サロン引っ越し前後のこの2ヶ月


初めて休みらしい休みをとって

1泊で関西の友人宅へ遊びに行きました



私の夏バテにより

当初予定していたUSJを急遽


「なんばグランド花月で吉本新喜劇を鑑賞」


に変更



いやぁ~腹抱えて笑った


生で見る芸人さんの迫力


客席の子供が

身を乗り出してキャッキャはしゃいでいて


こっちも幸せな気持ちになりました



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※右が神戸&全国で活躍のティーチャーりさちゃん



あとは彼女んちで


2日間ずーーーっとしゃべってた


くだらないことから人生のことまで


青春時代のように

いつまでもいつまでも語り合った(笑)



その2日間の膨大な会話を

集約すると・・


「遊び」


がテーマだったような気がします



「遊び」は定義づけが非常に難しいらしいが

それでも敢えて定義づけるなら


「遊びとは、知能を有する人間が

生活的・生存上の実利の有無を問わず

心を満足させることを主たる目的として行うもの

基本的には、生命活動を維持するために

直接必要な食事・睡眠や

自ら望んで行われない労働は含まない」


by Wikipedia



心を満足させることとは


好きなこと・楽しいことですよね



でも生きてゆくには


楽しくないこともしなくちゃ

好きじゃない人とも付き合わなきゃ


・・と思いますよね多くの人は



私もそういう思いが沸くことはありますが


でもそこで

私と友人の意見が一致したのは


生きること自体が

実験をしている感覚だということでした



その実験とは


好きなことだけをしながら生きていけるか?


労働 じゃなくて

遊びだけで生きていけるか?



「心を満足させるという目的で行うもの」


が遊びなら


仕事も遊びになり得るわけなのです

つまりは

遊び暮らしてゆけるかという実験



現在実験実行中です



みなさんもこの実験に参加しませんか(笑)


この実験は証明するより

参加することに意義があると思うの


参加すること自体が結果なのです



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注)


私も友人も


文字通り遊び暮らしてゆけるような

経済力が元々あるわけではありません


それじゃ実験にならないよね(笑)