江包・大西のお綱まつり(桜井市) | 神社ぢからと寺ごころ

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寺社を通じて教わった気づきを綴ってまいります。
頂いた御朱印も順次公開していきます。
磐座とか陰陽石を探すほうが多くなってきてましたが、最近では街中の小社ばかり回ってる気がします。

昔、川の上流から神様が流れてきました。


素盞鳴尊と稲田姫のニ柱です。


上流から流れてきた二神のうち、江包地区の村人は素盞鳴尊を、川向うの大西地区の村人は稲田姫を助けました。


そして二神が正月に結婚式をあげたことに由来するという祭が今も続いていますので、行ってきましたよ。


今日はしっかり書きますので長いですけどお付き合いいただければ幸いです。


今年は祭にアンテナ立てていきたいというのが新年の抱負ですから、出来る限り足を運ぼうと思っています。


祭といっても奇祭の類がメインですけどね。


この地区の祭といえば、『お綱はんの嫁入り』こと『お綱祭り』です。


江包・大西両地区それぞれで新藁を持ち寄って、江包の春日神社で男綱を、大西の市杵島神社で女綱を作り、素盞鳴神社で入舟の儀式を行うという祭です。


古くからの田遊び祭りの一種で、豊作を先に祝う儀式なわけです。


旧暦正月十日に行われていたものですが、現在は二月十一日に行われています。


豊作の祝い、五穀豊穣と子孫繁栄はセットですから、男綱と女綱の入舟の儀式といえば、想像できますよね。


二柱が流れてきたという初瀬川ですが、現在はこのあたりは大和川と名称が変わります。


まずは先に出発する女綱を見るために、女綱の出発地である市杵島姫神社に行ってみました。

時間的に出発してしまってたのはわかってましたけど、境内には女綱作りで使用されなかったりした藁がたくさんありました。
祭が11日ですので、二日前の9日に春日神社で雄綱が作られます、その寸法に応じた女綱が10日にここ市杵島姫姫神社で作られます。

これは出来上がった男綱のサイズに合うように作るためだそうです。
 
ガバガバならまだしも、挿入できなかったら意味ないですからね。

女綱の一行は子供が生まれた家なんかを回った後、近くの田んぼで相撲をとります。

境内にはまだ世話役の方がおられましたので、どこで相撲やってるか聞きまして、あっちのほうと指を差された方向に向かいます。

でも道が入り組んでるので、直接そちらの方向へ行けないため、落ちた藁を頼りに行ってみました。

すぐに藁を見失いまして、たまたま前から歩いてきたお子さん連れの女性に聞いて、相撲場に到着です。
見物人多いですね。

とはいえ、想像してたほどの混雑ではなかったので普通に見れましたよ。

女綱の尾

もう相撲は始まってまして、みんな泥だらけになってます。

女綱の尾は長いので、それで輪を作り土俵に見立ててるわけです。

泥がつけばつくほど豊作になると言われています。
こういう祭って見物人が巻き添えくうことがありそうなので用心してましたけど、出過ぎたマネをしなければ全く問題なさそうです。
 
とはいえ皆さんお酒召されてるので、何が起こるかわかりませんよ。

これが女綱の頭部です。
女綱の頭は長さ8mほどで、100mもある尾がついています。

頭部の重さが500~600キロぐらいだそうです。

頭部と言ってますけど、実際には陰部なんですけどね。
準備が出来てないので今はまだ固く閉じられてます。

まだまだ相撲は続きそうですので、一足お先に婚礼の場所である素盞雄神社に行くことにしました。

徒歩数分でしたかね、素盞雄神社に到着です。
迎え入れる準備は万端のようでした。

男綱の出発地である春日神社に向かおうとしましたら、手前の田んぼで相撲場の準備をされてたので、しばし見学。

もう男綱来てますやん。
男綱の頭部の直径は1.5m、長さは3mほどで、それに約30mの尾がつきます。

女綱より尾は短いです。

暫く待つことになるので、素盞雄神社に戻りお詣りしたら、『お賽銭入れてくれたから、これどうぞ』と御由緒くれました。

御由緒100円って書かれてたのですが賽銭10円しか入れてないよ。

さて、冒頭にも書いたように、上流から流れて来た神様を助けたってことですが、流れて来たのが神様かなんてわからんと思うんです。

というか、神様は流れて来ないですよ。

上流の神社が洪水かなんかで流されて、社殿の一部か御神体が流れついたってことだと思います。

御由緒は解釈をしっかりすれば、現実味を帯びてきますので、鵜呑みにするのも、あり得ないと否定するのも、どちらも危険です。

ただひとつ腑に落ちないことが、ずっとありまして、それぞれの御神体とかを引き上げたまではいいんですが、なんで結婚させる必要があるなかってこと。

素盞雄と稲田姫は元々夫婦神ですから、改めて結婚させる必要ないんですよ。

村に災いが起こり、その原因が夫婦神を別々に祀っていたからだということで始まった祭だそうですけど、流されてきた神を一つの社で改めて祀ることを婚礼の儀式としたまではいいのですが、毎年やる必要があるのかということです。

別々に祀って災いが起こったのなら、普通なら一緒に祀ってそれで問題解決ですよ。

なのに毎年やる。

この祭を見ていく中で、気付いたことがありましたので、後ほど書きます。

しばらくしますと、江包のほうでも相撲がはじまりました。

大西に比べると見物人まだ少ないかな。
カメラ持った大半の人達は、雌綱のほうにまだいるようです。

こちらも泥だらけになりながら相撲とってます。
田んぼで相撲をとることにより、田の神様を高揚させ、豊作を願うのだそうです。

同じ意味合いで、田畑で夫婦の交わりをする風習の村もあったようです。

素盞雄神社で聞いた時間ぐらいに様子を見に行きますと、遠くのほうで掛け声が聞こえてきます。

女綱が少しずつ近づいてきてます。
ほんと少しずつです。

何度も休憩を入れながら少しずつ。

神職を先頭に歩いてきてました。

女綱の尾は100メートルなので行列も長いです。
もしかしたら、昔は出発地点に尾の先を結んでたんじゃないかと思えてきました。

そうであれば、距離の近い男綱の尾が女綱に比べて短いことの理由になります。

そうこうするうちに、やっと橋を渡ってきましたよ。

近くで見ると迫力あるわ。

この橋を渡ったら到着です。

到着

神職にお祓いしてもらって、女綱の設置が始まります。

まずは尾を引っ掛けていきます。

掛け声かけながら、少しずつ吊り上げていってます。

吊り上げ完了。

閉じていた縄を切っていって御開帳です。

『ひ〜らいた〜 ひ〜らいた〜』という声で、女綱の頭部が輪っか状に開かれました。

しつこいようですが、頭部と呼んでますけど陰部ですからね。
後は男綱を待つだけなので、何度も仲人役が迎えにいくのですが、なんだかんだ理由をつけて、なかなか来ません。

七回半それを繰り返してやっと男綱は動き出すことになります。

待っている間、氏子さんが見物客に話してた内容にかなり興味を持ちましたので聞き耳立ててましたら、昔から江包と大西の間での結婚はこれまでに無いんだそうです。

みんな親戚なので結婚したらあかんらしいです。

代わりに神様が結婚するというわけなのですが、それ聞いて一瞬で点が繋がり鳥肌立ちました。

江包と大西とで結婚した人がいないという言い方も気になります。
 
勘ぐりすぎかも知れませんけど、同地域内での結婚はしてないとは言っていません。

村の決まりかなんかで結婚できない二つの村、もしかしたら川を挟んで仲が悪かったのかも知れない。

でも近くの村なので、男女の出会いは当然あったはずですし、妹背山女庭訓の妹山背山の段やロミオとジュリエットのようなことがあったはずです。
 
あくまでも妄想の域を出ませんが、川上から流れてきた二神が、実際には若い男女にだったとしたら。

結ばれることを禁止された二つの村の愛し合っていた男女。

来世は一緒になろうと誓い、川に身投げをし、死体は両村で引き上げられたとすれば、祭の御由緒に当てはまります。
 
結ばれなかったその男女を弔うためにこの祭を続けているのかもと思いましたが、この後さらに怖いことに気づくことになります。

その時までまだしばし時間がありますので、祭の続きをレポートしますね。

これたしか五回目の戻りです。
儀式とはいえ、発言がリアルでして、ほんと疲れてる様子でした。

僕は実際には聞いてませんが、『嫁さん待ちくたびれて〇〇が××なっとるから早よ来たってやー』とか言ってるとのことです。

男綱が動き出すのを見るために相撲場に移動して待つことにしました。

こちらはまだ相撲してます。

しばらくしますと、最後の仲人が来て、『責任者誰?これで七回や、ほんまたのむわ』とこれもかなりリアルな言い方して、戻っていきました。
七回半と言ってましたが、呼びに来るのは七回でした。

田んぼの際まで、神職を先頭に大西の人達が出迎えに来てましたので、それが残りの半分ってことでしょうかね。

みなさんかなり酔ってるようですが、いよいよ男綱が動いてきますよ。

掛け声と共に担ぎ上げられた男綱。

田んぼの真ん中を進んでいきます。

近くでみるとこちらも迫力あります。

蛇行してましたけど、そういうふうにするものなのか、酔ってるからなのかはわかりません。

『道開けてやー!酔うとるから加減でけへんで!』という先頭の声にカメラ構えた人達が一歩後ろにさがり、境内に到着です。

いよいよ結婚です。

うまく入らないようで苦労されてます。
女綱を大きく広げすぎたのか猥褻な言葉が普通に飛び交います。

でも、無事に合体できたようです。

二つの綱を締め上げて一体化させてききます。

男綱の尾も吊り上げられます。

尾の途中に少し膨らんだ部分があって、口々に『金玉』と呼んでいました。

金玉

完成かな?

異様な物体になりました。
結ばれた男女の綱は五月ぐらいまでここに吊るされているようです。

でもね、綱とはいえ男女の結ばれた姿ですよ。

それをずっと見せたままにするってどうなんでしょう。

秘事なんて言葉もあるように、本来見せるものではない行為を白日堂々と見せる。

晒し物のように思えてきたところで、さらに怖いことに気づいてしまいました。

先ほど、結ばれなかった男女が川に身を投げたのだとしたらって話しましたけど、その続きになります。

江戸時代、心中は大罪だとされてきました。

有名なとこだと曽根崎心中なんかは、来世結ばれることを誓った二人が折り重なって死ぬとこで幕となりますが、実際の心中では、その後の扱いはひどいものです。

お芝居がヒットして心中が美化され、心中ブームが起こったそうで、幕府は心中禁止令を出します。

心中の「中」の字は「忠」に通じるとして、この言葉を禁じ相対死(あいたいじに)と呼ぶようにさせます。

さらに、心中した者は葬儀、埋葬をしてはならない。

遺骸は取り捨てにする。

もし一方が生き残った場合は殺人犯として死罪。

両者とも生き残った場合は、3日間生き晒しにした上、身分を剥奪し非人とする。

結ばれた男綱女綱も鳥居前に晒されます。

村に災いが起こった原因は夫婦神を別々に祀ったからだというのを、心中した男女を埋葬することができずに野ざらしにしたことに置き換えると、その彷徨った霊魂を鎮めるために年に一度婚礼させると思えば辻褄が合ってきます。

さらに、今後このような悲劇を繰り返さないための戒めとして、結ばれた綱を晒したのかも知れません。

まあ、あくまでも推測でしかありませんので、ほんとのことはわかりませんがね。

女綱の長い尾は、橋の欄干を伝って大西地区のほうに続いていました。

いろんな思いを巡らせながら、なぜか手を合わせて神社を後にしました。
こういった祭はこれからも続いて行ってほしいものです。

同日に廣瀬大社で砂かけ祭という、これまた奇祭が行われていましたが、この後行っても間に合わないので、少し神社を回って帰ることにしました。



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