前任の伊藤Drから指名いただいた大阪大学医学部付属病院研修医2年目の安部直希と申します。
<プロフィール>
福岡県北九州市生まれ、サラリーマンの父と助産師の母の下で、生まれ育ちました。
親の仕事の都合上、熊本、長崎といった九州地方の都道府県を転々とし、中学1年生の夏くらいに北九州市に戻ってきました。幼少期からサッカーをさせてもらい、将来はサッカー選手になることが夢でした。中学3年の夏に福岡県の代表となり、他県の強豪チームと戦うことができ、高校時代は、トップ下のポジションを任され、チームメイトとともに熱い青春を過ごしました。
こんな僕がどうしていきなり医者になろうと思ったのか少しお話します。
勉強に関しては、小学生時代は毎日漢字を2ページ書かないと遊んではいけないという謎の家庭ルールがあって勉強自体は嫌いになっていて、進研ゼミのチャレンジで漫画を読むだけという感じでした。僕の人生での分岐点は中学生の時で、長崎から福岡に転勤した際に、同級生が携帯を持っており都会ってすごいと憧れてしまい、親に相談し、「うちはうち、よそはよそ。そんなに言うんなら、次の期末試験で私を驚かしてみなさい。話はそれからよ」と言われ、どうしても携帯を手に入れたかった僕は睡眠時間を大幅に削り、人生でおそらく一番勉強し、学年1位を取ることができました。それがおそらく勉強をするようになったきっかけです。親も物で釣るということを覚えてしまいましたが、それがなければ僕に医学部入学はもちろん無理だったと思います。
高校時代は特に欲しいものがなかったので勉強をストップしていましたが、高校三年生の時、今後の人生を考え、サッカー選手は半ば諦めており、そのほかには特に決まった夢もなく、考古学、宇宙工学に興味はあったものの、助産師の母の影響で産婦人科医という職業を知り、なぜか興味を持ちました。しかし医者になるためにはかなり勉強しなければならないし、お前じゃ無理だ、諦めたほうがいいと教師に言われましたが、もう2度と諦めないと誓い、高校2年後半の時点で中途半端に大学生になるよりは、後悔のないように浪人を考え無事に河〇塾に入学し、医学部を志望校にし、中学時代を思い出しながら睡眠時間をまたまた削り、勉強しました。センター終了後、受験大学を全く決めていなかったのですが、たまたまTVでみたお茶のCMに新垣結衣さんが出演し、あまりの美しさに出身地をインターネットで確認し沖縄であることを知り、沖縄に行けば人生変わるのでは、と琉球大学医学部を受験する流れになりました。これが医者になった理由と医者になるに至った流れです。今では我ながらうまくいったものだと感じています。
合格した後は、すごく楽しい大学生活を送ることができ、独特の文化をもつ沖縄人、亜熱帯地域の気候など、すべてが新鮮で沖縄が大好きになりました。
琉球大学医学部は友人に「え、沖縄に医学部あるの?」と何回か聞かれたこともあり、あまり素性が知られてはないのではないでしょうか。国立大学医学部の中では1番新しい大学で、特徴的なのは4月から海開きとBBQを主体とした新歓が6月くらいまで続き、その中でも渡嘉敷島に1年全員と4年希望者が宿泊し海水浴したり、ドッチボールしたり、肝試ししたり、星を見たり、と遊んでばっか?の大学です。
もちろん勉強もしますけどね、あまりこの点に関しては記憶がありません。試験が終わって海に飛び込んでお尻にサンゴが突き刺さって痔瘻になった同級生がいたので注意してください。
大学入学前から産婦人科を志望してはいましたが、ただ赤ちゃんが生まれるところって感じの認識でした。大学の座学、実習で産科、婦人科、不妊を勉強し、かなり容量の多い学問でいろいろな働き方があり、またなんといっても新しい命が誕生するという神秘的な世界で働くということは産婦人科でしか味わえません。そういった点から改めて、産婦人科を強く志望するようになりました。その後、沖縄で体重を25kg増加させた状態で卒業しました。
その後は縁あって大阪大学病院研修医産婦人科コースとして研修医人生がスタートしました。大阪大学病院、多根総合病院(救急)で1年目を過ごし、現在は産婦人科の勉強に力を入れ始めている時期ですが、合併症妊娠の管理に内科疾患の知識、アプローチの仕方を学ぶ必要があると考え、せっかくなら離島で修業したいという気持ちで立候補し、名瀬徳洲会病院で研修する権利を得ることができました。
さて名瀬徳洲会病院での研修が始まり、1ヵ月が経過しました。
大阪大学医学部付属病院の研修とは異なり、入院患者の管理、救急、当直を自力でこなさないといけません。
最初は「えーん、当直とか怖いよ、不安だよー」とガクブルだった僕でも、今では医療を楽しんでいます。患者さんにありがとうと言われるたびもっと頑張ろうと思えますし、むしろ優しい患者さんに僕が癒されています。本当に最高の環境です。
さらに、フィジカル診察の重要性、おもしろさ、ロマンについて愉快に教えてくれる平島Drが内科部長をされており、毎日新しい知識をくださいます。平島先生のYou Tubeはすごく面白くて、勉強になり毎晩見て楽しんでいます。約5分間の動画にまとめてくださっているので学生のみなさん、研修医のみなさん必見です、最高です。
奄美は、本土とは文化が違うのは当たり前ですが、沖縄と似ている部分はありますが、むしろ本土よりの文化(墓など)、奄美特有の文化(みきなど)もあり、僕自身、不思議な感覚になりました。7月はコロナウイルスも収束しており、仕事の合間には、飲み会、サーフィン、シュノーケル、マングローブ探索、黒兎見学などプライベートは充実していました。ですが、やっぱり一番の思い出は、黒坂Dr、川村Dr、大木Dr、伊藤Drという各県から同時期に集まった研修医のみなさんと波の音を聞き、夜空に一面と広がる星を見ながら、今後の医師人生についてお互いに語り合い、お酒を酌み交わしたことです。言葉にするのは難しいですが、僕たちなんかかっこいいと思いました。
また、後期研修医のみなさん(宮川Dr、名嘉Dr、小原Dr、杉本Dr、堀Dr)も時に厳しく、時にはおかしく、魅力的な方々で、その他職員の方も優しくて、頼りがいがあって、本当に感謝しています。病院の雰囲気も最高で、医療スタッフの笑顔が絶えない素敵な病院でした。あと1か月よろしくお願いします。
8月から参加する研修医のみなさんが参加しました。ぜひ、一緒に頑張りましょう、楽しみましょう。
出会って2日、3日しか経過していませんが、絶対楽しいと確信しています。
ここで勉強のお話もさせてもらいます。少々お付き合いください。
救急で、3日連続で虫垂炎の患者さんが来て印象的だったこと、そのうち二人が若い女性であったこと、私自身が産婦人科医志望であることから、妊婦の虫垂炎という題目について勉強してみました。
まずは簡単に虫垂炎とは何かについて歴史も踏まえて説明します。
虫垂炎いわゆる盲腸は、右側の大腸の下の方にちょろっと生えている虫垂といわれている臓器が、炎症を起こしている疾患です。
引用:みついわクリニック六角橋
現代、外科医研修の手始めとなっているほど外科医にとっては楽勝だぜ~的な疾患のイメージがあるらしいですが、実は、昔は致死率60%というヤバイ病気だったのです。
19世紀初頭、フランスの外科医G.D.デュピュイトランが、本疾患の経過中に見られる、右下腹部膿瘍を切開した際に、盲腸自体の激しい炎症所見を観察し、盲腸炎と呼んだそうです。これからドイツでは「盲腸周囲炎」の名前がつき、広がっていきました。日本で虫垂炎が盲腸と呼ばれるのはドイツ医学の名残なんだそうです。
当時の治療法は、下剤療法だったそうです。痛いなら原因を流してしまえ~的な感じですかね。衝撃ですね。今ではもちろん禁忌です。
また疼痛に対しては、阿片とブランデーが使われていたそうです。
ちなみに、最近コロナにアップルブランデーがいいとの記事があり、本当かな~と思ったことがありました。
本疾患を初めて正確に記述し、虫垂炎の名称を用いたのは、米国ハーバード大学病理学のレジナード・フィッツ教授で、1886年のことで、彼は早期診断に基づく早期手術が重要だと提唱しましたが、この時代は有名なビルロートさんが胃切除術に成功(1881年)したような時代で、麻酔・消毒の技術がやっと定着してきたような時期でしたので、虫垂炎に開腹手術なんてとんでもないと内科医からめちゃくちゃ叩かれたそうです。残念です。
その後、G.T.モートンが虫垂炎手術を初めて成功させ(1887年)、マックバーネイが1988年に7例施行し6名を救命、マーフィーが年間100例以上の手術を行い有効性を示しました。
ちなみに日本では虫垂炎に対する手術療法の意義が認められたのは1931年のことで約半世紀遅れていたそうです。遅れすぎじゃない?
虫垂炎の身体所見をとる際によくチェックするMcBurney点圧痛は有名ですよね。少し気になり調べました。
Charles McBurney(1845~1913)
引用:Wikipedia
ハーバード大学卒業、コロンビア大学でMD取得。虫垂炎の手術の管理、McBurney点の発見、それからも虫垂炎に関しての研究をしていたました。他には幽門狭窄症、肩関節脱臼、上腕骨骨折、胆石に関心をもち、また手術中のゴム手袋を導入したそうです。狩猟と釣りが好きで、狩猟に出かけているときに亡くなったそうです。
ちなみに知っていますか?
ひ孫さんであるSimon McBurneyさんは、イギリスで俳優業をしています。作品の羅列を眺めていましたが、僕自身あまり洋画をみないのであまり知っているものはないです。唯一知っていたのは声優としての出演ですが、ハリーポッターシリーズのシリウス・ブラックに仕える屋敷妖精のクリーチャーの声を担当しています。意外でした。
引用:Wikipedia
さて、全然妊婦さん関係ないですね。今からちゃんと妊婦さん出てきます。
妊婦さんでは、1/600から1/1000 の頻度で虫垂炎が疑われており、1/800から1/1500の頻度で虫垂炎と診断されています。
虫垂切除術を行った53000人の女性の研究で、妊婦は非妊婦より虫垂炎になるリスクが少ない事がわかりました。腹圧の関係でなんとなく多いと勝手に思っていました。
妊娠中の第1.3半期、産後よりも第2三半期での罹患率がわずかに高いです。
また、350000の妊婦の研究では、非妊娠期間と比べて、妊娠中は約35%虫垂炎の罹患が少なく、最も少ないのは第3三半期ということが分かりました。
訴えとしては、腹痛が臍周囲から始まり、右下腹部へ移動する疼痛があり、食欲不振、嘔気・嘔吐があり、発熱し、白血球が上昇するといったもので、古典的な虫垂炎って感じですね。
ですが妊婦(特に妊娠後期)ではこの古典的な症状は非妊婦より訴えが少ないそうです。
McBurney点圧痛は、妊娠期間に関係なく虫垂炎に罹患したほとんどの妊婦で認めますが、子宮が大きくなるにつれて、特に第3三半期では右中腹部さらには右上腹部に疼痛が見られることがあります。有名ですね。
下記に720人の妊婦さんの虫垂炎の症例を検討した症状と所見についての結果を示します。
症状
・腹痛 96%
右下腹部75%
右上腹部20%
・嘔気 85%
・嘔吐 70%
・食欲不振 65%
・排尿障害 8%
所見
・右下腹部圧痛 85%
・反跳痛 80%
・筋性防御 50%
・直腸診圧痛 45%
・右上腹部圧痛 20%
・37.8度以上の発熱 20%
検査結果は妊婦にとってはあまり有用ではないかもしれません。
非妊婦の約80%では白血球数が上昇します(WBC>10000)が、軽度の白血球数上昇は妊婦にとっては正常の所見となります。
第3半期の白血球数は約16900で、分娩時には29000まで上昇します。う~ん。
血中ビリルビンの上昇(>1.0mg/dl)が虫垂の穿孔のマーカーに使えるかもです。(感度70%、特異度86%)
CRPはもちろん非特異的です。
組織学的に診断されます。
妊婦さんにおいて、臨床的な診断は上記の古典的な所見により疑われます。
妊婦さんにおいてみられる非古典的な症状があれば、画像検査を行います。
画像検査の第一の目的は、手術のタイミングを遅らせないことです。2番目の目的は無駄な虫垂炎切除を減らすことです。
このような症例ではエコーをすることによって卵巣腫瘍・捻転、尿路結石、胆嚢結石などを証明してくれるかもしれません。
分娩中の妊婦さんで虫垂炎を疑うのは特に難しく、不可能かもしれません。なぜなら局所的な疼痛はもちろんあり、絨毛膜羊膜炎があり発熱があるかもしれない、白血球数が上昇するかもしれない、嘔吐があるかもしれない。虫垂炎をどう疑えばいいのか分かりません。
分娩後にこのような症状が継続したり、増悪したりするようであれば、虫垂炎を疑い、身体所見をとりなおし、画像評価を行うべきとされています。
画像検査についてですが、何を優先してやればいいか迷いますよね。妊婦にCT?怖いってなりませんか。
最初にエコーを行い、虫垂をなんとか探し当て、直径が6mm以上であることを確認することが推奨されています。
もし、臨床的所見やエコー所見がなければどうでしょう。
この場合はCTではなく、やはり放射線被爆を避け、MRIを使用することが勧められています。
日本では大きい病院には大体ありますが、MRIが存在しないまたは使用できない場合にはCTを使用することになります。
流れとしてはこんな感じです。ここで各画像検査の詳細をまとめてみました。
エコー:
子宮が大きいため妊婦は、非妊婦に比べて、エコー検査のパフォーマンスが低下し、特に第一3半期での能力はかなり低下します。
いくつかの研究で、大多数の虫垂炎を疑う妊婦さんには虫垂が見つからないという報告もあります。
感度は67~100%で、特異度は83~96%でした。(非妊婦の感度86%、特異度96%)
診断の精度には、その時点の妊娠週数や、母体のBMI、手技者の能力などが影響すると言われています。
MRI:
MRIは妊婦の虫垂炎に対して、感度と特異度ともに高いです。
虫垂炎を疑われ、MRIを施行された合計933人の妊婦の12の研究のメタアナリシスでは、感度94%、特異度97%でした。
他の19の研究のメタアナリシスでも同じような結果でした。
エコーと比べて、MRIにはさらに恩恵があり、虫垂を見つけることができなかった場合でも、腹痛をきたす他の疾患を評価できます。
撮影に時間がかかるのが欠点です。
CT:
報告数は少ないですが、ヘリカルCTが有用との報告があります。また、胎児への被爆線量を3mGy以下に調整する方法もあるそうです。
ちなみに30mGyで癌発生、50mGyで確定的影響が生じてしまいます。造影CTも利用されますが、被爆線量は高いです(20~40mGy)。
妊婦さんではかなりデータが限られていて、3つの後ろ向き研究のメタアナリシスで感度85.7%、特異度97.4%でした。
これらの研究は2~49の虫垂炎の患者を含むもので、その中でも1つの研究で腹腔鏡を施行できない確率の研究も行っていて、(1)臨床的評価のみ、(2)臨床的評価とエコー、(3)臨床的評価とエコーとCT、の3つの場合に分け、それぞれ54%、36%、8%となっています。
治療・管理についてです。
虫垂切除術が主に施行されます。
周術期にはグラム陽性・陰性・嫌気性のカバーをすべきだと言われています。
(例:第二世代セフェム+クリンダマイシンorメトロニダゾール)
抗菌薬単独での保存的治療は妊婦さんには勧めれないというデータがあるそうです。
その理由は下記にあるデータによるものだと思います。
・虫垂穿孔があれば胎児の死亡率はかなり上昇します。
36%(穿孔時)vs1.5%(非穿孔時)
・腹膜炎や膿瘍では胎児の死亡率、早産率はやや上昇します。
胎児の死亡率:
6%(穿孔時)vs2%(非穿孔時)
早産率:
11%(穿孔時)vs4%(非穿孔時)
非妊婦と比較して、妊婦の虫垂炎の特徴を簡単にまとめると
臨床的診断の難しさ、虫垂炎穿孔時の胎児死亡のリスク、腹腔鏡が使えない症例の増加が挙げられます。
少しでも疑ったらMRIを僕は撮影したくなります。疑うのが難しいのですが。
■まとめ
虫垂炎での圧痛点の上方移動は医療系の漫画・ドラマでもよく出てくるお話なので知っていましたが、驚いたのは虫垂穿孔による胎児死亡の確率の高さです。症状出現してから24時間以降で穿孔のリスクが高くなるとの文献があり、妊娠中、分娩中の腹痛に対して婦人科疾患だけでなく、虫垂炎など他の分野の疾患を常に頭に置いておかないといけないと感じ、改めて内科の知識は必ず必要で、妊婦さん、さらに産声とともに幸せを運んでくれる赤ちゃんの命を守るためにも今後もしっかり勉強していきたいと思います。
最後に、次回の記載者を指定しなければいけません。聖マリアンナ医科大学から来られた永山英寿Drにお願いしましょう。
さて、8月は男only6人組です。華はありませんが、あと一か月思いっきりいろんな意味での熱い夏を過ごしていこうと思います。
<参考文献>
1.Acute appendicitis in pregnancy-UpToDate Andrei Rebarber,MD,Brian P Jacob,MD
2.医学のあゆみ 1995,174:668
3.Wikipedia-Charles McBurney
4.Wikipedia-Simon McBurney