中に成し遂げた選手だ。オールスター戦ではただ一人指名打者と投手として出場。奪三振とホームラン数はベーブ・ルースが100年以上前に打ち立てた記録を塗り替えた。これは野球史上、類を見ない選手の物語だ」

と日本語は松井秀喜氏、英語版はペドロ・マルティネズ氏のナレーションが流れる。

 

2009年のワールドシリーズ。ペドロ・マルティネズ投手と松井秀喜選手の対戦を大谷翔平はテレビで観ていた。好きな選手同士の対戦を少年の大谷選手は特別な想いを抱いて観ていた。

ペドロと大谷の投球やしぐさが交互に映し出され、大谷がこんな投手になりたいと尊敬の念を持っているのがわかる…。

 

大谷の両親が人として大切な事を大谷に教えてきたことがわかる。

 

花巻東高校時代に大谷はマンダラチャートを書いた。

ペドロ、松井秀喜、CCサバシア、栗山もその内容にコメントする。

「(マンダラチャートは)押し入れにしまっておきたい。言語化というのは、忘れてしまうものだと思うので、書いて貼る、書いて目にするというのは、単純なことではありますけれど、効果的なことではあると思います。それを続けていくと、なにもしなくても必要なことが分かってくる。いろんなやり方があっていいと思う。何が正解かはわからないけれど、一つの方法としてこといいのではないかと・・・」

 

小学校一年生の時に書いた将来の夢

将来なりたい職業:野球選手、なりたい大人:ふつうの人

 

18歳でMLBから投手としてスカウトされたが、日本ハムは二刀流としてドラフト一位指名をした。

代理人のネズ・バレロ氏は「一つの分岐点だったと思う。ドアAとドアBと。どちらに行くかで未来が全く変わっていたと思う。彼はドアAを選んだ」

 

投手か打者かを選ぶのではなく、ベーブルース以来だれもやったことのない二刀流を選択してプロ野球に入ったことを、

大谷選手、栗山監督、松井秀喜氏などが当時のことを語る。

二刀流は日本だけでなくMLBでも否定的な見方が多かった。そんな中、大谷選手と栗山監督が選択した二刀流。なんとか両方を超一流に持っていきたいと考えていた日本ハム。

大谷は栗山監督に本音を聞いてみたい。日本ハムに誘った時に、本当に二刀流ができると思っていたのか…もちろん一つの手段として両方やってみてできなければどちらかでという考えもあったと思うが…球団も入団さえしてしまえば、どちらでも球団は勝ちなわけで…

栗山監督は「もちろんできると思っていた。バッターとしても超一流。投手としても超一流。5年でアメリカに行かせられなかったら、我々の負けだと思っていた」

ダルビッシュから受け継いだ日本ハムの背番号11。ダルビッシュがMLBに行って翌年に大谷に渡すことに異論もかなりあった。

二刀流は正解だったのか?

 

「自分がやりたいようなことに対してマイナスな印象のことは必ずどんなことに対しても起きてくると思うので、結局は自分の事は自分が一番わかっているし、自分がどうなりたいかということは自分が一番わかっていると思うので、そこに対して諦めずにやり続けたことが結果的に終わってみたときにどう思うのかなというのは、選手の現役時代を全力で走り抜けた先にあるのかなと思っている」

 

23歳。エンジェルスにポスティングで移籍。25歳になればメジャー契約が結べるが、それを待たずしてマイナー契約で海を渡る。どうしてエンジェルスだったのか?

 

「最初はほんとうにそう(二刀流でと)思っているのかを判断することだった」

「フィーリングというか。高校を選ぶ時も、アメリカに行きたいと思ったときも、日本ハムに入団した時も、最終的には直観でチョイスするというか、それは3つあるうちの一つをなんとなく適当に選ぶというのはなく、3つの性質をちゃんと理解してちゃんと考えて、最終的には直観で選ぶ。構えと一緒のようなもので、なんとなく自分がそうなる未来が思い描けるというか、自然と浮き出てくる答えがエンジェルスだった。最終的に直観で決めるというのは、いろんな球団とのミーティングがあって、いろんなの人の話を聴いて、最終的にエンジェルスが良いと思って選んだ。」

 

MLB一年目。スプリングトレーニングでは思うような結果が出ずにメディアに叩かれた大谷。

「2018年のキャンプでは散々だった。ただ、それを望んでいたというか、野球選手である時間て50歳までやったらとてつもないことだと思うので、どれくらい自分の持っているものを延ばしていけるかということは趣味みたいなところでもあるので、打てなくてどうしようかと思うこともあったが、同時にワクワクしていた。最初からうまくいけるとは思ってなかった。高校に行ったときも、プロ野球に入ったときも最初からうまくいくことはほとんどなかったわけで、それを望んで自分が入ってきて、ワクワクの方が大きかった。」

 

「行き詰っていましたし、誰かに教えてくださいみたいなことがないタイプだと自分では思っているので、でもかなりどうしようもない感じだったので…最終的には自分のやってきたことを信じて、まだスプリングトレーニングの段階だったので大きく変えるのも自分らしさかなと思って、バッティングも大きく変えましたし、なんとかそれでこれまでやってこれたかなと」

(NHKスペシャルでは、この時、イチローに教えを乞うべく、バット一本を持って訪ねて、自分の才能を信じろと言ってもらえたことが大きかったと語っていた。そして帰りにはユンケルを貰ってきたと。)

 

そして、2018年シーズンが開幕して最初の登板アスレチック戦で進化した大谷は魅せた。

 

エンジェルスのマイク・ソーシア監督は大谷の二刀流の可能性を信じていた。他の球団であれば違う結果だったのではと。

 

ペドロもダルビッシュもCCサバシアもMLBに入りたては自信を失いかけたことがあると。また、人種差別や偏見や新人いじりがあったことも大変だったと。

 

しかし、大谷は想像していたようなことは全くなく良い環境で野球ができたと語る。エンジェルスがそういう雰囲気のところだったのか、大谷が気づいていなかったというおおらかさのためか…。周りの人たちが良かったと。

 

シーズン途中、肘の靭帯を損傷してオフにトミージョン手術を受けた。その後、リハビリをしながら打席にたつも、なかなか調子があがらずにモヤモヤとしていた時期を過ごしていた。

 

2021年、一つの転機を迎えた。スプリングキャンプでマドン監督から休養日を設けずにフルで二刀流で起用することを告げられた。大谷はこの言葉を結果を残せなければ二刀流は諦めてどちらか一本に絞るという最後通告だと感じた。

が、マドン監督は二刀流ができると完璧に信じていたと。

大谷はマドン監督からの言葉を聞いて、勘違いでかえって良かったと。かえってそう思っていたことで結果が出たし、良かったと。

 

MLBの監督は30人しかいないが、選手はたくさんいる。そのような意味で監督は一選手の自分なんかよりよっぽと秀でた能力を持っていて、すごいなと思う。

 

代理人のネズバレロが語る「翔平は物事を向き合う時、9つのマイナスよりも1つのプラスに注目する。それを最大限に活かそうとするんだ。」

 

大谷は「野球自身が生きがい。他の人にどのように影響しているかは分からないけれど、願わくば良い方向に影響して欲しいなと思う。そうなったら自分自身も嬉しい」

 

二刀流だからこそ経験できることが大谷の強みになっているとも言える。

 

そして、2013年。

WBCで日本代表で二刀流で出場。大谷にとっては契約最終年。WBCに出場してシーズンが不調に終わる選手も多いのに、どんなに勝ちたいのか…とダルビッシュ。

アメリカ代表との決勝戦。

 

大谷は高校生の時に書いたマンダラチャートの裏に書く。「世界一」と。

 

最終打席でトラウトと初対戦。

 

栗山監督の名言が語られる

「今回WBCで翔平がいかにアメリカのトップ選手が憧れるくらいになっているかは分かりましたけれども、今、感じるのはあの高校の時に見た彼の将来どこまででも可能性がある天井のないその素材に胸が震えたっていうのを形にしていったのが日本ハムの時代で、それが身体の心配をしなくていい感じに初めて思えた。そういう意味では高校時代に見たきらめくような才能を形になったプレーヤーとして今見られているそんな感じがします。僕が翔平のために何かやったという意識は全くないし、本当に彼を見たらみんなが自然に手伝う、一つの歯車だったそんな気がします」

 

世界一になった今、次の目標を書いているのか?

 

大谷翔平は18歳の時にこう書いた「人生が夢をつくるんじゃない。夢が人生をつくるんだ!!俺の人生を野球に」

 

いくつかのターニングポイントを経て、あの時の決断は正しかったのか?と問われても、

決断が正しかったかどうかは過去の同じ時点に戻って同じ時を過ごしてみないとわからない。

だからその時決めたことが正しかったとそう思うしかない。

そう思うことで気持ちよく進むことができるしそうしたいと思っている。

 

翔平にかける言葉…それぞれの出演者が想いを伝える。

そして、「世界一」の文字が書かれた紙を持って大谷翔平は歩き出す。

 

<エンディング>

ペドロは微笑み

ネズバレロ、CCサバシア、ダルビッシュは拍手をおくり

マドン監督は両手を合わせる

松井秀喜は手を振り

マイクソーシア監督は敬礼を

そして

栗山監督は腕組みをしてうなずく

 

大谷翔平がスタジアムに入るとMVPの大合唱!!!

 

エンドロールの曲は大谷翔平がエンジェルス時代に使っていた「LOST IN PARADISE」

 

最後まで泣ける~
 

ー感想ー

才能と体格に恵まれたとはいえ、不断の努力がスーパースター大谷翔平をつくっているからこそ、彼を見る人は彼の野球に対する愛情と熱情を感じ、共感していくのだと思う。

栗山監督と日本ハムとの出会い、そして、MLBではエンジェルス。大谷翔平の真摯な生きざまが、彼の未来の鍵となる運命的な出会いを引き寄せたと言えると思う。

大多数が批判や反対を唱える中で、大谷翔平が二刀流を実現することを心から信じる人々との出会いである。

運命的に出会っているようでもあり、大谷翔平自身が考えて選んでもいるのだ。

 

このドキュメンタリー映像を見て、大谷翔平選手が語る一つ一つの言葉から、彼の生き方の一端を知ることができる。

 

野球の神様に愛されている男。それは、単なる偶然や運命ではなく、血のにじむような努力と鍛錬により神様までもが魅了されたのだろう。

 

凡人からみれば苦労や過酷な試練と思えることでも、大谷翔平自身はそれも楽しみに変えて進んでいく。

 

彼のプレーだけではなく、このような人間性も人々を熱狂させる理由であると思う。


歴史に残るようなアスリートをリアルで目撃することができる幸運。

大谷選手が魂を込めて挑んでいる瞬間瞬間を、同世代に生きているものとして記憶に焼き付けておきたい。

それにしても、大谷選手はどこまで行くのだろう…。

日本ハム時代の応援歌
「迷わずに駆け抜けろ 伝説の幕が開ける さあ 気持ち込めて 進め 狙い定め 跳べ! 大谷! 夢の向こう側へ」

は、将来を予言するかのように、そして、将来をどこまでも応援するかのようだ。

また、この映画のタイトルも「Beyond the Dream」。

大谷選手の想うように進んで欲しい。そして、進めるように心から応援したい。