3.反省会
「先生、いったいこれは・・・?」
「何だと思いますか?」
オリオンはまるでクイズでも出すように、含み笑いを浮かべて悠一に問いかけた。
「海、断トツじゃないですか。パッと見たところ、ごほうびシールのような感じですが。」
悠一はまじまじとその表を眺めた。自分が小学生のころ、秋の読書週間に読んだ本の冊数を競ったり、マラソンの練習でグランドを1周走るごとにシールを1枚貼った記憶が蘇った。
海が2回目のおしおきを受けたあと、他のクラスメイトも次々とそれに続いたので、伊吹は隠し持っていた海の10個目のシールをこっそりと表に貼りつけた。その後もシールは増え続け、3回目のおしおきには届いていないものの、海はやはりクラスでトップの位置をキープしていた。
「ああ、もしかして。」
悠一は前に空から聞いた話を思い出した。
「ダメな方のやつですね?5個溜まるとおしおき対象になるって聞きましたが。」
「海、ちゃんと学校の出来事をおうちの方に話してるんですね。高校生にもなると何も報告しない生徒が多いようですが。特に悪い話は隠したがるので保護者の方は把握していないケースがほとんどなんですよ。」
「いや、海からではなくて、家でちょっとゴタゴタがあったときに空から聞いたんですよ。こういうとき双子って便利ですね。」
「そうだったんですね。」
「お兄ちゃん、もういいから帰ろう。」
この場に居たたまれず海が2人の会話を中断すると、
「よくないだろ。おまえ、こんなことでいいのか?」
悠一は表のシールを指さして海を問い詰めた。海は不機嫌そうにプイッと横を向いた。
「おい、こんなのクラスのみんなに見られて、恥ずかしいとか改心しようとか、おまえにはそういう反省の気持ちはないのか?」
だんだんと悠一の口調が激しくなってくるのを見て担任は、
「お兄さん、家に帰ってじっくり話し合ってみてください。なあ海、別にシールが溜まっても清算すればいいだけだもんな。たとえ今トップでもそのうちみんなも追いついてくるし、全然恥ずかしいなんて思わないよな?」
これは海をかばっているのか、それとも嫌味を言っているのか、担任の魂胆は海にはまったく読み取れなかった。かばうぐらいなら、わざわざこんなものを見せなくてもいいのに。どうせ家の人には自分の分が悪くなるようなことは報告しないだろという担任の罠にかかったようで悔しかったし、悠一の前では普段と正反対の生徒思いのいい教師面をしているのにムカついた。
海は返事もあいさつもせずにカバンを持って教室から出て行った。
「まったくあいつは。先生すみません。帰ってからしっかりと反省会しますので、どうぞこれからもよろしくお願いします。」
悠一は深々と頭を下げ、海を追いかけて教室から出て行った。
“ちょっといじめ過ぎたかな。でもお兄さんには現実を伝えておいた方がいいし、海にも自覚してもらわないといけないし。嫌われ役はつらいよなー”
全然つらそうな感じもなく、
“帰ってからどうなったか、明日海に聞いてみよう”
何だか楽しそうなオリオンだった。
悠一は海に追いつくと、
「おい海、何だその態度は!」
海の背後から声をかけたが、海は何も答えずスタスタと行ってしまうので、悠一は深呼吸をして気持ちを落ち着かせた。
「今日は見に行けなくてごめんな。海、楽しみにしてたのにな。」
急に声のトーンが変わって申し訳なさそうに言うので、
「ううん、大丈夫。」
海は首を横に振った。
「怒ってるだろ?」
「ううん、怒ってないよ。空はどうだったの?」
「ちゃんとやってたぞ。」
「ふーん。」
「実は空のクラスでグループディスカッションに保護者も参加することになって、話が盛り上がってたからあっという間に時間が過ぎて・・・。」
「楽しそうだね。」
海がしょんぼりと言うので悠一はハッとして、
「楽しいというより大変だったけどな。空なんてオレがいるからものすごくやりにくそうで、露骨に嫌そうな顔してたからな。」
「そうなんだ。」
「なあ海、どこかで昼飯食っていこうか?」
今日は午前中で下校となり、お腹が空いているのは事実だったが、これはどう見ても海の機嫌をとるための提案だった。空は部活があるので、悠一は朝食と一緒に空のお弁当を作っていた。そのときおかずを多めに作って、帰って来てから昼ごはんにしようと準備していたのを海は知っていた。
「うん!」
やっと海の明るい声が聞けて、
「今日の罪滅ぼしな。空には内緒だからな。」
悠一と2人で外食するなんて滅多にないことで、海は飛び上がるくらい嬉しかった。空に内緒というのも、自分だけ特別扱いされているのが双子という平等な立ち位置から抜け出すようで優越感を味わうことができた。空にとってはそれほど大したことではなく、空がもし同じ誘いを受けたら「遠慮しとく」と断るに違いない。
あまめま駅に着くと、悠一と海は駅ビルのイタリアンのお店に入った。海の好きなパスタ2種類とピザを注文しシェアして食べた。
「織遠先生、見た目より中身はしっかりしてそうだな。」
「そうかな?今日はよそいきの感じだったよ。髪も短くして染め直して来てたし、いつもはもっとホストみたいにネックレスとか指輪つけてたり、派手なネクタイしてるし。」
「そうなのか?」
「授業もいつもと違ってちゃんと教えてたし。」
「いつもはどうなんだ?」
「教科書ずっと読んでたり、自習な~って言ってどっか行っちゃったり。」
「ハハハそうなのか。おもしろい先生だな。でも海のことは分かってくれてそうで安心した。」
「え?分かってないよ全然。平気で嫌なことしてくるし、余計なことばっかり言うし。」
海はハッとして口に手を当てた。悠一はその仕草を見て例の表のことを思い出したが、ここではその話題に触れるのはやめた。ただ「あとでな。」と優しく微笑んだのが海にとっては異様に怖く感じた。地雷を踏まないように注意を払いつつ、高校生活の話(主に友達の話)をしながら食事をして、そのあと夜ごはんの買い物をしてから帰宅した。
家に着くとすぐに海は自分の部屋に向かおうとしたが、悠一に呼び止められた。
「先延ばしにするのはやめような。」
悠一は海の手をつかんでソファに連れて行った。怒っているというよりは、学校での様子をしっかりと把握しておきたいという保護者なら当然の思いだった。担任の口から直接報告を受けたのだから、これはある意味警告であって、このまま放置してはいけないと強く感じた。
悠一が一方的に叱りつけるのではなく「話をしような」というスタンスであることは、隣に並んで座らされたことで海本人も理解した。本当に怒っているときは、隣ではなく目の前に正座させるか、足の間に立たせて上下関係をはっきりさせるはずだった。話し合う余地もないときは、もちろんおひざに直行なのは言うまでもない。
「海おまえ、何であんなにたくさん?」
「・・・・・」
「いったい何をしたんだ?今ここで全部オレに報告しろ。」
「・・・・・」
海がすんなり答えていれば、少し小言を言われて「これから気をつけろ。」だけで解放されていたかもしれない。もしくは「高校生なんだからしっかりしろよ。」とお尻を2~3発叩かれるだけで済んだかもしれない。でも海は素直に話をすることができなかった。久しぶりに一緒に電車に乗って、2人でランチを満喫して、悠一と水入らずの時間を楽しんだばかりなのに・・・。もう少し余韻を味わっていたかったのに・・・。
“そんなに早く現実に引き戻さなくてもいいじゃん!”
こういうとき素直になれない自分がものすごく嫌いだった。もっと幼いころだったら、グスンと鼻をすすって「お兄ちゃん、そんなに怒らないで。海いい子になるから。」なんて甘ったれた声で言えたのかもしれないが、年齢を重ねるにつれそんな愛くるしい態度をとることはできなくなっていた。
「ごめんなさい」という言葉の重みを、自分でますます重たくしてしまっているのも分かっていたけれど、いったんひねくれてしまった感情を元に戻すのは困難だった。たとえ反省していなくても、適当に謝ってその場をごまかすこともできたのに、そういった策を講じる気分でもなかった。自分をうまくコントロールすることができず、だんまりを決め込むという高校生とは思えない子供じみた態度を悠一にぶつけた。
海がこういう状態になると面倒くさいことを、悠一はよく分かっていた。口をギュッと結んでブスッとしている海は手強く、長期戦に突入する可能性も大きかった。それでも機嫌をとるように優しく接するのは間違っているだろうし、そこは甘やかすところではない。経験上得た知識として、こういうときは強行手段に限るのだ。
「ほら、ちゃんと答えるまでケツ叩くぞ。」
穏やかに話し合うつもりで隣に座らせたのだが、それはそのままおしおき体勢にもっていくにも都合のいい位置関係だった。海が口を開こうとしないのを確認してから、悠一は海の体を自分の方へグイッと引き寄せうつぶせに倒すと、お尻に手を当てバチンバチンと軽く叩き始めた。このくらいじゃ痛くもないし、海にとって何の効き目もないのは明らかだったが、これが最終通告だということは、長年おしおきを受けてきた海には理解できるはずだ。
悠一はいったん叩く手を止めて、
「早く言わないと泣かすぞ。」
助け船を出したがそれでも海は何も答えず、次の瞬間ビシーンッ!と今までの何倍も強い1発が飛んできた。
「痛ぁー!」
お尻をかばう海の手を押さえつけて、もう1発ビシャーンッ!
「嫌だ!痛いってば!」
ビッシャーンッ!3発目。
強烈なお尻の痛みには耐えられず、海はようやく観念して
「言う。ちゃんと話すから。」
「よし。」
「下ろして。」
「このままで答えろ。」
悠一はいつでもお尻を叩ける体勢で海の言葉を待った。
「遅刻したり、忘れ物したり。」
「それだけか?」
「あと授業中寝てたり、友達とおしゃべりしてたり。」
「それから?」
「えっと、スカート短いとか前髪長いとか。」
「海、クラスで一番だったよな?そんなことでいいのか?高校行ったらちゃんとするって言ってたよな?」
「ちゃんとやってるつもりなのに、知らないうちにどんどん増えてくんだもん。」
「はあ?」
悠一の「はあ?」がものすごく呆れているようで怒っているようで、海は唇を噛みしめた。
「まったく、たるんでるな!」
「だって・・・」
「だって?」
悠一の右手が振り上げられるのを感じた。返答次第でその右手がお尻に打ちつけられると思うと、海は何も答えることができずに黙り込んだ。
「だって何だ?」
「・・・・・」
腰にまわしていた左手に力が入るのを感じて、海は慌てて
「だってみんなもそうだもん。」
バッチィーーンッ!!
「なあ、おまえ高校生だよな?いつまでもガキみたいなこと言ってないでもっとしっかりしろ!」
制服のスカートをめくってパンツを下ろされ、すでに赤く染まったお尻を出されると、
バッチィーン!バッチィーン!バッチィーン!バッチィーン!バッチィーン!バッチィーン!
「お兄ちゃんごめんなさい。今度からちゃんとするから。」
海は必死に「ごめんなさい」を繰り返したが、悠一は何も聞こえていないかのように、お尻が真っ赤に腫れ上がるまで叩き続けた。
まだまだ足りないと思ったが、悠一は手を止めて海をひざから下ろした。
「織遠先生にはもっと厳しく指導してもらわないと、同じことの繰り返しだよな。明日学校に電話してそう伝えておくからな。」
「えー、絶対に止めて。高校生にもなって恥ずかし過ぎる。」
「それが嫌だったら、しっかり反省して心を入れ替えろ。」
「うん、分かったから。」
海はパンツを上げると、逃げるように階段を駆け上って自分の部屋に入った。心の中には“お兄ちゃんのバカッ!“が充満していたが、決して声には出さなかった。
翌日朝のホームルームのあと、海は担任に呼ばれて廊下に出た。
「昨日お兄さんにお尻叩かれたか?」
海は顔がパーッと赤くなるのを感じた。
「そんなことされないから。」
ムキになって言い返すと、
「反省会したんだろ?」
「それはしたけど、話をしただけだから。」
「そうやって否定する前に、自分の顔を鏡で見てみろ。耳まで真っ赤になってるぞ。」
海は両手でほっぺを押さえて隠そうとしたが、担任はニヤニヤしながら、
「どうせお尻も真っ赤っかなんだろ?」
ますます海の顔は赤く火照った。
“何でオリオン、お兄ちゃんがお尻叩くって知ってんのよ!昨日2人でそんな話してなかったと思うけど・・・。きっと当てずっぽうで言ってるだけだよね。それとも中学の先生から情報が入ってるとか?”
海は動揺のあまり反論することもできずに、教室の中に逃げ込んだ。席に着くとき昨日のお尻の痛みがジンジンして「はぁー」と大きなため息をつきながら、“オリオンのバカッ!”とまわりの友達に聞こえないように心の中で暴言を吐いた。
担任は廊下からこっそりとそんな海の様子を伺いつつ、
「それにしても痛そうだ。チャイムがなってイスに座るときからバレバレだったんだよな。やっぱりあのお兄さんは相当厳しい人なんだろう。あの様子じゃ100、いや200ぐらいは叩かれたんだろうな。」
ブツブツとひとりごとを言いながら職員室に戻って行った。
悠一からでも中学の先生からでもなく、自爆だったことを海は知る由もなかった。
おわり