熱心にギターの練習をしていたら、右手の人差し指に血豆が出来ていることに気づいた。小さい血豆だが、押さえると固くなっていて痛みもある。

 思わず手の平をしみじみ眺めると大きな無骨な手である。私の手と足は大きいし指も太い。若く痩せている時だって、指は太かった。末端肥大症なんてからかわれたことも有る。

 

 結婚する時に指輪のサイズを電話で聞かれて、15号と答えると、先方が間違いだと言ってきかない。体重はその頃は45キロぐらいで痩せていて、そんな体重で15号の指輪サイズは無いと言うが、間違いなくそのサイズだったのである。その後は段々指が太くなって行って、テレビで知ったのだが、某有名な太った男性タレントと指輪サイズが一緒になっている時もあった。当然どの指輪も入らないので、いつも指輪無しの手なので、シングルマザーに思われることも多かったりしたものである。

 

 結婚する時には、指輪数個やネックレスも何本か買って貰ったが、別に夫側がそんなに沢山買うつもりは無かったのだが、見合いの仲介人のおばさんが宝石屋を連れて来て、半ば強引に夫の母に買わせたのだった。恐らく幾らかのリベートをそのおばさんは貰ったことだろう。そんなに高価な物ばかりではないにしても、やはり宝石なので、総額50万円位は支払ったと思う。結婚仲介の謝礼金に合わせて宝石代のリベートも仲介者のおばさんは得た訳である。

 その後、そのおばさん宅は一家総出でこっそり引っ越ししたとの事で、私の結婚時には、家計がかなりひっ迫していたと聞いたものである。

 

 当時の在日韓国人の結婚には、かなりのお金が動いたものである。それほど息子の嫁探しにはみんな躍起になっていて、教育なんかには無頓着な割には、結婚となると親たちはすごく焦って、同じ在日の娘を探し回っていたのだ。早く、同じチョソナー(朝鮮人の娘)のメノリ(嫁)を探さないと、イルボンサラン(日本人)の女の子を結婚相手として連れて来られたら困る、という事と、舅姑の老後の世話は、同じ在日の娘に託したいと考えているからである、習慣も考えも違う日本人の嫁、特に食事は韓国料理が出来ない嫁は困ると思っているのだ。

 

 ひょっとして、私は50万円で買われた嫁?なんて自虐したくなるが、まあ全く当たっていないこともない。

 

 色々な仕事をして来たが、殆ど肉体労働だった。期せずして、祖母と大きくは変わらない労働人生だったのかもしれない。 

 大きく分厚い手は、私の人生を支えてくれて、時々病気をしながらも古希を過ぎるまで生かしてくれた。太い足も今では若い頃とは比べようもない高?体重の私を毎日運んでくれる。足腰は丈夫である。

 肉体労働におあつらえ向きの体に産んでくれた両親に感謝である。