瀬田の唐橋には俵藤太の百足退治の伝説があります。
ある時、近江国琵琶湖のそばの瀬田の唐橋に大蛇が出現して横たわり、人々は怖れて橋を渡らなくなったが、通りかかった俵藤太は動ぜず、大蛇を踏みつけて渡った。
大蛇は人に姿を変え、実は自分は湖底に住む竜女だが、一族が三上山に棲みついた大百足に苦しめられている。
百足を倒すため、ここで勇者を捜していたと語り、百足退治を懇願した。
藤太が唐橋で待ちかまえていると、三上山から大百足が出現し、山上からこちらに向かってきた。強弓をつがえて射掛けたが、一の矢、二の矢は跳ね返されて通用しない。三本目の矢には降魔の力があるという唾をつけて射ると、矢は百足の眉間を射抜いた。
礼として藤太は竜神から、米の尽きることのない俵や使っても尽きることのない巻絹などの宝物をもらった。
瀬田の唐橋
この龍神は大神霊龍王という名で、橋姫とも呼ばれています。
橋姫を祀る神社は宇治にもありますが、瀬田の唐橋のかかる瀬田川は下流に行くに従って、宇治川、淀川と名を変えますので、同じ川なんですよ。
川を龍に例えることが多いのはよくあることですので同一の川で同じ龍神を祀るのはごく自然なことかと思います。
右岸にも橋姫を祀る社がありましたが、昔は瀬田の唐橋の中央に特殊な橋杭を打ち込んで、それを依代として龍神を祀っていたそうですので、橋の架替えの際に仮宮として祀られた名残だと思います。
左岸には勢田橋龍宮・秀郷社があります。
社額
手水舎
こちらにはちらほらカップルの姿がありましたので、なんらかのパワースポットなり、縁結び的なご利益とかあるとされてるのかな?
ご利益求めることは人それぞれなので、それに関しては否定しませんけど、縁結びのご利益求めてカップルで来るのって意味わからんのです。
結ばれてると思ったら、縁結びのご利益いらないよね。
お礼参りだと思いたい。
拝殿
社殿はふたつ。
向かって右が勢田橋龍宮、左が秀郷社です。
俵藤太の百足退治のこと書かれたやつ。
百足は太平記では三上山でなく比良山を棲み処としていて、百足が襲ってきた時、それは松明が二、三千本も連なって動いているかのようだと形容されています。
おかしな形容ですよね。
百足の有り様を表現するのに松明はないですよね。
普通思いつきませんよ。
これって普通に軍勢なんちゃいますかね。
ヤマタノオロチの表現もそうですけど、これって反乱勢力ですやんって思えます。
俵藤太(藤原秀郷)が討ち取った反乱軍といえば、平将門ですよ。
また、近江輿地志略に三上山を七周半する長さだったという記述があるようなのですが、平将門は関八州を制圧目前でしたから、七周半ではなく七州半とすれば辻褄合います。
さらに、瀬田の唐橋の龍神に助けられて将門を討ったとも言われますから、龍神とされているのは朝廷のことかも知れません。
藤原秀郷の異名である俵藤太も、龍神から贈られた米の尽きることのない俵に由来してると思われます。
すなわち莫大な禄のことでしょうし、藤太という名も、藤原氏の太郎という藤原氏の長のような名です。
平将門の乱を平定した恩賞があなりなものであったという証明にもなりますね。
もひとつ社ありましたわ。
金毘羅大権現宮でした。